第26話 学園外学習のお知らせ
朝のホームルームで、担任のエルザ先生が告げた一言に、教室中がにわかにざわめいた。
「来月、一年A組は『学園外学習』を行います。行き先は、学園から半日ほどの場所にある『ささやきの森』。薬草採集と、簡単な自然観察が目的です」
「学園の外に、出られるんですか?」
メアリが、興奮した様子で手を挙げて尋ねた。
「ええ。もちろん、教官の引率のもと、安全には十分配慮します。ですが、初めての学園外活動になる生徒も多いでしょうから、気を引き締めて臨むように」
エルザ先生の言葉に、教室のあちこちから期待と緊張の入り混じったざわめきが広がった。アリアもまた、胸の奥に、複雑な感情が渦巻くのを感じていた。
(学園の外、か……)
入学してから今日まで、アリアはずっと学園の敷地内で過ごしてきた。故郷を離れて以来、初めて足を踏み入れる「外の世界」に、期待と同じくらいの不安があった。
「アリアちゃん、楽しみだね! 私、森とか、あんまり行ったことないんだ」
「私は、故郷では、よく森に薬草を採りに行ってたよ。だから、少し懐かしい感じがする」
「さすが、アリアちゃん。頼りにしてるね」
メアリの屈託のない笑顔に、アリアも自然と微笑み返した。
休み時間、掲示板に貼り出された詳細な学習要項に、生徒たちが群がっていた。アリアも人混みをかき分け、要項に目を通す。
「持ち物は、動きやすい服装、採集用の袋、それに、非常時のための護身用の魔道具……。かなり本格的なんですね」
「森には、多少の魔獣も生息しているらしい。とはいえ、引率の教官がいれば、大した脅威にはならないはずだ」
振り返ると、リアムが要項を覗き込んでいた。
「リアム様も、学園外は初めてですか?」
「いや、家の視察などで、何度か森や野外に出た経験はある。ただ、学園の課外活動としては、初めてだな」
「そうなんですね。私、実は少し緊張してます」
「案ずるな。基本的な採集技術は、座学で十分学んでいるはずだ。それに――」
リアムは、少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「君は、薬草に関しては、私よりずっと詳しいだろう。むしろ、頼りにさせてもらうつもりだ」
思いがけない言葉に、アリアは照れくさくなりながらも、嬉しさを感じた。
昼休み、掲示板の前では、班分けの発表を巡って、また別のざわめきが起きていた。
「班は、五人一組。基本的には、普段の座学のグループを踏襲する形とする」
ギデオン教官の淡々とした発表に、アリアは自分の班にリアム、メアリ、トビアス、そしてリゼットの名前を見つけ、思わず胸を撫で下ろした。気心の知れた面々との班編成は、慣れない学園外活動への不安を、少しだけ和らげてくれた。
「あら、また同じ班になったのね」
リゼットが、扇子で口元を隠しながら、そう声をかけてきた。
「はい。よろしくお願いします、リゼットさん」
「ふん、任せておきなさい。私、意外と野外活動には慣れているのよ。父の領地でも、よく狩猟に同行させられていたから」
誇らしげに胸を張るリゼットの様子に、アリアは思わず微笑んだ。中間試験の一件以来、リゼットとの距離は、以前よりずっと近くなっていた。
「俺は、正直、森とか苦手なんだよな。虫とか、めちゃくちゃ多そうだし」
トビアスが、げんなりした様子でぼやく。
「トビアスは、そういうところ、本当に頼りないんだから。私がしっかり見ててあげるから、安心しなさい」
メアリの励ましに、トビアスは複雑そうな表情を浮かべながらも、素直に頷いた。
「では、皆さんで力を合わせて、無事に採集の課題を終えられるようにしましょう」
リアムの落ち着いた言葉に、五人は顔を見合わせ、それぞれに頷いた。
「アリア嬢は、薬草に詳しいと聞いている。班のみんなに、色々と教えてもらえると助かるな」
「あ、はい、もちろんです。役に立てるよう、頑張ります」
「頼りにしているぞ。……とはいえ、無理はしないようにな。森は、教室とは勝手が違うものだ」
リアムの気遣いに、アリアは素直に嬉しさを感じながら頷いた。
放課後、アリアは図書委員の作業の合間を縫って、書庫の中を歩き回っていた。月光花について、もう少し詳しく調べておきたいと思ったのだ。
「月光花……確か、この植物図鑑に載っていたはず」
古い植物図鑑を棚から引き出し、目当てのページを開く。挿絵には、細長い花弁を持つ、淡く発光する花が描かれていた。
『月光花――夜間、月光を浴びることでのみ開花する希少種。高度な治癒薬の材料となるが、採取には熟練の技術を要する。無理に力任せに引き抜くと、花弁に蓄えられた魔力が急激に放出され、採取者に強い影響を及ぼすことがある』
(触れ方に、コツがいるんだ……)
アリアは、そのページを丁寧に書き写しながら、実際に見かけた時の対処法を頭に叩き込んでいった。故郷では見たことのない品種だったが、基本的な扱い方は、他の魔力を帯びた植物と似ている部分もある。
