第12話 薬草学の実習リゼットの影
薬草学の三度目の授業は、初めての野外実習だった。学園の裏山に自生する薬草を、実際に採取して見分ける、という内容だ。
「今日はグループを組んで、指定された薬草を三種類集めてもらいます。怪我をしないよう、気をつけて」
グレタの号令とともに、生徒たちは三、四人ずつのグループに分かれていく。アリアは自然な流れで、メアリ、リアム、そしてトビアスと同じ班になった。
「よろしくな、アリア! 薬草の見分け方、全然分かんないから頼りにしてる」
「わ、私も、そんなに得意なわけじゃ……」
謙遜しつつも、山道を歩き始めると、アリアの実力は自然と発揮された。幼い頃から母に連れられて薬草採りをしていた経験が、こんな形で役に立つとは思ってもみなかった。
山道は思いのほか険しく、根の張り出した箇所や、苔むした岩場が点在していた。メアリが何度か足を滑らせそうになるたび、トビアスが気さくに手を貸していた。
「気をつけろよ、メアリ。ここ、結構滑りやすいから」
「あ、ありがとう、トビアス君」
四人で助け合いながら、山道を慎重に登っていく。頭上を覆う木々の隙間から差し込む木漏れ日が、地面にまだらな模様を描いていた。
「あ、これ『銀色苔』です。湿った岩場に生えてて、止血に使われる薬草」
「おお、すごいな! 俺なんて、ただの苔にしか見えない」
トビアスが目を輝かせながら、アリアが指し示した苔をまじまじと観察する。
「ちなみに、似たような見た目で、毒性のある苔もあるので、注意が必要です。見分け方は、こう、縁の部分が微かに赤みを帯びているかどうかで……」
「げっ、そんなのあるのか! 危なく採っちゃうところだった」
「私も気をつけなきゃ……」
メアリも慌てた様子で、自分の周りの苔を確認し始めた。アリアはくすりと笑いながら、丁寧に見分け方を説明していく。誰かに何かを教えるという行為が、こんなにも自然に、そして楽しくできるようになったことに、アリア自身、少し驚いていた。
トビアスが感心する横で、リアムも興味深そうにアリアの説明を聞いていた。
「アリア嬢は、本当に知識が豊富だな。私も見習わなければ」
「い、いえ、そんな……」
照れくさそうに俯くアリアの横で、メアリがくすくすと笑いを堪えている。
「次はどんな薬草を探せばいいんだ?」
「えっと、次は『青光草』です。日の当たる場所に群生していて、葉が細長くて、触ると少しひんやりするのが特徴です」
「なるほど、覚えたぞ。よし、俺も探してみる」
トビアスが張り切って周囲を見回し始めた。少し離れた場所で、メアリが小さく手を振っている。
「アリアちゃん、こっちに何か生えてるかも!」
駆け寄ってみると、確かにそれらしき青みがかった草が群生していた。四人で協力しながら、次々と指定の薬草を見つけていく。誰かが失敗しても責めることなく、むしろ笑い合いながら作業を進める、そんな和やかな時間が流れていた。
三種類目の薬草、『黄金花』を探している途中、リアムがふと足を止め、崖の際に咲く一輪の花に目を留めた。
「あれは……なんという花だろう。見たことのない色合いだ」
アリアも興味を惹かれ、崖の縁からそっと覗き込んだ。淡い金色に輝く花びらが、風に揺れている。
「わあ、綺麗……。でも、あそこまでは、ちょっと危なそうですね」
「そうだな。無理に取りに行く必要はない」
リアムは名残惜しそうにしながらも、崖から視線を外した。その慎重さに、アリアは密かに好感を抱いた。無鉄砲に危険を冒すのではなく、きちんと状況を見極める――そういうところも、リアムの人柄を表しているように思えた。
「さ、気を取り直して、黄金花を探しましょう。確か、この辺りの木の根元に多いはずです」
アリアの案内で、一行は無事に三種類目の薬草も見つけることができた。
順調に採取を進めていたグループだったが、山道の分かれ道で、思いがけない人物に出くわした。
「あら、こんなところで奇遇ね」
縦ロールの金髪、リゼットだった。彼女もまた、別のグループで実習に参加しているらしい。取り巻きの令嬢たちを引き連れ、優雅な足取りでこちらに近づいてくる。
「リゼット嬢」
「リアム様、ご機嫌よう。それにしても……」
リゼットの視線が、すっとアリアへと向けられた。値踏みするような、冷たい視線。
「随分と、仲良さそうにしていらっしゃるのね。同じ選択授業だなんて、奇遇にもほどがありますわ」
その声音には、隠しきれない棘があった。アリアは思わず身を縮めた。
「実家の事情で選んだだけだ。他意はない」
リアムがさらりと答えるが、リゼットの表情は変わらなかった。
「そう。……ローゼンさん、でしたかしら。あなた、随分と要領がよろしいのね。目立たないふりをしながら、着実に評判を上げていくなんて」
「そ、そんなつもりは……」
「ふふ、別に責めているわけではないわ。ただ、少し気になっただけ」
リゼットは扇子を優雅に揺らしながら、値踏みするような視線を崩さなかった。取り巻きの令嬢の一人が、それに追従するように小さく口を挟む。
「週間成長賞まで頂いたのですものね。初級班からとは、随分と珍しいこと」
「な、成長賞のことまで……」
思いがけない指摘に、アリアの心臓が跳ねた。この学園では、噂の広まる速さが、思っていた以上に早いらしい。
優雅な笑みを浮かべたまま、リゼットはそれ以上何も言わずに踵を返した。取り巻きたちを連れて去っていくその背中を、アリアは複雑な気持ちで見送った。
「気にすることはない。彼女は昔から、少し気位が高いだけだ」
リアムのフォローに、アリアはぎこちなく頷いた。だが、リゼットの言葉には、単なる意地悪では片付けられない、何か鋭い観察眼が潜んでいるように感じられてならなかった。
(要領がいい……か。もしかして、リゼットさんは、私が何かを隠してるって、勘づいてる……?)
