第10話 小さな成長
入学からちょうど一週間が経った金曜日の夕方、実技棟の掲示板前に、小さな人だかりができていた。
「見て、今週の『週間成長賞』の発表だって」
「クラスごとに、一番成長した生徒が選ばれるらしいよ」
週に一度、各実技クラスの教師が、その週で最も著しい成長を見せた生徒を一人選び、掲示するのだという。アリアはあまり関心なく、その横を通り過ぎようとした。
「あ、アリアちゃん! 見て見て、Dクラスのところ!」
メアリに腕を引かれ、アリアは渋々掲示板を覗き込んだ。そこには、確かに――
「Dクラス週間成長賞:アリア・ローゼン」
自分の名前が、大きく書かれていた。
「え……え、ええっ!?」
「すごいじゃん、アリアちゃん! おめでとう!」
周りの生徒たちからも、次々と祝福の声が飛んでくる。トビアスなどは、我が事のように喜んで、アリアの肩を叩いた。
「やるなあ、アリア! お前、最初はもっと控えめな印象だったのに、この一週間でぐんぐん伸びたもんな」
「あ、あの、私、そんな大したことは……」
しどろもどろになりながらも、アリアの胸には、確かな喜びがじんわりと広がっていた。目立ちたくないと思っていたはずなのに、こうして誰かに認められることが、こんなにも嬉しいことだとは、思ってもみなかった。
(目立つのは怖い……でも、これは、悪い意味の目立ち方じゃない、よね……?)
複雑な感情を抱えながらも、アリアは小さく、けれど確かに微笑んだ。
掲示板のすぐそばで、実技担当のリタが、にこやかにこちらへ歩いてきた。
「おめでとう、ローゼンさん。あなたの頑張り、ちゃんと見ていたわよ」
「り、リタ先生……! ありがとうございます」
「最初の授業で見せてくれた、あの繊細な風の渦のこと、今でもよく覚えているわ。あなたには、他の生徒にはない、独特の感覚があると思うの」
リタは眩しいものを見るような目で、アリアを見つめた。その視線に気恥ずかしさを覚えながらも、アリアは素直に嬉しさを感じていた。
「これからも、その調子で頑張ってね。楽しみにしているから」
リタの温かい言葉に、アリアは胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。少し離れた場所からは、トビアスの取り巻きの一人が「初級班からでも成長賞取れるんだな」と感心したように呟いているのが聞こえてきて、なんだか妙にくすぐったい気持ちになった。
そう言い残し、リタは他の生徒たちの対応に戻っていった。その後ろ姿を見送りながら、アリアはそっと胸に手を当てた。誰かに期待されるということが、こんなにもくすぐったく、そして嬉しいものだとは知らなかった。
「ねえねえ、今夜、お祝いしようよ! 食堂で、特別デザート頼んじゃおう」
「え、そんな、大げさだよ……」
「いいの、いいの! こういう時こそ、ちゃんとお祝いしなきゃ!」
メアリの明るい提案に、アリアは結局押し切られる形で頷いた。
放課後、寮の部屋に戻ったアリアは、鞄からするりと出てきたクロノに、その日あったことを報告した。
「週間成長賞だって。信じられる? 私が」
「ふむ、当然の結果よ。お前は、この一週間で著しく成長した。儂の目に狂いはなかったな」
得意げに言うクロノに、アリアは思わず苦笑した。
「クロノのおかげだよ。色々教えてくれたし、助けてくれたし」
「まあ、それもあるが……大半は、お前自身の努力の賜物だ。誇るがいい」
珍しく素直な褒め言葉に、アリアの頬が緩む。窓の外では、一週間の終わりを告げるように、夕焼けが空を茜色に染めていた。
「振り返ると、本当にいろんなことがあった一週間だったなあ……」
入学式での使い魔騒動、属性測定での抑え込み、リゼットとの不穏な接触、リアムとの度重なる遭遇、メアリという大切な友人との出会い、リタとの個別指導、図書館でのクララとの出会い……。目まぐるしいほどの出来事が、たった七日間の中に詰め込まれていた。
「こうして数えてみると、本当に、色んな人に出会ったんだなあって思う」
「うむ。お前は元来、人との縁を避けて生きるつもりだったのだろうが……蓋を開けてみれば、この通りだ」
「うっ……それを言われると、返す言葉もないけど」
アリアは苦笑しながら、頬をかいた。目立たないようにという最初の決意は、この一週間で、もう何度綻びたか分からない。それでも不思議と、後悔の念は湧いてこなかった。
「クロノは、今週一番印象に残ったこと、何かある?」
ふと尋ねてみると、クロノはしばし考え込むように黙り込んだ。
「……そうさな。お前が図書館で、あの見習い司書の娘を助けていた時のことだ」
「え、あの時のこと?」
「うむ。損得勘定もなく、ただ純粋に、困っている者を助けようとする。そういう姿を見るのは、悪くないものだ」
思いがけない答えに、アリアは少し驚きながらも、頬を緩めた。
「クロノがそんなこと言うの、なんか意外」
「儂とて、褒めるべきところは褒めるのだ。あまり調子に乗るでないぞ」
いつもの素っ気ない口調に戻りながらも、その言葉の端々に滲む優しさに、アリアは小さく笑みをこぼした。
