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小人の辞  作者: EndoArisa


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H21タイムカプセル


 数年前の二月のこと。僕は普段京都に住んでいるのだが、兄の結婚式に出席するために三日ほど実家に滞在した。年末年始に帰省したばかりだったし、なけなしの有休を使うことになったので、それほど嬉しいものでもなかった。

 前日の昼ごろに実家に着いたものの、どうにも落ち着かなかった。結婚式に出席するのは、今回が初めてだったのだ。意味もなくパソコンを開いたり本をめくってたりして時間を潰していたが、ふと思い立って式で着る礼服を確認しておくことにした。兄の結婚式のために、前回の帰省の際に買っておいたものだ。礼服といっても単なるブラックスーツだったが、初めて自分の金で買ったスーツだったので、袖を通す前から思い入れがあった。

 スーツを持ってきて一通り眺めたり触れたりして楽しんでいたところ、ふとベルトを京都に忘れてしまったことに気づいて、僕は慌てた。リュックをひっくり返してみても、革靴やワイシャツやネクタイ、シルクのハンカチさえあるのに、ベルトだけは見つからなかった。普段はスーツなんて着ないから、目に見えないところにあるベルトにまで気が回らなかったのかもしれない。困り果てて母に相談すると、それなら祖父のものを使えばいい、と言われて、あっけなく解決したのだった。

 祖父は実家の一階に住んでいたが、僕が十歳くらいの時に亡くなった。ガンを患っていたのだと思う。病院のベッドに仰臥(ぎょうが)し、鼻に管を入れられた姿を覚えている。祖母はその五年ほど前に亡くなっていたので、祖父はしばらく一人で過ごしていたわけだ。二階に暮らす僕らと没交渉だったわけではないが、盛んに行き来していたわけでもなかった。

 祖父は役人だったらしい。僕の自我が芽生える頃には既に退職していたので、僕の知る祖父はおじいちゃんの祖父だけだ。しかし仏壇の脇に飾られている写真の中には、現役時代の祖父の写真もあってスーツをパリッと着こなしている。白黒写真だが、なかなかハンサムだった。兄似、というか兄が祖父に似ているのだろう。

 一階にある祖父のクローゼットを開けると、防虫剤の強い匂いがした。鼻にツンと来る、松脂のもっと濃いような匂いだ。この匂いを嗅ぐと、僕はいつも祖父のことを思い出さずにはいられなかった。いつもだ。開ける直前まではなんてことないのに、開けてあの匂いがした瞬間、どうしても意識してしまって、それがしばらく続くのだった。

 例えば、僕が祖父のアゴの下の皮や大きな耳たぶをつまむのが好きだったこと、そうすると祖父が笑っていたこと。近所の花火大会の時に、祖父が僕と兄に千円ずつお小遣いをくれたこと。祖父が車で事故を起こして、父がその対応に追われていたこと、祖父の車は黄色い軽自動車で父が買ったものだったこと。……

 そういうことを思い出すたびに、僕はどうしようもないくらい途方に暮れた気持ちになった。やるせない気持ちだ。対象が故人であるだけに、その気持ちは一層強い。変に遠慮せずもっと祖父と交流するべきだったかもしれない、と今となっては意味のない遅すぎる後悔をしてしまうのだ。だから僕は、必要以上に故人のことを思わないように心がけていた。

 クローゼットの中は、ネクタイやピン、クリーニングカバーのかかったスーツが整然と並んでいた。吊るされた蛇のようにぶら下がっているベルトの中から、僕は一番地味なものを選んで即座にクローゼットを閉めたのだった。


 ベルトは今まで見たことのない、穴のないタイプのものだったが、何度か練習して手際よく着脱できるようになった。

 式当日、僕は披露宴で酒を飲みすぎてしまって、気づいたら家にいた。浮かれていたのもあるが、タダ酒なのだから飲めるだけ飲もうと思ったのだ。その次の日の昼に新幹線で京都に帰った。

 ベルトは忘れずにクローゼットへ戻しておいた。


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