第21話 中間試験の予感
朝礼の時間、担任のエルザ先生が黒板に張り出した一枚の掲示に、教室中がざわめいた。
「来月の第三週、実技の中間試験を行います。詳細は、追ってお知らせしますが……今のうちから、心の準備をしておくように」
その一言に、教室のあちこちから、緊張とも興奮ともつかないどよめきが上がった。
「中間試験……ついに来たか」
隣の席のトビアスが、重々しく呟く。メアリは、少し青ざめた顔でアリアの方を振り返った。
「アリアちゃん、実技試験って、どんな感じなんだろう……。私、座学はまだ何とかなるけど、実技は本当に苦手で」
「私も、正直、不安でいっぱいだよ」
二人で顔を見合わせ、揃ってため息をついた。
教室の反対側では、リゼットが取り巻きの令嬢たちに囲まれながら、扇子で口元を隠しつつ、余裕の表情を浮かべていた。
「中間試験くらいで、そんなに怯えることはなくてよ。日頃の鍛錬が、そのまま結果に出るだけの話ですもの」
その堂々とした態度に、周囲の令嬢たちが感心したように頷いている。だが、アリアの位置からは、リゼットの指先が、扇子の裏でわずかに強張っているのが見えた。
(リゼットさんも、緊張してるんだ……)
薬草学の授業で見せてくれた、あの素朴な笑顔を思い出す。表向きの余裕の下に隠された緊張を、アリアは、以前よりも少しだけ、見抜けるようになっていた。
放課後、掲示板に貼り出された詳細な試験要項を、生徒たちが群がって確認していた。アリアも人混みをかき分け、なんとか要項に目を通す。
「実技試験は、剣術、結界術、属性魔法の三種目、それぞれ個別評価と、総合実技の四部構成……。総合実技って、何をするんだろう」
「総合実技は、簡単な模擬課題をこなす試験だ。複数の術式を組み合わせて、状況に対応する力を見るものらしい」
振り返ると、リアムが要項を覗き込んでいた。
「リアム様も、確認しに来たんですね」
「ああ。……総合実技は、なかなか厄介そうだ。単純な魔法の巧拙だけでなく、判断力や応用力も問われるらしいからな」
その説明に、アリアの胸には、ますます不安が募っていった。
「私、属性魔法は、まだそこまで得意じゃなくて……特に、咄嗟の判断とか、応用とか、苦手意識があって」
「基礎はしっかりしているんだ。焦らず、一つずつ、練習を重ねていけばいい」
リアムの落ち着いた言葉に、アリアは少しだけ気持ちが軽くなった。
その日の夕方、図書委員の作業を終えたあと、アリアとリアムは、久しぶりにクララやマーゴットたちと一緒に、試験の話題で盛り上がった。
「私たち上級生も、去年は本当に大変だったのよ。特に総合実技は、いきなり予想外の課題を出されて、頭が真っ白になった生徒が続出したもの」
マーゴットの回想に、アリアはますます不安を募らせた。
「そんなに、難しいんですか……」
「難しいというより、実践的、というべきかしらね。教科書通りにいかない状況に、どう対応するか。それを見られているのよ」
「先輩は、去年、どんな課題が出たんですか?」
アリアが恐る恐る尋ねると、マーゴットは懐かしそうに目を細めた。
「私の年は、水浸しになった教室を想定した課題だったわ。水を操る魔法と、簡易的な結界を組み合わせて、限られた時間で被害を抑える、というものだったの」
「そんな課題が……」
「毎年、内容は変わるみたいだけれどね。共通しているのは、単純な魔法の威力じゃなくて、状況判断と、応用力を見られるということ。付け焼き刃の練習では、太刀打ちできないわ」
その言葉に、アリアはごくりと喉を鳴らした。
クララも、うんうんと頷きながら口を挟んだ。
「私、去年、結界術の試験で、緊張しすぎて詠唱を噛んじゃって……散々な結果だったんです」
「クララさんでも、そんなことが」
「はい。でも、大丈夫。練習を重ねれば、きっと本番でも落ち着いてできるようになりますから」
クララの励ましに、アリアは少しだけ勇気づけられた。
寮に戻る道すがら、アリアはリアムに、ふと気になっていたことを尋ねてみた。
「リアム様は、去年、こういう試験みたいなものを受けたことがあるんですか?」
「いや、この学園に入学してから、実技試験を受けるのは初めてだ。ただ、家では、幼い頃から実践的な訓練を積んできたから、多少は場慣れしているつもりだ」
「さすが、公爵家の跡取り様ですね」
「そう持ち上げられるほどのものでもないさ。……それより、アリア嬢。もしよければ、一緒に練習しないか」
思いがけない提案に、アリアは目を丸くした。
「一緒に、ですか?」
「ああ。私は属性魔法の応用が課題で、君は、咄嗟の判断力を鍛えたいんだろう。互いに補い合えれば、効率よく練習できると思うが」
その論理的な提案に、アリアは思わず納得した。
「はい、ぜひ、お願いします」
