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小人の辞  作者: EndoArisa


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詩的な、あまりにも私的な


 優れた小説とはなんだろうか。物語が面白いもの、テンポがいいもの、筋が巧みなもの、読みやすいもの、テーマが個性的なもの、表現技法が富んでいるもの、売り上げのいいもの……そういう小説は紛れもなく優れた小説と呼べよう。きっと誰も異存はないはずだ。そういう意味で、小説には巧拙というものが存在する。

 それなら、優れた詩とはなんだろうか。小説のそれと同じなのだろうか。読みやすかったり、独特なテーマだったり、技巧に富んでいたり、誰もが知っていたり、そういう詩が優れた詩なのだろうか。その通りだという人もあるかもしれないが、少なくとも私にはそうは思われない。優れた詩か否かを決める基準というものは、もっと漠然としたもののような気がする。

 結論から言うと、究極な点で詩において巧拙というものは存在しない。そこにあるのは、ただ好きか嫌いか、それだけだ。それだけが優れた詩を決めるうえでの判断基準であるべきだ、と私は思う。

 どれだけ上手に書いてある詩でも、つまらないと感じることはあるし、逆にどれだけ拙くて見苦しくても、どこか心に訴えてくる詩というのもある。もちろんテストの採点をするように、客観的に巧拙を判断することはできるが、それもむなしい。一見うまく書いてあるが響かない詩ほど、見ていてむなしいものはない。

 好きか嫌いか、とは言ったが、その程度はどうだっていい。例えば、私は有名な詩人のマズイ作品を見つけると少しうれしい気持ちになるが、その詩も好きのうちに入る。他にも、文語体の詩は分かりづらくて読みにくい、みたいなのは嫌いのうちに入れてしまっていい。気兼ねなく、放り捨ててしまえばいい。

 また、万人に受け入れられている小説は優れているが、万人の口に上る詩はそうとは限らない。教科書に載っていたり、いろんな作品に引用されていたりするような詩が優れているとは限らない。むしろその大半は、詩ですらない単なるキャッチコピーに堕している、と少なくとも私は思う。

 優れた詩というのは、極端な言い方をすると、ただ一人に所有されるものでなければならない。読んだ人が、この詩は自分の気持ちを代弁している、あるいは自分を想って詠んでいる、そう感じられるようなものでなければならない。

 詩に巧拙はない。そこにあるのは、ただ好きか嫌いか、それだけだ。それは書く方にとっても同じ。だから私は詩が好きなのだ。……どこか言い訳めいているようにも聞こえるけれど。


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