↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風読みの魔女は静かに過ごしたい  作者: おおりく
2章 初めての一週間 芽生えた絆

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/31

第9話 個別指導

 放課後の実技棟、人気の少ない小演習場で、アリアはリタとの初めての個別指導を受けていた。夕方の柔らかな光が、演習場の白い壁をほんのりと橙色に染めている。


「では、さっき図書館で見つけたという『心象風景法』、試してみましょうか」


「は、はい……」


「緊張しなくて大丈夫よ。まずは、深呼吸から始めましょう」


 リタに促され、アリアは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。肩の力が、少しずつ抜けていくのが分かる。


「目を閉じて。そして、あなたにとって一番安らげる場所を思い浮かべてみて」


 リタに促され、アリアは目を閉じた。本で読んだ通り、心の中に、静かで安らかな場所を思い描く。


(静かな場所……)


 思い浮かんだのは、故郷の薬草畑だった。朝露に濡れた葉、遠くの山並み、母が鼻歌交じりに薬草を摘む後ろ姿。あの穏やかな時間が、アリアにとって最も「静かな場所」だった。風が畑を撫でる音、土の匂い、遠くで鳴く鳥の声――記憶の中の光景は、驚くほど鮮明に蘇ってきた。


 心の中にその光景を広げていくと、不思議なことに、体の奥でざわめいていた莫大な魔力が、すうっと凪いでいくのを感じた。


「……あ」


「どう? 何か変化はあった?」


「はい……なんだか、いつもより、ずっと落ち着いてる気がします」


 リタは満足げに頷いた。


「それが心象風景法の効果よ。自分だけの『静かな場所』を持っていると、感情が乱れた時でも、魔力を安定させる助けになるの。人によって、思い浮かべる景色は様々よ。海辺だったり、暖炉の前だったり」


「先生の『静かな場所』は、どんな景色なんですか?」


 ふと気になって尋ねると、リタは少し照れくさそうに微笑んだ。


「私の場合は、子供の頃によく遊んだ、古い教会の鐘楼ね。今でも、目を閉じるとあの鐘の音が聞こえてくるの」


「素敵な景色ですね……」


「ふふ、ありがとう。さあ、今度はあなたの番。もう一度、薬草畑の景色を思い浮かべながら、指先に意識を集中してみて」


 そんな他愛のない会話を交わしながら、アリアは実際に指先で小さな風を生み出してみた。いつもより格段に制御しやすく、危うさのない、澄んだ渦を作ることができた。


「わあ……いつもより、ずっと安定してる」


「素晴らしいわ。じゃあ、次は少し応用してみましょう。その渦を、ゆっくりと二つに分けてみて」


「二つに……? そんなこと、できるんでしょうか」


「大丈夫、焦らなくていいから、少しずつね」


 言われた通り、アリアは慎重に意識を割り振っていく。最初はうまくいかず、渦が一つに戻ってしまったが、何度か試すうち、指先に、小さな二つの風の粒がふわりと生まれた。


「できた……! 先生、できました!」


「見事だわ。初めてでここまでできる子、本当に珍しいのよ」


 リタの惜しみない賞賛に、アリアは頬を紅潮させながら、素直な喜びを噛みしめていた。


「素晴らしいわ。もう、初級班の域を超えているんじゃないかしら」


「そ、そんな……! まだまだです」


 慌てて謙遜するアリアに、リタはくすりと笑った。


「謙虚なのはいいことだけれど、自分の成長は、もっと素直に喜んでもいいと思うわよ」


 その言葉に、アリアは少しだけ照れくさそうに俯いた。それから小一時間ほど、リタは風の渦の大きさを段階的に変える練習や、複数の渦を同時に操る簡単な応用まで、丁寧に指導してくれた。失敗しても決して咎めず、むしろ「今のは惜しかったわね」と、前向きな言葉をかけ続けてくれるリタの指導は、アリアにとって、これまでにない安心できる時間だった。


 途中、汗を拭うアリアに、リタは涼やかな飲み物を差し入れてくれた。


「はい、水分補給も大事よ。魔力を使うと、思った以上に体力を消耗するから」


「ありがとうございます……。あの、先生は、いつからこの学園で教えてらっしゃるんですか?」


「もう五年になるかしら。私自身、この学園の卒業生でね。恩師に憧れて、教師になったの」


 リタは懐かしそうに目を細めながら、少しだけ昔話をしてくれた。学生時代、彼女もまた、風属性の制御に苦労した時期があったのだという。


「だから、あなたの気持ち、少しは分かるつもりよ。焦らなくていいの。一歩ずつでいいから」


 その言葉が、アリアの胸に静かに染み込んでいった。


 指導の終わり際、リタはふと、思い出したように尋ねた。


「そういえば、ローゼンさんは、なぜ風属性の中でも、そんなに『弱く』見せようとしているのかしら?」


 心臓が、どくん、と大きく跳ねた。


(な、なんで、そんなこと……!)