「これから先も、きっと色々あるんだろうな」
「当然よ。何しろ、お前は普通の生徒ではないのだからな」
クロノの言葉に、アリアは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに気を取り直すように首を振った。
「でも、大丈夫。クロノがいてくれるし、メアリもいるし……リタ先生も、味方だって言ってくれたから」
窓辺に座り、二つの月を見上げながら、アリアは小さく息をついた。目立たないように、地味に過ごすという当初の願いは、もはや遠い理想になりつつあったけれど、その代わりに、かけがえのない繋がりが、少しずつこの手の中に増えていく。それもまた、悪くない未来なのかもしれない——そんな予感を胸に、王立マグノリア魔法学園での、慌ただしくも温かい一週間目の夜は、静かに更けていった。
その夜、食堂で開かれたささやかなお祝いの席では、メアリが張り切って甘いパイを二つも注文し、半分ずつ分け合って食べた。
「うーん、幸せ……! 頑張った甲斐があったね、アリアちゃん」
「メアリさんのおかげだよ。いつも励ましてくれるから」
「そんなことないよー。アリアちゃんが頑張ってるの、ちゃんと見てたから、私も嬉しいの」
二人で顔を見合わせて笑い合う、そんな何気ない時間が、アリアにとっては何よりの宝物になりつつあった。
「ねえ、アリアちゃん。入学する前は、どんな学園生活を想像してた?」
ふとメアリに尋ねられ、アリアは少し考え込んだ。
「うーんとね……とにかく、誰にも注目されずに、静かに過ごせたらいいなって、それだけ考えてた」
「へえ、意外。私はもう、友達いっぱい作って、賑やかに過ごしたいなって思ってたよ」
「メアリさんらしいね」
くすくすと笑い合いながら、アリアはふと、入学式の日の緊張を思い出していた。あの頃思い描いていた未来と、今実際に過ごしている日々とは、ずいぶん違うものになっている。それでも、決して悪い方向にずれてしまったわけではないと、今のアリアには思えた。
「静かに過ごすはずが、随分賑やかになっちゃったね」
「うん……本当に」
苦笑しながらも、その響きには、確かな温かさが滲んでいた。
翌朝、朝食の席で、メアリが一枚の紙切れをひらひらと振りながらやってきた。
「アリアちゃん、見て。来週から『選択授業』の申し込みが始まるんだって」
「選択授業?」
「うん、必修の四元素魔法とは別に、自分で選んで受けられる授業があるみたい。薬草学とか、古代語学とか、結界術基礎とか、色々あるんだって」
差し出された案内用紙には、ずらりと授業名が並んでいた。アリアはそれを覗き込みながら、少し考え込む。
「結界術基礎……なんだか、難しそう」
「私は薬草学にしようかな。実家がパン屋だから、あんまり縁がなさそうだけど、興味あって」
「薬草学かあ……私の実家、薬草師だから、ちょっと懐かしいかも」
二人でああでもないこうでもないと相談しながら、案内用紙を見比べる。どの授業を選ぶかによって、この先出会う人々も、経験することも、大きく変わっていくのだろう。
「他にはどんな授業があるの?」
「えっと……『魔法生物学』、『錬金術基礎』、『結界術基礎』、それから『古代ルーン文字解読』……結構種類があるんだね」
アリアは案内用紙を指でなぞりながら、一つ一つの授業名を読み上げていった。どれも聞いたことのない専門的な響きで、想像するだけで少し胸が高鳴る。
「錬金術基礎って、面白そうだよね。ポーションとか作れるようになるのかな」
「うーん、私はあんまり、薬品を扱うのは得意じゃないかも……。アリアちゃんは、薬草師のお母さんの影響で、そういうの得意そうだね」
「そう、かな……。でも、実際にやってみないと分からないよね」
「あ、これ見て。『古代ルーン文字解読』っていう授業もあるんだ。特別書庫の本を使うことがある、って書いてある」
「特別書庫……図書委員か上級生じゃないと入れないところだよね。なんだか気になるね」
案内用紙の隅に小さく記された注意書きに、アリアは少しだけ心を惹かれた。図書館でソフィアが口にしていた、意味深な言葉を思い出す。
(変わったものが眠っている、か……。もしかして、関係あるのかな)
「アリアちゃん、どうしたの? ぼーっとして」
「ううん、なんでもない。ちょっと、気になる授業があっただけ」
(選択授業か……。どれを選んだらいいんだろう)
「申し込みの締め切りって、いつまでだっけ?」
「えっと……来週の水曜日までだって。まだ少し時間あるから、じっくり考えようよ」
「うん、そうだね」
二人で顔を見合わせ、朝食の続きを口に運びながら、これから始まる新しい一週間に思いを馳せた。窓の外では、澄み切った青空が広がり、遠くの塔から、朝を告げる鐘の音が、透き通るように響き渡っていた。
新しい一週間の始まりを予感させる、小さな悩みの種。それすらも、今のアリアにとっては、決して嫌なものではなかった。窓の外に広がる朝の光を浴びながら、アリアは案内用紙を大切に鞄へとしまい込んだ。




