第11話 選択授業の申し込み
週明けの朝、掲示板前には選択授業の申し込み用紙を求める生徒たちの長い列ができていた。
「うわあ、みんな早いね」
「気になる授業は、すぐ定員になっちゃうらしいよ」
アリアとメアリも列に並びながら、案内用紙を見比べていた。悩みに悩んだ末、二人はそれぞれの選択を決めていた。
「私は結局、薬草学にする。実家を思い出せそうだし」
「私は水属性活用基礎かなあ。せっかく水属性だし、伸ばせるだけ伸ばしたくて」
「メアリさんなら、きっとすぐ上達しそうだね」
「えへへ、そう言ってもらえると嬉しいな」
「メアリさんらしい選択だね」
「アリアちゃんも、薬草学にするって、なんか納得。お母さんの影響、大きいんだね」
「うん……。故郷を離れてから、ちょっと寂しかったから。せめて授業の中で、懐かしい気持ちになれたらいいなって」
「分かる気がする。私も、実家のパン屋の匂い、たまに恋しくなるもん」
二人でしみじみと頷き合いながら、列が少しずつ進んでいくのを待つ。周りの生徒たちも、思い思いに授業選びについて相談し合っていた。「結界術基礎、絶対取りたいのに、もう定員間近らしいよ」という声や、「錬金術は準備物が多いから大変そう」という声が、あちこちから聞こえてくる。
列に並びながら、二人は他の生徒たちの会話にも耳を傾けた。「結界術基礎」を選んだという上級生らしき生徒が、「あそこは倍率高いから、抽選になるかもよ」と話しているのが聞こえ、アリアは少しだけ緊張した面持ちで案内用紙を見つめ直した。
申し込み用紙に記入し、担当窓口に提出する。あっけないほど簡単な手続きで、アリアの選択授業は「薬草学」に決まった。
初回の薬草学の授業は、学園の裏手にある温室で行われた。ガラス張りの建物の中には、見たこともない色とりどりの植物が所狭しと並び、むせ返るような緑の匂いが満ちている。
「わあ……」
その光景に、アリアは思わず声を漏らした。故郷の薬草畑とはまるで規模が違う、圧倒的な植物の楽園。天井近くまで蔓を伸ばした見慣れぬ蔓植物や、ぽってりとした丸い葉をつけた鉢植えが、幾列にも渡って並んでいる。
「すごい……こんなにたくさんの種類、見たことない」
隣を歩くメアリも、興味深げにあちこちを見回していた。
「初めまして、薬草学担当のグレタです。よろしくね」
現れたのは、日焼けした肌に、たくましい体つきの、いかにも野外活動が好きそうな女性教師だった。首元にはいくつもの薬草を編んだ首飾りをかけている。
「今日は顔合わせと、簡単な薬草の見分け方から始めましょう。まずは、みんな好きな場所に座って」
温室の隅、木製のベンチに腰掛けようとしたアリアは、隣にすでに座っている人物に気づき、思わず固まった。
「……あ」
プラチナブロンドの髪。リアムだった。
「奇遇だな、アリア嬢。まさか、選択授業でも一緒になるとは」
「え、あ、リアム様も薬草学を……?」
「ああ。実家の領地で、薬草栽培を推奨する政策を考えていてな。基礎知識くらいは身につけておきたいと思ったんだ」
思いがけない理由に、アリアは少し驚いた。てっきり、複合属性特進班のような、華々しい授業ばかり選ぶものだと思い込んでいたからだ。
(意外……リアム様も、ちゃんと将来のこと考えてるんだ)
「アリア嬢は? どうして薬草学を?」
「わ、私は、実家が薬草師で……その、懐かしくて」
「そうか。なら、君の方が私よりずっと詳しいかもしれないな」
リアムは小さく笑った。屈託のない、素直な笑顔。今まで見てきた、どこか近寄りがたい雰囲気とは違う、年相応の柔らかさが、そこにはあった。
(あれ……リアム様って、こんな風に笑うんだ……)
思わず見惚れていたアリアは、グレタの声で我に返った。
「はい、それじゃあ皆さん、こちらの薬草を見てください。これは『癒しの葉』、傷の治療によく使われる、初心者にも扱いやすい薬草です」
グレタは葉を一枚摘み取り、生徒たちに手渡しながら、それぞれの特徴を説明していった。
「葉の裏側を見てみて。うっすらと、金色の筋が入っているのが分かるかしら。これが、上質な癒しの葉の証拠よ」
アリアは手渡された葉をじっくりと観察した。故郷で母から教わった見分け方と、ほとんど同じだったことに、密かな懐かしさを覚える。
「あ、これ、母がよく言ってました。筋が濃いほど、効き目が強いって」
「あら、よく知ってるわね。その通りよ」
グレタは感心したように頷いた。それから、グレタは薬草の保存方法や、採取に適した時期についても丁寧に説明してくれた。
「薬草は、採取するタイミングが命よ。朝露が残っているうちに摘むのと、日が高くなってから摘むのとでは、効能がまるで違ってくることもあるの」
「そうなんですね……知らなかった」
メアリが感心したように相槌を打つ。アリアもまた、故郷では当たり前だと思っていた知識が、こうして体系的に語られることで、新鮮な驚きとともに理解が深まっていくのを感じていた。
