枯れ泉
例えば、こんな話がある――
昔あるところに、神を殺した男がいた。楡の木にもたれて葦笛を吹いていた女神を、彼はナイフで一突きしたのだ。布を裂くような手ごたえだった。ナイフを引き抜くと、傷口から血があふれて彼の体に返った。さらさらとした粉っぽい血だった。女神はもうその場におらず、彼女の着ていた黒いボロ切れと葦笛だけが残されていた。戦利品代わりにと足もとの笛を拾い上げた、その次の瞬間、男はひどいめまいに襲われて気を失った。
目覚めると、男は泉になっていた。半径二メートル、深さ二メートルほどの小さな泉だ。外から見れば、静かな森の中にある泉という平凡な構図に映っただろうが、その泉は生きていた。
しかし、水は半分程度しか溜まっていなかった。当初は気にもとめなかったが、日が経って次第に水が減るにつれて、男はじりじりと心が締めつけられるような苦痛と焦燥を抱いた。もしこのまま水が枯れてしまったら、自分は死んでしまうのではないだろうか。彼はそう直感した。しかし、雨はなかなか降らなかった。天気はずっと同じ快晴で、まるで取り替えるのを忘れられた広告ポスターのようだった。
ある日のこと、男は自力で水を湧かせられることに気づいた。このことは彼にとって思いもよらぬ発見だったが、それと同時に不愉快なことでもあった。なぜならそのためには、泉に変身する前に手に入れた女神の葦笛を吹かなければならなかったからだ。それに輪をかけて不愉快だったのは、湧いてくる水が泥水だったことだ。茶色く濁った、誰も口をつけたがらなそうな色の水だったのだ。
男は生きるために葦笛を吹いた。笛を吹くたびに女神のことを思い出して複雑な気持ちになった。そして、泥水が湧いてくるたびに気が滅入った。自分をこのような境遇に陥れた女神にも、自分自身にも嫌気がさした。
湧いてくる泥水は回数を重ねるごとに汚らしくなっていった。泥水というよりはドブ水、そしてもはや肥溜めのような、どろどろとしたものに変わっていった。男は笛を吹くことをやめた。こんな無様をさらして生きるくらいなら、いっそのこと枯れ果てて死んだ方がマシだと思ったのだ。
ある日のこと、それまで思いつかなかったことが不思議でならないのだが、誰かに水を換えてもらえばいいのではないか、と男は閃いた。彼はさっそく森から抜け出して町の方へ向かった。しかし、当然ながら彼の思い通りには行かなかった。男は、その泉は、もはや泉とも呼べない汚泥の溜まった穴だったので、放りこまれるのは汚物やゴミばかりだった。彼が望んだように清浄な水を注いでくれる人は、一人としていなかった。ついにはコンクリートで埋め立てられそうになったので、男は慌てて逃げ出したのだった。
男は森の中にいた。日に日に汚泥は少しずつ減っていったが、彼はもう笛を吹こうとはしなかった。
そして泉は枯れた。ぽっかり空いた穴だけがあった。しかし彼は死んでいなかった。
静かな森の奥、そこには女神のもたれていた楡の木と彼女のローブと、枯れ泉があった。かつては泉だった穴の底、微かに湿ったその場所には女神の葦笛が落ちていた。
――そんなお話。




