真なる聖女と、触れてはならぬ領域
「――以上が報告になります」
共同討伐部隊に同行していたギルド職員、ワキトが言葉を結んだ。
その場にいるのはフォルキア領主、エルディアス=ヴァン=フォルキア辺境伯。
そして、グラン=テルムのギルド長、ザワード=ビコー。
ソルフィーユとリュミエルも同席し、南フォルキアでの一連の顛末について補足を加えていた。
だが、報告を受けた室内には重い沈黙が落ちていた。
「……にわかには信じられんな」
やがてザワードが口を開く。
腕を組んだまま、深く息を吐いた。
彼の顔色は優れない。
理解が追いついていないのは明らかだった。
「ノクティエルが同行した西フォルキアでは、ゴブリンやオークが集落を形成していたとの報告を受けている」
エルディアスは資料に一度、視線を落とす。
「だが、規模は限定的だ。制圧可能な範囲に収まっていた……南とは、様子が違いすぎる」
室内の空気がさらに重くなる。
西フォルキアの異変は討伐対象で済む。
だが、南フォルキアで起きたものは、明らかにそれではない。
同じ領内で起きた出来事とは思えないほどの、隔たりがあった。
「戦闘となったトロールについてですが」
ソルフィーユの凛とした声が部屋に響く。
「他の魔物とは比較にならないほど危険でした」
その言葉に、ザワードが反応する。
視線がソルフィーユに鋭く向けられた。
「聖女様。ギルドで情報を共有したい。文書では伝わらない、現場で感じた点を教えてほしい」
「承知しました」
ソルフィーユは小さく頷く。
「まず、トロールは人間と同様に思考し、組織的に行動していました。明確な上下関係が存在し、一体の王を頂点として、階層的に配下が配置されていると推測されます」
ソルフィーユの発言に室内に緊張が走る。
「加えて、特殊な幻覚、興奮作用を持つ物質を散布し、冒険者の精神を不安定化させたうえで罠へ誘導する――極めて狡猾な行動を確認しています」
ザワードの表情がさらに険しくなる。
「そして、最も不可解な点ですが」
ソルフィーユはわずかに視線を落とす。
「群れの規模です」
「……規模?」
ザワードが返す。
「はい。あの数を維持するには、本来であれば相応の食料と生息域が必要です」
ソルフィーユは淡々と続ける。
「しかし、渓谷周辺の調査において、それに見合う活動痕跡は確認されていません。現時点では、出現経路および維持条件ともに不明です」
それは単なる強敵ではない。
存在そのものが、説明できないのだ。
「これは、我々の知るトロールではない」
エルディアスは資料から目を離さず、言い切った。
「姿形は酷似している。だが――別種と考えるべきだろう」
指先で紙面を軽く叩く。
「たしか記録によれば、百年前のトロールは単独、あるいは小規模な群れで行動していたはずだ。だが今回の個体群は明らかに異常だ。統率、戦術、規模……いずれも既存の記録と一致しない。まるで――異界より現れたかのようだ」
エルディアスの言葉に、室内の空気がわずかに張り詰める。
「エルディアス様」
ザワードが口を開いた。
「まさかそれは、三百年前に聖王国ディオールを混乱に陥れたと言われている、『男爵級悪魔』が率いていた眷属の記録に近い、という理解でよろしいですかな?」
「……もしそうであれば、今回の件は局地的な異変ではなく、王国ディオールに戦火が呼び込むことにる」
――男爵級悪魔。
およそ三百年前。聖王国歴千百年。
一体の悪魔が三種の暗黒魔法を行使し、聖王国ディオールを混乱の渦へ叩き込んだ――と伝えられている。
戦いは苛烈を極めた。
当時の聖女と、五千の聖騎士。
その命と引き換えに、ようやく終結へと至ったと記録されている。
そして――今回、現れた四つ目の悪魔。
同一個体であるかは断定できない。
だが、脱出の際に耳に残った、あの名。
――アルヴァス。
聞き間違いでなければ、アルヴァス=イル=レイディア教皇を指していた可能性がある。
無論、確証はない。
