第13話 リゼットの本音
薬草学の四度目の授業は、これまでとは違う形式で行われた。教室に入ると、黒板には見慣れない座席表が貼り出されている。
「今日は、普段とは違う組み合わせでグループを作ってもらいます。色んな人と協力する力も、薬草師には大切だからね」
グレタの説明に、教室がざわめいた。アリアは恐る恐る自分の名前を探し、そして――息を呑んだ。
「アリア・ローゼン、リアム・アークライト、リゼット・オルレアン……」
自分の名前の隣に並ぶ二つの名前を見て、アリアは思わず固まった。
「うそ、リゼットさんと同じ班……」
メアリが心配そうに囁いてくる。アリアも同じ気持ちだった。あの日、山道で向けられた値踏みするような視線が、まだ胸の奥に小さな棘として残っている。
教室の隅では、トビアスが自分の班のメンバーを見て「うわ、俺、リゼット嬢の取り巻きと同じ班かよ……」と小さく頭を抱えていた。メアリも別の班に振り分けられ、少し離れた席で不安げにこちらを見ている。
「アリアちゃん、何かあったら、すぐ声かけてね!」
「う、うん、ありがとう」
メアリの励ましを背に受けながら、アリアは覚悟を決めて指定の席へと向かった。
指定された作業机に向かうと、すでにリゼットが腰掛けていた。扇子で口元を隠しながら、こちらをちらりと一瞥する。
「あら。よろしくお願いしますわね、ローゼンさん」
その声には、以前ほどの棘は感じられなかったが、それでも油断はできない。アリアはぎこちなく頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします」
「今日は、こちらの三種類の薬草から、簡単な傷薬を調合してもらいます。分量と手順を間違えると、効果が出ないどころか、逆効果になることもあるから注意してね」
グレタの説明とともに、材料が配られる。乾燥させた薬草の葉、透明な瓶、計量のための小さな匙。アリアは手際よく道具を並べ始めた。
「まずは、それぞれの薬草の下処理から始めましょうか。焦らず、丁寧にね」
グレタが教室を回りながら、各班の様子を確認していく。アリアの班の前に来ると、材料の並べ方を一瞥し、満足げに頷いた。
「あら、もう準備が終わってるのね。感心だわ」
「ありがとうございます」
グレタが次の班へと移っていくのを見送りながら、アリアはふと、隣に座るリアムの緊張した横顔に気づいた。
「私が、葉を細かく刻みます。リアム様は、水を計量していただけますか」
「分かった。任せてくれ」
リアムが頷き、慣れない手つきで水を量り始める。その様子を、リゼットは扇子の陰から静かに観察していた。
「あら、リアム様でも、こういう細かい作業は苦手でいらっしゃるのね」
「否定はしない。剣術や座学には自信があるんだが、こういう繊細な作業は、どうも勝手が違う」
珍しく弱音を漏らすリアムに、リゼットはくすりと笑いを漏らした。
「意外な一面を見られましたわ」
「面目ない」
リアムが苦笑しながら肩をすくめる。その気安いやり取りに、アリアは少しだけ驚いていた。リアムとリゼットが、こんな風に軽口を交わす間柄だったとは、これまで知らなかった。
「お二人は、仲がよろしいんですね」
思わず口にすると、リゼットは扇子で口元を隠しながら答えた。
「幼い頃からの付き合いですもの。パーティーなどで、よく顔を合わせていたのよ」
「そうだったんですね……」
貴族社会というものの狭さと近さを、アリアは改めて実感した。自分がまだ知らない世界が、この学園には、まだまだたくさんあるのだろう。
「ローゼンさん、手際がいいのね。まるで、専門の薬師のような手つきだこと」
「あ、ありがとうございます。実家が薬草師なので……」
「そう。羨ましいこと。私なんて、家では侍女がすべてやってくれるから、こういう作業には不慣れなの」
思いがけず素直な言葉に、アリアは少し驚いた。今まで見てきたリゼットの、棘のある態度とは少し違う印象だった。
「よろしければ、リゼットさんも一緒にやってみませんか? 難しくないですよ」
勇気を出して声をかけると、リゼットは一瞬、意外そうに目を見開いた。
「……いいの? 私、失敗するかもしれないわよ」
「大丈夫です。失敗しても、やり直せばいいだけですから」
アリアの言葉に、リゼットはしばし黙り込んだあと、ふいと視線を逸らしながら、小さく頷いた。
「じゃあ、少しだけ、教えてもらおうかしら」
アリアの指導のもと、リゼットは慣れない手つきで葉を刻み始めた。最初はぎこちなかったが、次第にコツを掴んでいく。
「こう、ですか?」
「はい、いい感じです。あとは、力を入れすぎないように、リズムよく刻むと、断面が綺麗になりますよ」
「リズムよく、ね……」
リゼットは真剣な表情で、包丁ならぬ小さな薬草用ナイフを操り始めた。最初はぎこちなかった手つきが、何度か繰り返すうちに、驚くほど滑らかになっていく。