「え、えっと、それは……」


 しどろもどろになるアリアを見て、リタは慌てたように手を振った。


「ああ、ごめんなさい、詮索するつもりじゃなかったの。ただ、あなたの魔力の『質』そのものは、決して弱くないように感じたものだから」


「そ、それは……気のせいだと思います、多分……」


 しどろもどろになりながら誤魔化すアリアに、リタはそれ以上追及することなく、穏やかに微笑んだ。


「まあ、人にはそれぞれ事情があるものね。無理に聞き出すつもりはないわ。ただ——」


 リタの声が、ふと優しさを増した。


「もし、いつか話したくなったら、いつでも聞くから。私はあなたの味方よ」


 その言葉に、アリアの胸の奥が、じんわりと温かくなった。秘密を抱えたまま生きることに慣れてしまっていたけれど、こうして味方だと言ってくれる大人がいるということが、こんなにも心強いのだと、初めて実感した気がした。


「……ありがとうございます、リタ先生」


「どういたしまして。さ、今日はここまでにしましょう。頑張りすぎず、ゆっくりね」


 リタは道具をまとめながら、最後にもう一言、付け加えた。


「それと、次回はもう少し実践的な演習も取り入れてみましょうか。あなたなら、きっとすぐに慣れると思うから」


「は、はい、頑張ります」


 少し緊張しつつも、期待に胸を膨らませながら、アリアは頷いた。


 演習場を出て、夕暮れの回廊を歩きながら、アリアは今日の出来事を反芻していた。心象風景法、リタの優しさ、そして「味方」という言葉。


 鞄の中から、クロノの小さな声が聞こえた。


「良い先生に出会えたようだな」


「うん……なんか、今日はすごく、心が軽い気がする」


「その調子でいい。無理に一人で抱え込む必要はないのだぞ」


 クロノの珍しく優しい言葉に、アリアは小さく頷いた。空を見上げると、茜色の夕焼けが、少しずつ藍色へと移り変わろうとしていた。


 寮の入り口の少し手前で、アリアはふと、噴水の縁に腰掛けている人影に気づいた。プラチナブロンドの髪――リアムだった。彼は本を片手に、誰かを待つでもなく、ただぼんやりと空を見上げている。


(あ……)


 気づかれないうちに通り過ぎようとしたが、間の悪いことに、リアムの方が先にこちらを向いた。


「アリア嬢。奇遇だな」


「あ……こ、こんばんは」


 気まずさを押し殺しながら、アリアは小さく会釈をした。リアムは本を閉じ、少し考えるような間を置いてから、静かに口を開いた。


「この間は、変なことを聞いて悪かった。それに、放課後の中庭でも……見るつもりはなかったんだが、つい」


「い、いえ、そんな……」


「ただ」


 リアムの空色の瞳が、まっすぐにアリアを捉えた。


「君は、いつも何かを隠しているように見える。無理に聞き出すつもりはないが……もし困ったことがあれば、遠慮なく言ってほしい。曲がりなりにも、同じクラスの仲間だ」


 その言葉に他意はないようだった。ただ純粋な、気遣いの言葉。アリアは思わず言葉に詰まった。


「……ありがとう、ございます」


 それだけを返すのが、精一杯だった。リアムは小さく頷くと、それ以上は何も聞かず、静かに立ち上がった。夜風が、彼のプラチナブロンドの髪を優しく揺らす。


「では、また授業で」


 そう言い残し、リアムは去っていった。残されたアリアは、しばらくその場に立ち尽くしていた。優しさと不安が入り混じった、複雑な感情が胸の中で渦を巻いている。


(リアム様……本当に、何も知らないよね……? それとも……)


 答えの出ない問いを抱えたまま、アリアはゆっくりと寮への階段を上っていった。部屋に戻り、窓辺に立って夜空を見上げると、二つの月が、今夜も静かに輝いていた。


 夕食を終え、自室に戻ったアリアは、寝台に腰掛けて、鞄からするりと抜け出したクロノに、今日一日の出来事を振り返って話した。


「クロノ、聞いて。リタ先生に、心象風景法をすごく褒めてもらえたの。それに、応用の練習も、思ったよりうまくできて」


「ほう。それは重畳。お前の努力が、少しずつ形になっておるということだろう」


「うん……。でも、リアム様に、変なこと聞かれちゃった。何か隠してるみたいだ、って」


 クロノは金色の瞳をわずかに細め、しばし黙り込んだ。


「……あの小僧、存外、鋭いところがあるな。じゃが、案ずるな。あの言葉には、悪意も企みもなかったように儂には感じられた」


「そう、なのかな……」


「うむ。ただの、素朴な気遣いよ。無論、油断は禁物だがな」


 クロノの言葉に、アリアは少しだけ肩の力を抜いた。今日一日で得た、心象風景法という新しい術と、リタやリアムから向けられた思いがけない優しさ――それらを胸に抱きながら、アリアは小さく息をついた。


「ねえ、クロノ。私、最初は目立たないように、地味に過ごすことばかり考えてたけど……最近、ちょっとずつ、色んな人と関わることが増えてきた気がする」


「うむ、確かにな」


「これって……悪いことなのかな」


 クロノは、ふさふさの尻尾でアリアの手をぽんと叩いた。


「悪いことなど、あろうはずがない。むしろ、お前がそうして少しずつ心を開いていく様は、見ていて悪くないものだ」


 その素っ気ない、けれどどこか優しい言葉に、アリアはくすりと笑った。窓の外、二つの月が、いつもより一層柔らかく輝いているように見えた。


「……明日も、頑張ろう」


 誰に言うでもなく呟いたその言葉には、これまでにない、確かな前向きさが滲んでいた。心象風景法という新しい支えと、リタやリアム、そしてクロノという味方を胸に、アリアの学園生活は、少しずつ、けれど確かに、豊かな色彩を帯び始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。