授業が始まると、アリアは自然と集中し、リアムとの会話のことを忘れていった。故郷で慣れ親しんだ薬草の名前や特徴が、次々と語られていく。時折、グレタの質問に真っ先に答えてしまい、周囲から感心の声が上がることもあった。
「ローゼンさん、詳しいわね。もしかして、経験者?」
「あ、はい……実家が薬草師をしていて」
「なるほど、道理で。今後、色々と頼りにさせてもらうかもしれないわ」
隣でその様子を見ていたリアムが、小さく感嘆の声を漏らした。
「本当に博識なんだな。見ていて飽きない」
「い、いえ、そんな……ただ、慣れているだけで」
照れくさそうに俯くアリアに、リアムはくすりと笑った。その笑顔に、アリアの胸が思わずどきりと跳ねる。
授業の後半では、実際に温室の薬草を使った簡単な実習も行われた。二人一組になって、癒しの葉から抽出液を作るという課題だったが、アリアとリアムは自然な流れでペアを組むことになった。
「よろしく頼む。こういう繊細な作業は、あまり得意じゃないんだ」
「わ、私にお任せください。母から、よく手伝わされてたので」
アリアが手際よく葉をすり潰し、水と混ぜ合わせていく様子を、リアムは感心したように見つめていた。
「本当に手慣れているんだな。まるで、専門の薬師のようだ」
「そ、そんな大げさな……」
照れながらも、アリアはどこか誇らしい気持ちで作業を続けた。誰かに「得意なこと」を認めてもらえるという経験が、こんなにも嬉しいものだとは、これまで知らなかった。
授業の終わり、温室を出る道すがら、リアムがふと声をかけてきた。
「アリア嬢は、本当に博識なんだな。薬草の知識だけじゃなく、魔法の制御も、驚くほど繊細だ」
「そ、それは、その……」
「いや、詮索するつもりはない。ただ、単純に感心しているだけだ」
その言葉に他意は感じられなかったが、アリアの胸には、やはり小さな棘のような緊張が残った。優しさと不安が同居する、この不思議な感覚に、アリアはまだ慣れることができずにいた。
「アリア嬢は、将来、どんな道に進みたいと考えているんだ?」
ふと尋ねられ、アリアは少し戸惑った。将来のことなど、これまであまり深く考えたことがなかった。
「わ、私は……まだ、はっきりとは。でも、いつか、故郷に戻って、母のように薬草師になれたらって、少しだけ思っています」
「そうか。それは、きっと素敵なことだろうな」
リアムは柔らかく微笑んだ。その屈託のない表情に、アリアの胸は、また小さく高鳴った。
温室を出たところで、メアリが待っていてくれた。
「アリアちゃん、お疲れ様! どうだった、薬草学」
「うん、すごく楽しかった。懐かしい気持ちになれたし」
「よかったね! ……って、あれ、なんでリアム様と一緒に出てきたの?」
メアリが目をまん丸にして尋ねてくる。アリアは慌てて手を振った。
「た、たまたま同じ授業だっただけだよ!」
「ふうん……まあ、いいけど。今度、詳しく聞かせてよね」
からかうような笑みを浮かべるメアリに、アリアは頬を赤らめながら、答えに窮した。
「べ、別に、話すことなんて何もないよ!」
「あやしい〜。まあ、無理には聞かないけどね」
メアリはくすくすと笑いながら、アリアの腕に自分の腕を絡めた。二人で連れ立って寮への道を歩きながら、今日の授業の感想を、あれこれと語り合う。他愛のない会話が、いつの間にか、アリアにとってかけがえのない日常になりつつあった。
夕暮れの中庭を歩きながら、アリアはそっと呟いた。
「選択授業、ちょっと悩んだけど……薬草学にして、良かったかも」
鞄の中から、クロノの小さな声が返ってくる。
「ほう、あの小僧と同じ授業になったのは、果たして幸運か、それとも――」
「そ、それ以上は言わないで!」
慌てて遮るアリアの声が、静かな中庭に小さく響いた。
「くふふ、分かりやすい反応よ」
「も、もう! からかわないでよ、クロノ!」
頬を膨らませるアリアに、クロノは楽しげに喉を鳴らした。
「じゃが、まあ、良い出会いには違いあるまい。あの小僧、性根は悪くなさそうだ」
「クロノがそんな風に人を褒めるの、珍しいね」
「儂とて、見る目くらいはあるわ」
得意げに言うクロノに、アリアはくすくすと笑った。振り返れば、この一週間で出会った人々――メアリ、リタ、クララ、そして今日改めて言葉を交わしたリアム――それぞれとの関わりが、アリアの中に少しずつ、確かな温かさを積み重ねていた。
寮の部屋に戻ったアリアは、窓辺に腰掛け、今日一日を振り返りながら、小さく息をついた。目立たずに、静かに過ごすはずだった学園生活は、想像していたよりもずっと賑やかで、そして、ずっと豊かなものになりつつあった。
第一週目とは違う種類の悩みを抱えながらも、アリアの学園生活は、確実に新しい局面へと足を踏み入れつつあった。窓の外、夕暮れの空に一番星が瞬き始めていた。




