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小人の辞  作者: EndoArisa


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23/30

狂乱のマンション


 例えば、こんな話がある――

 見たところ普通のマンションだ。入口は狭く、その脇には自転車がたくさん置かれているので見落としてしまいがちだが、側壁には確かにマンション名のプレートが張りつけられていた。内部は薄暗く、入口から冷たい風が流れてきていた。高居達人(たかいたつと)は少しためらったのち、エントランスに足を踏み入れた。

 聞いたところによると、ファミリー向けの部屋が一つあるものの、基本的には学生などの単身向け集合住宅らしい。入って右手に集合ポストがあった。そして、そのすべてからカラフルな色が、チラシや年金機構からの封筒があふれていた。いや、二か所だけスッキリしたポストがある。一つは大家のものでもう一つは407号室、今日高居を招いた上鳥(かんどり)アテナの部屋のポストだ。

 集合ポスト下の空間には段ボールや雑誌が積んであったが、風で倒れたのか誰かが蹴飛ばしたのか、床に乱雑に散らばっていた。その中には、おそらく大家が貼ったであろう、「段ボール・古紙回収は第三金曜日」というA4紙が混じっていた。今日はまだ第一金曜日だった。

 狭いエントランスを抜けると、駐輪場にぶつかった。屋根も自転車止めもなく、単に空いたスペースを自転車置き場として使っているという印象を与える。自転車は両隣とハンドルを重ねるようにして詰めこまれ、また空間自体も狭かったので、自転車を取り出すのも駐輪するのも一苦労しそうな様子だった。自転車を取り出したような不自然な空きがないので、住民のほとんどは部屋にいるのかもしれない。

 このマンションは五階建てらしいが、エレベーターはちょうど五階で止まっていた。待つのが面倒だったが、別に急ぎでもないので高居は待つことにした。

 彼は階数の表示をぼんやりと眺めていたが、その推移が妙に遅いことに気づいた。もうすでに十秒以上は待ったが、表示はまだ三階。しばらくそのままで、ようやく動き出したが、また二階で止まった。耳をすますと、上からエレベーターの開閉音が聞こえた気がした。誰かが乗り降りしているのかもしれない、そう思っているうちに、ようやくエレベーターがやってきた。

 エレベーターの中には、六人の子供が乗っていた。見たところ小学校低学年くらいだ。彼らは扉が開くと同時に、高居を指さして甲高い声で笑った。ただでさえ大きい声が、マンションの反響のせいで一層うるさかった。

「さーーん!」と彼らは声をそろえて言うと、再び扉を閉めて五階まで上っていった。

 おそらく「さん」というのは、彼らが一階まで下りたのが三回目ということだろう。高居は少し呆気に取られていたが、子供はどんな状況でも遊びを思いつくものだなと思いなおして、仕方なしに階段を使うことにした。

 階段も薄暗くて冷たかった。そのうえ狭く、大人二人がすれ違うには体を横向きにしなければならないだろう。都合悪く誰かが下りてこなければいいが、と思っていると、上階から誰かが階段を下りてくる音が聞こえた。一段飛ばしているかのような大きな足音だ。マズイと思う間もなく、学生らしき若い男が階段の角を曲がって現れた。急いでいるようだったので高居は道を譲ろうと体を横向きにした。しかし、男はそこでクルリと向きを変え、階段を上っていった。

 高居は遠ざかる足音を聞きながら再び階段を上り始めたが、また足音が近づいていることに気づいた。煩わしく思っていると、階段の角、ちょうど三階に上がったところで再度あの男に鉢合わせた。男の呼吸は先ほどより荒く、肩で息をしていた。高居はもう譲ろうとはせずに、ただ黙って相手の顔を眺めていた。男の目は瞳孔が開いているようで、彼の雰囲気と薄暗さも相まって今にも襲いかかってきそうな様子だったが、結局階段を上っていった。

 次が目的の四階なので、もうあの男とにらみ合うことはなかった。高居が四階にたどり着くと男はすでに角で待っていたが、高居が廊下の方へ向かうのを見てそのまま階段を下りていった。

 階段から一番手前にあったのは401号室だった。なら407は奥の方だろうな、と廊下の先を見ると、奥の方から老婆が歩いてきていた。腰は曲がっていて、チョコチョコという擬音がピッタリなほど歩く速度は遅かった。格好からして住人だろうと推測していたところ、彼女は一番手近にあった部屋のドアスコープをのぞき始めた。歩きに反して、ドアに張りついたり離れたりする動きは俊敏だった。

 老婆と廊下のちょうど真ん中ですれ違った直後、強い香水の匂いが漂ってきて高居は思わず顔をしかめてしまった。さりげなく振り返ってみると、老婆はまた別のドアスコープをのぞいていた。

 ようやく407号室の前に着いても、高居はすぐに呼び鈴を鳴らそうとはせずに老婆の背を見送っていた。彼女がいるうちにチャイムを押そうものなら、踵を返して戻ってくるかもしれない、そんな気がしたのだ。老婆は401号室まで漏れなくのぞきこむと、ノロノロチョコチョコ歩いて角に消えていった。

――そんなお話。


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