第14話 図書委員の誘い
放課後、アリアとメアリが連れ立って廊下を歩いていると、図書館の入り口近くに設置された掲示板の前で、見覚えのある人物が手招きをしていた。クララだった。
「アリアさん、メアリさん! ちょうどよかった、お二人にお願いしたいことがあって」
駆け寄ってきたクララは、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべながら、手にした紙の束を掲げてみせた。あの日、迷子の初級魔導書を一緒に探してくれて以来、クララとはすっかり顔なじみになっていた。図書館に立ち寄るたび、彼女の方から気さくに声をかけてくれることも増えていた。
「クララさん、お久しぶりです。司書見習いのお仕事、順調ですか?」
「はい! おかげさまで、最近は先輩たちにも、ちょっとずつ頼りにしてもらえるようになってきました」
誇らしげに胸を張るクララの様子に、アリアは自分のことのように嬉しくなった。あの日、涙を流していた彼女とは、まるで別人のように生き生きとしている。
「クララさんも、頑張ってるんですね」
「アリアさんたちのおかげです! あの一件があってから、なんだか自信がついた気がして」
照れくさそうに笑うクララを見ながら、メアリも隣で嬉しそうに頷いていた。
「図書委員の欠員募集なんです。今年度、辞めてしまった先輩がいて、人手が足りなくて……」
「図書委員……ですか」
アリアは思わず、掲示板に貼られた募集要項に目を落とした。「活動内容:蔵書整理、貸出返却業務、特別書庫の管理補助」という文字が並んでいる。
「特別書庫の、管理補助……」
その一文に、アリアの胸がわずかに疼いた。図書館の司書ソフィアが以前口にした、意味深な言葉が脳裏に蘇る。
(変わったものが眠っている、か……)
「アリアさん、興味あります? 図書委員になると、閉館後も少し残って作業できたりして、静かな環境が好きな人には向いてると思うんです」
クララの言葉に、アリアは心が動くのを感じた。目立たず、静かに、それでいて自分の得意なことを活かせる活動――今のアリアにとって、これ以上ないほど理想的な条件だった。
「わ、私、やってみたいです」
「本当ですか! ありがとうございます!」
クララは飛び跳ねんばかりに喜び、アリアの両手をぎゅっと握った。
「実は、先輩たちからも『真面目そうな一年生がいたら誘ってみて』って言われてたんです。アリアさんなら、きっとぴったりだと思って」
「そ、そんな風に思ってくれてたんですね……」
思いがけない評価に、アリアは照れくさくなりながらも、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「それで、応募の締め切りはいつまでですか?」
「今週いっぱいです。面接は、司書のソフィア先生が行うので、少し緊張するかもしれませんけど……アリアさんなら、きっと大丈夫だと思います」
「面接、なんですね……」
急に現実味を帯びてきた話に、アリアは少し身構えた。だが、クララの励ますような笑顔を見ていると、不思議と不安は和らいでいった。
クララが目を輝かせて喜ぶ横で、メアリが少し困ったように笑った。
「私は、正直あんまり本を読むタイプじゃないから、遠慮しとくね。アリアちゃんに、ぴったりだと思うけど」
「メアリさんも、無理しなくていいよ。私一人でも、頑張ってみる」
「大丈夫、無理はしてないよ! ただ、アリアちゃんが新しい活動を始めるの、なんだか嬉しくて」
メアリの明るい言葉に、アリアは頬を緩めた。振り返れば、この学園に来た当初は、誰かと関わることさえ怖かった。それが今では、こうして自然に新しい役割を引き受けようとしている。自分自身の変化に、アリアは密かな驚きを覚えていた。
二人のやり取りを見ていたクララが、思い出したように付け加えた。
「あ、そういえば、もう一人、興味を持ってくれてる方がいるんです。今度、一緒に面接を受けてもらうことになると思います」
「面接、ですか?」
「形式的なものなんですけどね。司書のソフィア先生と、少しお話しするだけです」
クララの説明を聞きながら、アリアは少し緊張した面持ちで頷いた。
数日後の放課後、アリアは指定された時間に図書館を訪れた。受付近くの小さな応接スペースには、すでにもう一人の希望者が座っている。
「……あ」
プラチナブロンドの髪。振り返ったその人物は、リアムだった。
「アリア嬢、また奇遇だな」
「り、リアム様も、図書委員に……?」
「ああ。静かな環境で本を読む時間が欲しくてな。委員として活動すれば、閉館後の図書館にも自由に出入りできると聞いて」
思いがけない再会に、アリアは驚きを隠せなかった。薬草学に続き、まさか図書委員でも一緒になるとは。
「奇縁というものかもしれないな」
リアムが小さく笑いながらそう言うと、奥から司書のソフィアが姿を現した。
「お二人とも、時間通りですね。感心なことです」