「よし。では、明日から、放課後の時間を使って練習しよう。訓練場の一角を借りられるよう、手配しておく」
その日の夜、寮の部屋に戻ったアリアは、鞄から出てきたクロノに、今日一日の出来事を報告した。
「ほう、あの小僧と、共同で試験対策とはな」
「うん。一人でやるより、心強いから」
「まあ、悪くない考えだ。だが、油断するでないぞ。試験というのは、思わぬところで足元をすくわれるものよ」
「うっ、そういうこと言われると、余計に緊張するんだけど……」
クロノの脅すような言い方に、アリアは思わず身をすくめた。
「フン、そう気負うでない。お前には、これまで積み重ねてきたものがある。基礎はしっかりしておる。あとは、それを本番でどう発揮するか、それだけの話よ」
「クロノなりの、励ましなんだよね、それ」
「さてな」
いつものそっけない返事に、アリアは思わず苦笑した。それでも、その言葉の裏にある確かな信頼を、アリアはしっかりと感じ取っていた。
「そういえば、リアム様も、結界術の多重展開でまだ苦戦してるみたいだった」
「ほう。あの祖先の本の理論を、実践しようとしておるのか」
「うん。なんだか、リアム様でも、そういう風に試行錯誤してるんだって思うと、少し安心した」
「誰しも、最初から完璧にはできぬものよ。お前だとて、入学当初は、抑制術一つでさえ、まともに扱えなかったではないか」
「うっ……それは、思い出させないでよ」
過去の失敗を蒸し返され、アリアは思わず頬を膨らませた。クロノは、くつくつと喉を鳴らしながら、丸くなって目を閉じた。
「まあ、励みになったなら、何よりだ。明日からも、しっかり励むがよい」
「うん、頑張る」
翌日の放課後、訓練場の一角で、アリアとリアムの特訓が始まった。
「まずは、基本の詠唱から確認しよう。属性魔法の応用は、基礎の精度がすべての土台になる」
「はい、お願いします」
リアムの指導のもと、アリアは風の初級魔法を、繰り返し練習した。的確な指摘とともに、少しずつ、詠唱の精度が上がっていくのが、自分でも実感できた。
「今のは、良かった。詠唱の間合いが、以前よりずっと安定している」
「本当ですか? ありがとうございます」
褒められたことが素直に嬉しく、アリアの表情が明るくなる。その様子を見て、リアムも柔らかく笑った。
「では、次は、私の番だ。結界術の応用を見てもらえるか」
「はい、ぜひ」
リアムが詠唱を紡ぐと、目の前に、幾重にも重なった透明な結界が立ち上がった。だが、途中で術式が不安定に揺らぎ、片側の壁が薄くなってしまう。
「……やはり、多重展開になると、まだ制御が甘いな」
「私には、すごく綺麗に見えましたけど」
「いや、本来はもっと均一に張れるはずなんだ。アルキメナス様の本にあった理論を、実践で試してみているんだが……なかなか、思うようにいかない」
珍しく悔しそうに眉根を寄せるリアムの様子に、アリアは思わず親近感を覚えた。完璧に見える彼にも、こうして試行錯誤する姿があるのだと知り、なんだか勇気づけられる思いがした。
「一緒に頑張れば、きっと、お互い上達できますね」
「ああ、そうだな」
「今度は、突発的な状況を想定した練習をしてみよう。私が、不規則なタイミングで的を動かすから、それに合わせて風魔法を放ってみてくれ」
「わ、分かりました」
いきなり難易度が上がった課題に、アリアは緊張しながらも、集中力を高めた。深呼吸を一つして、意識を研ぎ澄ませる。リアムの結界術で作られた小さな的が、予測できない動きで、あちこちに現れては消える。
「あっ、今のは、遅れました……」
「大丈夫だ。まだ始めたばかりだからな。焦らず、慣れていけばいい」
何度も失敗を重ねながらも、アリアは少しずつ、コツを掴んでいった。汗ばんだ額を拭いながら、それでも、確かな手応えを感じていた。
訓練を終え、夕暮れの中庭を並んで歩きながら、アリアはふと呟いた。
「なんだか、こういう風に、一緒に頑張れる相手がいるのって、いいですね」
「ああ、同感だ。一人で黙々と鍛錬するのも悪くないが、こうして誰かと切磋琢磨する方が、案外、楽しいものだな」
リアムの率直な言葉に、アリアの胸が温かくなった。振り返れば、入学当初は、こうして誰かと肩を並べる日が来るとは、想像もしていなかった。
「明日も、同じ時間に練習しましょうか」
「ああ、そうしよう。……ところで、メアリ嬢や、他の友人たちは、試験対策は順調なのか?」
「メアリを、今度、一緒に復習しようって誘ってみようと思ってます」
「それはいい。一人で抱え込むより、皆で支え合う方が、きっと乗り越えやすいだろうからな」
リアムの気遣いに、アリアは温かい気持ちになった。
窓の外、二つの月が、今夜も静かに輝いている。中間試験という新たな試練を前に、アリアの心には、不安と同じくらい、確かな期待も芽生え始めていた。