「あら……なんだか、楽しいかもしれないわ、これ」
思わずといった様子でこぼれた本音に、アリア自身も驚いた表情を浮かべた。普段の澄まし顔からは想像もつかない、素朴な笑顔がそこにはあった。
「あら、意外とできるじゃない」
「はい、筋がいいと思います」
素直に褒められたリゼットは、なぜか少し照れくさそうに視線を逸らした。作業を見守っていたリアムが、小さく微笑む。
「二人とも、息が合っているな」
「そ、そんなことは……」
アリアとリゼットが同時に否定するように声を上げ、顔を見合わせる。妙な連帯感が、束の間、三人の間に生まれた。
調合が順調に進む中、リゼットがふと、手を止めて呟いた。
「ねえ、ローゼンさん。この間は、少し意地悪な言い方をしてしまったわね」
「え……」
「あなたのことが、気になって仕方なかったの。平民出身なのに、初級班から週間成長賞を取ったり、図書委員見習いの子を助けたり……なんだか、掴みどころがなくて」
リゼットの声には、これまでにない率直さが滲んでいた。
「私、ずっと、貴族として『完璧』でなければならないと言われて育ってきたの。だから、あなたみたいに、飾らずに、自然体でいられる人を見ると……つい、意地悪なことを言いたくなってしまうのかもしれないわ」
思いがけない告白に、アリアは何と返せばいいか分からず、しばらく言葉を探した。
「そんな……リゼットさんも、十分素敵だと思います。今日だって、すごく丁寧に作業してくれましたし」
「ふ、ふん。お世辞は結構よ」
そう言いながらも、リゼットの口元には、隠しきれない小さな笑みが浮かんでいた。
その様子を見ていたリアムが、そっと口を挟んだ。
「二人とも、思っていたより気が合うようだな」
「な、何をおっしゃるの、リアム様。私たちは、ただ課題をこなしているだけですわ」
慌てて取り繕うリゼットに、アリアも同意するように頷いた。だが、内心では、確かに何かが変わり始めていることを、アリア自身も感じていた。今まで遠い存在だと思っていたリゼットが、少しずつ、一人の対等な同級生として、目の前に立っている。そんな不思議な感覚だった。
授業の終わり、完成した傷薬を提出すると、グレタは満足げに頷いた。
「三人とも、よくできてるわ。特に、このリゼットさんの分量調整、細かいところまで丁寧ね」
「あ、ありがとうございます……」
照れくさそうに礼を言うリゼットの横顔を見ながら、アリアは、彼女への印象が少しずつ変わっていくのを感じていた。
教室を出たところで、メアリが駆け寄ってきた。
「アリアちゃん、大丈夫だった? リゼットさんと同じ班なんて……」
「うん、それが、意外と……悪くなかったよ」
「え、そうなの?」
目を丸くするメアリに、アリアは今日あったことを、かいつまんで話した。話しながら、自分でも不思議な気持ちになる。あれほど身構えていた相手と、まさかこんな形で心を通わせられるとは、思ってもみなかった。
夕方、寮の部屋に戻ったアリアは、鞄から出てきたクロノに、その日の出来事を報告した。
「リゼットさんね、今日、ちょっとだけ本音を話してくれたの」
「ほう。あの娘も、案外、複雑な事情を抱えておるようだな」
「うん……。完璧でいなきゃいけないプレッシャーって、辛いだろうな、って思った」
クロノは金色の瞳を細め、しばし考え込むように黙った。
「貴族というのは、生まれた瞬間から、家の名誉を背負わされるものだ。あの娘も、幼い頃から、さぞ厳しく育てられたのだろうよ」
「クロノ、貴族のこと、詳しいの?」
「まあ、それなりにな。長く生きておれば、色んな家の栄枯盛衰を見てきたものよ」
その意味深な言葉に、アリアは少しだけ首を傾げた。クロノが語る「長く生きた」という言葉の重みを、この時のアリアは、まだ正確には理解できていなかった。
「ともあれ、お前があの娘の懐に、少しでも入り込めたのなら、悪くない収穫だ。敵は少ないに越したことはないからな」
「敵って、そんな言い方……」
苦笑するアリアに、クロノは軽く鼻を鳴らした。
「人というのは、見た目や振る舞いだけでは分からぬものよ。お前がそうして少しずつ人を理解していく様は、悪くないものだ」
その言葉に、アリアは小さく頷いた。窓の外、夕暮れの空が、今日も静かに色を変えていく。
翌朝、教室に入ると、リゼットがすでに自分の席に座っていた。目が合うと、彼女はつんと澄ました表情のまま、それでも小さく会釈をしてくれた。
「おはようございます、ローゼンさん」
「お、おはようございます、リゼットさん」
取り巻きの令嬢たちが、その様子に驚いたように顔を見合わせている。だが、リゼット自身は気にする素振りも見せず、優雅に前を向いた。
その小さなやり取りだけで、アリアの心には、確かな温かさが灯っていた。リゼットとの間に生まれた小さな変化は、アリアの学園生活に、また一つ、新しい彩りを加えていた。




