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小人の辞  作者: EndoArisa


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20/30

躍動するピンポン玉


 カフカの短編に「中年のひとり者ブルームフェルト」という話がある。ざっくり説明すると、ある日、ブルームフェルトという独り身の中年男が仕事を終えて家に帰ると、家の中で謎の球体が跳ねているのを見つけるという話だ。球体は二個あり、交互に跳ねて床に着くたびにカチカチと鳴る。文中では「セルロイドのボール」と書かれているが、卓球で使われるピンポン玉をイメージすれば差し支えないだろう。その玉が家の中でずっと男について回るのだ。

 この作品は短編だし、何よりカフカの書いたものだから、このピンポン玉が実は重大な意味を持っていたみたいな仕込みはない。少なくとも作中でそれが明かされることはない。事実、物語の後半でブルームフェルトはその玉を少年に譲ってそれきりだ。ピンポン玉が物語に関わってくることもなく、地の文で言及されることもなくなる。後半では打って変わって、勤務中のブルームフェルトの様子や心情がひたすら繰り広げられている。

 きっとこの玉には、カフカお得意の寓意や比喩が込められているのだろう。真相は当時の人々には分からなかった。ひょっとすると本人もよくわかっていなかったかもしれない、何も明かさずに死んでいったのだ。そうして、彼の作品には何か深い意味がありそうだという雰囲気だけが残った。だから後代の読者は彼に熱狂し、今もなお各々の解釈を引っぱり出して議論をし合っているのだろう。

 ここに書くのは、そのような解釈の一つ、謎のピンポン玉の解釈についてだ。

「――俺はね、あのピンポン玉はズバリ、悲しい男の性欲を比喩していると思うんだ。だって、男に二つの玉って、そりゃもう一つしかないだろ」

 私の正面に座っている男がそう言った。彼はいつも現代作家しか読まないので、唐突にカフカの「セルロイドのボール」の正体が分かった、と言い出した時には驚きと少しの期待を抱いたが、蓋を開ければコレだった。象徴的な作品の解釈をするときに、すぐにシモ方面に結び付ける人間が私は大嫌いだった。その手を使えば、なんでもありになるからだ。

 私が完全に興味をなくして彼に軽蔑の表情を向けているのを見て、彼は付け加える。

「ちゃんと根拠はある。まず男は家に帰って玉を見つけると、捕まえようとしただろ。でも結局どうにもならずに、ずっと自分について回るのを利用してベッドの下に誘導した。性欲も同じさ、抑えようにも抑えられず、結局床に就くまでずっとついて回る日がある。

 それにブルームフェルトはベッドに入ってもなかなか寝付けず、何度も目覚めた。欲求不満の夜にベッドの中で下品な妄想をして、興奮して眠れなくなったり眠りが浅くなったりしたことは、男なら誰だって経験したことがあるはずさ。

 あと、次の朝に婆さん家政婦が来た時、男はやたら彼女の挙動に神経質だったよな。怒鳴り散らそうとさえした。これこそまさにドンピシャじゃないか。性欲でどうしようもないとき、男ってのは若い女以外には異常に厳しくなる。

 最後に、これはついでだが、男は出勤する前に玉をタンスに閉じこめて、職場に着いてからは一切思い出さない。これも性欲に置き換えると納得のいくことで、世の男の大半は職場に性欲を持ちこまない。朝起きた時にどれほどムラムラしていても、オフィスに向かう頃には封印してるんだ。」

 私は一瞬、なるほどなぁ、と思いかけたが、すぐに正気に戻った。もし彼の説にのっとるなら、ブルームフェルトが少年にボールを譲る場面はとんでもない解釈、半ば犯罪じみた解釈になるではないか。

 しかし、私の対面に座る男は満足そうにしていたし、私もカフカの解釈に強い興味があるわけではないので、余計なことは言わずに放っておくことにした。

 カフカ好きというのは意外とそこら中にいるもので、彼もきっと近いうちに出くわすことだろう。そのときに彼自慢の説が相手の不興を買わないことを祈るばかりだ。


 私自身の解釈といえば、彼のものより想像力に欠けている。セルロイドのボールが現れる直前、ブルームフェルトはペットが欲しいと考えていて、それと同時に手間のかからない、乱暴に扱ってもいい、自分にとって都合のいいようなものがいい、とも考えている。彼のこのいい加減な空想と、現在と将来にわたる孤独への不安が、勝手に跳ね回る無機物の玉という、みょうちくりんなものを生み出したのだ。私はそう考えている。


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