表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女に転生したけど中身は世界最凶の暗殺者でした  作者: じゃむばた
聖女と南ディオール地方編
163/166

神託の書の前にて

 ――神託院。


 石段を踏み上がる足の裏に、以前とは違うざわめきが伝わってくる。ここを訪れるのは二度目だが、前回の張り詰めた警戒は影を潜め、今日は人の熱が建物そのものを包んでいた。


 周囲には屋台が並び、焼けた油の匂いと甘い香りが入り混じって流れてくる。色とりどりの布や飾りが風に揺れ、巡礼者や見物客が絶えず行き交う。遠方からの者も多いのか、衣装や言葉の調子が微妙に異なっていた。


「女神降臨祭……これほどの規模なのですね」


 視線を巡らせながら呟くと、隣のリュミエルが静かに頷く。


「十年に一度の祭事です。今年がちょうどその巡りに当たります」


 手元の資料に目を落とす。数日前、アルヴァスから渡されたものだ。進行手順と、祈りを捧げるタイミングが細かく記されている。


 紙の上では整然と並んでいる流れも、この人の波の中で本当にその通りに運ぶのか、わずかな現実味の薄さが残る。


「名前の通り……過去に女神が降臨した、その再現という形なのでしょうか」


「そのように伝えられています。ですが、一般の者は神託院の奥――神託の書の前までは立ち入れません。詳細な儀式の中身は、ほとんど知られていないのが実情です」


 人の喧騒とは裏腹に、核心の部分は閉ざされている。


「神託の書が、特別な神託を降ろす……と」


「はい」


 頷きはあるが、確信というよりは伝承をなぞる響きだった。


「興味はありますが……前回の神託は、少々不可解でした」


 思い出すだけで、胸の奥にわずかな違和感が残る。


 あれは未来を『言い当てる』ものではなく、そうなる方向へ、わずかに傾ける力のように見える。


 だが絶対ではない。時間のずれもある。結果として現れるのは、数ある可能性の中で最も確率の高いものに過ぎない。


(ならば――それをどう使うか、か)


 神託院の役割が、ぼんやりと輪郭を持つ。


「その後も、神託は続いていたはずです」


 リュミエルが淡々と補足する。


「ですが内容については、ほとんど外に出ておりません。意味を持たないものだったのか、あるいは解読できなかったのか……」


「あるいは――」


 言いかけたところで、別の声が軽く割り込んだ。


「あるいは〜、隠された神託があったりして?」


 空気がわずかに揺れ、姿の見えない気配が隣に寄る。


「コレット」


 名を呼ぶと、くすりと笑う気配だけが返る。


「神託の書の部屋はね、さすがに私でも入れなかった。でもさ、あれが本物なのは確かよ。あれ使って、この国をここまで大きくなったんだから」


 見えないまま、声だけが少しだけ低くなる。


「戦争を避けて、災害を抑えて、疫病の薬まで作って……聖女の出現だって当ててきた。そうやって、この国は崩れずに、むしろ広がってきたの」


 喧騒の向こうで、鐘がひとつ、澄んだ音を落とした。波のような人のざわめきがわずかに引き、空気の層が切り替わる。


 その境目に立っていたのは、見覚えのある神官だった。以前、院内を案内してくれた神官だ。姿勢は整い、場に似つかわしい穏やかさを保っている。


「お待ちしておりました、聖女ソルフィーユ様。本日は、いつも以上にお美しい」


 儀礼としては過剰な言葉が、さらりと差し出される。


「あ、ありがとうございます」


 返した声がわずかに遅れる。胸の奥で小さく脈が跳ね、すぐに抑え込む。視線を整え表情を平らに戻すと、ソルフィーユは何事もなかったように歩き出した。


 神官の背を追う。


 扉をくぐった瞬間、外の熱は嘘のように薄れ、空気はひやりと沈んでいた。エントランスホールは祈りの場へと変えられているらしく、声は抑えられ、衣擦れと呼吸だけが静かに重なっている。遠くの喧騒が、壁の向こうでぼやけている。