「アリアさん、何を熱心に調べてるんですか?」
背後から声をかけられ、振り返ると、クララが興味深そうに覗き込んでいた。
「月光花について、少し調べていました。学園外学習で、もしかしたら見られるかもしれないって聞いて」
「まあ、熱心なんですね。アリアさんらしいわ」
クララの微笑ましそうな視線に、アリアは少し照れくさくなった。
その日の放課後、図書委員の作業室では、クララとマーゴットが、学園外学習の話題で盛り上がっていた。
「ささやきの森、私も一年生の時に行ったことがあるわ。とても綺麗な場所よ。特に、夜になると光る花が咲くの」
「光る花、ですか?」
「ええ、『月光花』という、希少な薬草なの。月の光を浴びて、淡く発光する不思議な花よ。もっとも、なかなか見つけられるものではないけれど」
マーゴットの説明に、アリアは思わず目を輝かせた。故郷の薬草図鑑で、その名前を見たことがある。実際に見る機会があるとは、思ってもみなかった。
「見つけられたら、すごいことなんですか?」
「もちろんよ。月光花は、高度な治癒薬の材料になる貴重な薬草だもの。もし見つけられたら、きっと先生方も驚くでしょうね」
クララの言葉に、アリアの胸に、小さな期待が芽生えた。もし本当に見つけられたら――そう考えるだけで、少しだけ、学園外学習が楽しみに思えてきた。
「でも、森には、魔獣もいるんですよね?」
「ええ、油断は禁物よ。特に、森の奥に行くほど、危険な個体もいるって聞くわ。だから、引率の教官の指示には、絶対に従うようにね」
マーゴットの真剣な忠告に、アリアは神妙に頷いた。
その夜、寮の部屋に戻ったアリアは、鞄の中から出てきたクロノに、今日聞いた話を報告した。
「クロノ、来月、学園外学習で森に行くことになったの」
「ほう、森か。悪くない機会だ。お前の得意分野で、存分に力を発揮できるだろうからな」
「でも、力を発揮しすぎたら、また目立っちゃうから……。ちょうどいい塩梅が、難しいの」
「フン、それはお前が、これまでずっと悩んできたことだろう。今更、驚くことでもあるまい」
クロノのそっけない返事に、アリアは苦笑した。
「それと、月光花っていう、光る薬草があるんだって。すごく珍しいらしくて」
「ほう、月光花か。懐かしい名だ。……あれは、たしかに希少だが、見た目の割に扱いには相応の知識が要る代物だ。無闇に触れれば、思わぬ形で魔力に反応しかねん」
「そうなの? 気をつけないと」
「うむ。まあ、お前ならば、そう心配することもなかろうがな」
クロノの言葉に、アリアは少しだけ気を引き締めた。故郷でも見たことのない珍しい薬草に出会えるかもしれないという期待と、慣れない学園外での活動への緊張が、胸の中で入り混じっていた。
「それにしても、森か。……色々と、懐かしい記憶が疼くわい」
「クロノ、何か知ってるの?」
「さてな。長く生きておれば、大抵のことには、何かしら覚えがあるものよ」
はぐらかすようなクロノの物言いに、アリアは少し首を傾げたが、それ以上深く尋ねることはしなかった。
翌日の古代ルーン文字学の授業では、ゼフィルス教官が、珍しく雑談めいた話を挟んだ。
「ささやきの森、か。……あの森には、古い時代の遺構が、いくつか眠っているという話があってな」
「遺構、ですか?」
「うむ。もっとも、正式な発掘調査が行われたことはない。単なる言い伝えの域を出ないがね。……もし、何か気になる石やら文字やらを見かけたら、私に教えてくれると、大変助かる」
興味津々といった様子のゼフィルス教官に、生徒たちは苦笑を浮かべながらも頷いた。アリアもまた、何気ないその言葉に、小さな胸騒ぎを覚えたが、それが何を意味するのか、この時はまだ、はっきりと言葉にはできなかった。
学園外学習の前日、寮の部屋で荷物の最終確認をしていると、鞄からクロノがひょいと顔を出した。
「まあ、月光花のことは、一先ず置いておくとして。まずは、明日からの持ち物の準備だな」
「あ、そうだった。動きやすい服とか、採集袋とか、色々揃えないと」
アリアは、鞄の中身を確認しながら、必要な道具を一つずつ紙に書き出していった。故郷で使っていた、使い慣れた採集用の小刀や、頑丈な布袋も、寮に持ってきていたはずだ。
「そういえば、故郷にいた頃も、よくこうして準備してたな」
懐かしさに、アリアはふと手を止めた。父と一緒に、森へ薬草を採りに行く前夜、いつもこうして道具を確認していたのを思い出す。あの頃とは違う場所で、違う仲間たちと森へ向かうことに、不思議な感慨を覚えた。
「感傷に浸るのは結構だが、忘れ物だけはするでないぞ」
「うっ、わかってるよ、クロノ」
クロノのそっけない一言に、アリアは苦笑しながら、道具の点検を再開した。
窓の外、二つの月が、今夜も静かに輝いている。初めての学園外での活動を前に、アリアの胸には、これまでにない種類の高鳴りが広がっていた。それが、思いがけない出会いへの序章になるとは、この時のアリアは、まだ知る由もなかった。