「大丈夫か、アリア? 顔色、あんまり良くないぞ」
トビアスが心配そうに顔を覗き込んでくる。アリアは慌てて笑顔を取り繕った。
「だ、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」
「そっか。リゼット嬢、ああいう言い方するけど、悪気はないと思うぞ、多分」
トビアスの気遣いに、アリアは小さく頷いた。それでも、胸の奥に残る小さな棘は、そう簡単には消えてくれそうになかった。
その日の実習は無事に終わり、指定された三種類の薬草も無事に採取できた。帰り道、四人で山道を下りながら、グレタが用意してくれた冷たい水を分け合って飲んだ。
「今日の実習、楽しかったな! アリアのおかげで、随分助かったよ」
「私も、久しぶりに体を動かして、気持ちよかったです」
メアリとトビアスの明るい言葉に、アリアは少しだけ気持ちが軽くなるのを感じた。
「なあ、今度またグループ実習があったら、同じ班になろうぜ」
「うん、私も、アリアちゃんと一緒がいいな」
「え……あ、うん、ありがとう」
思いがけない言葉に、アリアは少し照れくさそうに頷いた。リアムも、小さく微笑みながら同意するように頷いている。四人で他愛のない話をしながら、山道を下りていくひととき――それは、リゼットとの一件を差し引いても、確かに温かい時間だった。
だが、アリアの心には、リゼットの視線がもたらした小さな棘が、いつまでも消えずに残っていた。
夜、寮の部屋でクロノにその日の出来事を話すと、彼は珍しく真剣な顔つきで耳を傾けた。
「リゼット・アンバートン、か。アンバートン家といえば、たしか、代々優秀な光属性の使い手を輩出する名家であったな」
「そうなの?」
「ああ。光属性というのは、稀少な上に、感知能力に優れる者が多い。あの娘、もしかすると、お前の異質さに、本能的に気づいているのかもしれんぞ」
クロノの言葉に、アリアの背筋がひやりと冷えた。
「そ、それって……」
「案ずるな。今すぐどうこうという話ではない。ただ、今まで以上に、慎重に振る舞う必要があるということだ」
「うん……分かった」
アリアは神妙な面持ちで頷いた。クロノは、ふさふさの尻尾でそっとアリアの手を撫でる。
「あまり気に病みすぎるでないぞ。お前には、儂がついておる」
「うん……ありがとう、クロノ」
その言葉に、少しだけ心が軽くなる。それでも、リゼットの値踏みするような視線の記憶は、簡単には拭い去れそうになかった。
「ねえ、クロノ。もし、リゼットさんに何か気づかれてたら……私、どうすればいいのかな」
クロノはしばし黙り込んでから、静かに答えた。
「今のところ、確証を掴んでいるようには見えぬ。ただの勘、あるいは光属性特有の感覚的なものだろう。慌てて不自然な行動を取れば、かえって怪しまれる。今まで通り、自然体で過ごすのが一番だ」
「自然体……か。それが、一番難しいんだけどね」
思わず苦笑するアリアに、クロノは軽く鼻を鳴らした。
「難しいからこそ、意味がある。案ずるな、お前はよくやっておる」
その素っ気ない、けれど確かな励ましの言葉に、アリアは小さく頷いた。
窓の外、二つの月が静かに輝く夜空を見上げながら、アリアは深く息を吐いた。
寝台に横たわり、天井を見つめながら、アリアはこの日一日の出来事を反芻していた。薬草採りの楽しさ、トビアスやメアリとの何気ない笑い合い、リアムの意外な一面、そして――リゼットの、値踏みするような視線。
(大丈夫、大丈夫。今まで通りにしていれば、きっと……)
自分に言い聞かせるように呟きながら、アリアはゆっくりと目を閉じた。友人との温かい時間の裏側で、確実に近づいてくる何かの気配を、アリアはまだ、はっきりとは掴みきれずにいた。それでも、明日もまた、この学園での新しい一日が始まる。その事実だけは、確かな安心として、アリアの心の片隅にそっと灯っていた。