ソフィアは眼鏡の奥の目を細めながら、二人を交互に見つめた。
「図書委員の仕事は、地味で根気のいるものばかりです。それでも、構いませんか?」
「はい、望むところです」
「私も、望むところだ」
二人の即答に、ソフィアはわずかに目を見開いた。
「ずいぶんと、迷いのない返事ですね。……ふむ、面白い」
「あの、何か、おかしなことを言ったでしょうか」
アリアが不安げに尋ねると、ソフィアは静かに首を振った。
「いいえ。ただ、地味な仕事を『望むところ』と即答する生徒は、そう多くありませんから。お二人とも、賑やかな場所より、静かな環境を好む性分と見受けます」
その洞察の鋭さに、アリアは思わず身を縮めた。まるで、自分の隠している性質を、ぴたりと言い当てられたような気がしたからだ。
二人が同時に頷くと、ソフィアはかすかに口角を上げた。
「結構。活動は週に三回、放課後の一時間ほどです。返却された本を棚に戻したり、傷んだ本の補修を手伝ったり、地道な作業がほとんどですが、それでよろしいですね」
「はい、大丈夫です」
「もちろんだ」
「では、活動初日の心得を一つだけ。この図書館の本は、どれも誰かの時間と想いが込められたものです。乱暴に扱う者には、容赦しません」
ソフィアの声には、これまでにない厳しさが滲んでいた。アリアとリアムは、思わず背筋を伸ばして頷いた。
「結構。では、来週から正式に活動を始めてもらいます。まずは、蔵書整理から。……ああ、それと」
ソフィアは、意味深な間を置いてから、静かに付け加えた。
「特別書庫への立ち入りは、図書委員として一定の実績を積んでからになります。焦らず、着実にね」
その言葉に、アリアの胸がまたひとつ、小さく高鳴った。特別書庫――あの日、ソフィアが「変わったものが眠っている」と語った場所に、いつか自分も足を踏み入れることになるのだろうか。
面接を終え、図書館を出たところで、リアムがふと話しかけてきた。
「アリア嬢は、特別書庫に興味があるのか?」
「え、あ……その、少し、気になっていて」
「実は私もだ。我が家に伝わる古い結界術の写本が、この学園の特別書庫にも収められていると聞いたことがある」
「そうなんですね……。リアム様の、ご先祖様が書かれた本、ということですか?」
「ああ。アルキメナス・フォン・アークライトという、遠い祖先の著書らしい。私自身、まだ実物を見たことがないんだ」
「いつか、一緒に読めるといいですね」
「そうだな。楽しみが増えた」
リアムの柔らかな笑顔に、アリアの胸がまた小さく高鳴った。
思いがけない共通点に、アリアは少し肩の力が抜けるのを感じた。同じ目的を持つ相手が隣にいるというのは、心強いものだった。
「これからよろしく頼む、アリア嬢」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
差し出された手を、アリアはおずおずと握り返した。薬草学に続き、図書委員としても、この先しばらくは彼と行動を共にすることになりそうだった。
「にしても、驚いたな。まさか、選択授業に続いて委員活動まで一緒になるとは」
「わ、私も、正直びっくりしています……」
「悪い意味ではないぞ。むしろ、心強い。君と一緒なら、退屈な作業も、きっと楽しく感じられるだろうから」
その率直な言葉に、アリアの頬がじんわりと熱くなった。リアムは、こういう飾らない言葉を、いつも自然に口にする。その屈託のなさに、アリアはいつも少しだけ戸惑い、そして、不思議と心地よさを覚えるのだった。
「あ、あの、私も、同じ気持ちです」
小さく、けれど確かにそう返すと、リアムは満足げに頷いた。二人並んで歩く帰り道、夕日に照らされた石畳の道が、いつもより少しだけ、優しい色に見えた。
夕暮れの回廊を歩きながら、アリアはそっと呟いた。
「今日は、色々なことが決まった日だったな……」
鞄の中から、クロノの声が返ってくる。
「図書委員、か。悪くない選択だ。あの図書館には、確かに、色々と面白いものが眠っておるからな」
「クロノ、知ってるの? 特別書庫のこと」
「さてな。長く生きておれば、色んな場所の噂も耳に入ってくるものよ」
はぐらかすような答えに、アリアは少しだけ疑問を覚えたが、それ以上は深く追及しなかった。
「それにしても、リアムまで図書委員になるとはな。あの小僧、なかなか目端が利く」
「クロノ、リアム様のこと、認めてるの?」
「認める、とまでは言わんが……まあ、悪い相棚ではなかろうよ。何かあった時、あの小僧の結界術は頼りになるやもしれぬ」
珍しく前向きな評価に、アリアは意外そうに瞬きをした。
「クロノがそんな風に言うの、珍しいね」
「フン、事実を述べておるだけよ。調子に乗るでないぞ」
いつもの素っ気ない口調に戻りながらも、その声には、確かな安堵が滲んでいるように、アリアには感じられた。
窓の外、夕暮れの空が茜色に染まっていく。図書委員という新しい役割を得たアリアの学園生活は、また一つ、新しい扉を開こうとしていた。