 跪き、祈りを捧げる人々の間を気配を崩さぬように、さらに奥へ進む。


 封印の施された扉をいくつも越えるたび、空気は一段ずつ重くなる。足音が吸われ、音が消える。外界から切り離されていく感覚が、ゆっくりと体に沈む。


 やがて辿り着いたのは、神託の書の間。

 中央を囲むように、すでに人影が揃っていた。


 聖王国ディオール国王レオナール。アルヴァス教皇。外相メルドラ。そして国庫大臣シャティカ。いずれも動かず、ただそこに在るだけで場の重心を形作っている。


「各国の要人も、すでにお集まりのようですね」


 小さく呟き、視線を上へと滑らせる。


 段差を設けた席に、各国の代表たちが並んでいた。神託の書を見下ろす位置取りで、どこからでも、見られるようになっていた。


 その中に、見慣れた金色が混じる。

 ミハエル。


 視線が交わる前に、わずかに逸らす。だが、見られている感覚は消えない。


 上から、下から。


 神託の書を中心に、全ての視線が交差している。

 祝祭の外とは別の、静かな緊張が、この場を満たしていた。


「さて、皆さまお揃いのようですな。聖女ソルフィーユ――こちらへ」


 メルドラの声は低く、感情の温度を削ぎ落としたまま場に広がる。向けられた視線は冷ややかで、言葉以上に距離を突きつけていた。


 ソルフィーユは何も返さず、リュミエルの側を離れる。背に残る気配を感じながら、指定された位置へと歩を進めた。床に吸われる足音だけが、やけに大きく聞こえる。


 所定の位置に立った瞬間、空気が一段沈んだ。


「これより、女神降臨祭を執り行う。まずは、聖王国ディオール国王陛下より、お言葉を頂戴する」


 メルドラの進行の声に合わせ、中央の席からレオナールが立ち上がる。翻るマントが光を弾き、視線が一斉に集まった。


「十年の時を経て、再びこの祭を執り行えること、まことに喜ばしく思う」


 響きのある声が、静まり返った空間を満たしていく。


「今回の儀は、これまでにない精度で神託を得るものとなるだろう。我らはその導きに従い、各国の安定と発展へと繋げていきたい」


 一度言葉を切り、視線がゆっくりと巡る。


 そして――


「真なる聖女、ソルフィーユの力によって、新たな奇跡がもたらされると、私は信じている」


 名を呼ばれた瞬間、視線がこちらへ寄る。

 逃げ場はない。ただ立っているだけで、期待と評価が押し寄せてくる。


 やがて拍手が起こる。


 最初は控えめに、次第に広がり、壁と天井に反響していく。規則正しい音の波が、神託の書の間を満たした。


 その中心で、ソルフィーユは微動だにせず、ただ静かにそれを受け止めていた。


「続いて、アルヴァス教皇」


 メルドラの声が静かに落ちると、アルヴァスは席を立った。柔らかな微笑を浮かべたまま、わずかに周囲へ視線を巡らせる。その仕草だけで、場の緊張がほんの少し和らぐ。


「世界はいま、混乱の渦中にあります。それは聖王国に限ったことではなく、隣国もまた同様でしょう。ですが、この状況もまた――神託に記された通りでございます。すなわち必然であり、同時に、この困難を越える術が示されているということ」


 語気は強めず、視線をソルフィーユに向ける。


「本日、『神託の儀』は、聖女ソルフィーユの神力によって執り行われます」


 ソルフィーユを取り囲む視線が、一斉にこちらへ向く。


「我らの未来を――明るく照らすために」


 締めくくられた言葉に、拍手が湧き上がる。波のように広がり、壁に反響して空間を満たしていく。


 段上に並ぶ要人たちは、それぞれに期待の色を浮かべていた。希望、打算、あるいは祈り――その混じり合った視線が、一斉にソルフィーユへと集まる。


 その中で、ただ一人。ミハエルだけが、手を打たない。

 椅子に深く腰掛けたまま、わずかに口元を緩め、静かにこちらを見ている。


 拍手の波から切り離されたその姿が、かえって強く印象に残った。


「それでは、最後に聖女ソルフィーユ」


 名を呼ばれ、ソルフィーユは席を立つと、周囲を軽く見渡して、やがて、ゆっくりと語りかけるように話す。


「本日は、女神降臨祭という尊き場にて、祈りを捧げる機会を賜り、深く感謝申し上げます」

 

 静かに言葉を置くと、空気が整うのが分かる。

 

「我らはこれまで、神託の導きのもと、幾多の困難を乗り越えてまいりました。戦乱を避け、災いを退け、命を繋いできた歴史は、紛れもなくこの神託の賜物でございます。しかし――」

 

 ほんのわずかに間を置くと、ソルフィーユは視線をメルドラに向ける。

 

「神託は、未来を『示すもの』であり、すべてを決めるものではございません。与えられた道を歩むのは、我ら自身であり、その選択こそが、未来を形作るのだと……私は考えております」


 アルヴァスは、口元に浮かべた笑みを隠そうともせず、肩をわずかに揺らしている。愉しんでいる――それも、予定調和が崩れたことそのものを。


 対照的に、メルドラの顔は凍りついていた。


 視線は鋭く、わずかに歪んだ眉間に、抑えきれない苛立ちが滲む。声こそ発さないが、その沈黙が、かえって強い圧となって場へ広がっていた。


 ソルフィーユは目を伏せたまま確信する。

 渡された原稿は読むためのものではなかった。


 女神レイディアを讃え、聖王国の庇護のもとに各国の意思を束ねる――そのための言葉が、過不足なく並べられていた。


 神託を絶対とし、従わせるための文章。

 だが今、この場に残っているのは、それとは異なる空気だ。


 統一ではなく、解釈の余地。

 従属ではなく、選択の余白。


 わずかに外しただけのはずの言葉が、意図していた流れを確かに歪めている。


 そして――段上から、ただ一人。

 拍手もせず、動きも見せなかったミハエルが、ゆっくりと口元の笑みを深める。


 その視線が見透かすように、まっすぐにソルフィーユへ降りてくる。

 あるいは――同じ側に立つ者を見つけたかのように。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