あの悪魔と教皇との関係も不明だが、アルヴァスは『不老の聖杯』の奇跡を受けた存在。
時を越えて生きることが可能である以上、あの悪魔と面識があったとしても、不思議ではない。
あるいは……三百年前の戦いは、本当に終わっていたのか――。
「聖女様の報告では、悪魔が現れたとのことだが」
エルディアスがソルフィーユに問う。
「ええ。空間が突如閉鎖され、女性の姿をした悪魔が出現しました」
「名は名乗ったか?」
「いいえ」
首を横に振る。
「あの状況で対話の余裕はありませんでした。聞き出せた情報も、わずかです」
ザワードが腕を組み、思案する。
「……空に現れた巨大な目とやら。神託の書にも何らかの変化が出ている可能性がありますな」
「あり得るな」
エルディアスも頷く。
「ここからでは確認はできんが、既に聖庁が動いている可能性は高い」
「私たちはこの後、大聖都へ帰還予定です。神託の書について何か判明しましたら、飛竜郵便にてご連絡いたします」
「それは助かる」
エルディアスが短く応じると、ザワードが続けた。
「聖女様、今回の件についてはギルド本部にも報告を上げます。後日、本部から照会が入る可能性がありますが、ご対応いただけますか」
「問題ありません」
ソルフィーユは迷いなく答える。
「今回の件は、決して他人事ではありませんので」
会話が一段落すると、ザワードが退出していった。
彼はこれからフォルキア領での問題に多忙になるだろう。
「南フォルキアでの共同討伐依頼の遂行、感謝する。報酬の他に、約束どおり、真なる聖女の情報を提供しよう」
「報酬は冒険者の遺族に当ててください。私は情報だけで結構です」
その言葉にリュミエルは何か言いたげだったが、小さく溜息を吐くと背筋を伸ばした。
「……聖女とは本当に聖人なのだな。まあいい、冒険者遺族も暫くは生活できるし、フォルキア領出身者も多い……感謝する」
「お気になさらず。私の力が及ばなかった結果ですので」
少しの間、部屋の中に沈黙が広がる。
ソルフィーユはエルディアスの次の言葉を待っているのだ。
「――では、真なる聖女とはなんなのか、私が知っている範囲でお教えする」
「真なる聖女とは何か……どこまで知っている?」
エルディアスは探るような口調でソルフィーユに問いかけた。
「いえ。呼び名だけで、詳しいことは存じません」
ソルフィーユは首を振った。
「……真なる聖女とは、『世界と繋がる器』だ」
その一言で緊張がソルフィーユの背筋に走る。
「器、魂、神力。この三つが揃って初めて成立する。神力とは力ではない。この世界そのものだ」
言葉の意味が、すぐには飲み込めない。
だが、エルディアスはソルフィーユの気持ちとは裏腹に話を続ける。
「門は、世界と世界を繋ぐ。そして聖女は、その門に最も近い存在だ。そして、世界を満たす……それは何なのか、それを語れる者は、限られた者だけだろう」
「……悪魔は門について語っていました」
ソルフィーユが静かに口を開く。
「門を開いて、何をしようとしているのでしょうか……」
わずかな沈黙のあと、エルディアスは視線をソルフィーユに向け答えた。
「原初の聖女――そして、それに連なる歴代の聖女を辿れば……見えてくるやもしれん」
「原初の聖女……?」
思わず言葉を繰り返す。
初代聖女。
聖典にも名を残す存在。
女神レイディアと共に、この世界に人の安住の地を築いたとされる始まりの聖女。
「だが、忠告しておく」
エルディアスの声が一段と低くなる。
「軽々しく過去の聖女を調べるべきではない」
「……なぜですか?」
問いかけた瞬間、空気が張り詰める。
「確認できているだけでも、数名の聖女が『触れてはならぬ領域』に踏み込み、命を落としている」
重々しい口調たが、そこに何かが滲む。
「――百代目聖女と妻も、その当事者だった」
ソルフィーユは、息を呑む。
声が出ない。
隣では、リュミエルだけが真っ直ぐに父を見つめていた。
その瞳は揺れない。
逃げることなく、事実を受け止めるように。
重い沈黙が、室内に満ちていった。




