トロールの渓谷 二人の関係
遺品と遺体は、回収できるものをすべて回収した。
遺体のうち、損傷が激しくないものには保存魔法が施される。
腐敗の進行を抑え、グラン=テルムへ戻るまで保たせるための処置だ。
その魔法を扱えるのは、この共同討伐部隊の責任者であるギルド職員である彼、ワキトのみ。
だが、被害はあまりにも多すぎた。
ワキトは三日三晩、休む間もなく魔法を使い続け、血を吐きながら遺体を運び続ける。ひとつひとつ、丁重に、無言の作業が延々と続いた。
「……これで最後になります」
ソルフィーユが丁重に告げる。
「聖女様……ありがとうございます。あなたがいなければ、私……色んな意味で死んでいました……」
ワキトは力なく笑う。冗談のようで、冗談ではない言葉だった。
その顔は青白く、目の下には深い隈が刻まれていた。
ソルフィーユは頷く。
損壊を最小限に留めた遺体を、丁寧に引き渡す。
ワキトはそれを受け取り、慎重に馬車へと運んでいく。
彼はまだ二十代で、ギルドに入って間もない新人だという。
今回の遠征が初任務だったらしい。
――これほど過酷な現場になるとは、想像もしていなかっただろう。
「ギルド本部へ提出する資料の作成まで手伝っていただき、本当に感謝しています。私一人では……正直、荷が重すぎました」
ワキトが深く頭を下げる。
「事務仕事は得意ですので、お気になさらず」
ソルフィーユは丁重に答えると、ワキトは力なく笑ったような気がした。
「それでは、明朝に出発いたしますので、陣を引き払います」
ワキトはすぐに踵を返し、冒険者たちへ指示を飛ばし始める。
重い荷はすべて馬車へ。
明朝、即座に出発できるよう準備が進められていく。
慌ただしさの中に、どこか疲れきった空気が混じっていた。
ソルフィーユも月下の牙の馬車へ戻る。
すると、ライナーが地面を見つめたまま座り込んでいた。
動かない。ただ、じっと、喪失感のような背中が寂しく見える。
「どうかしたのですか?」
近くにいたバロックへ声をかける。
バロックは一瞬だけライナーを見やり、ソルフィーユを少し離れた場所へと誘った。
「実はの……」
低く声を落とし、事情を語りだした。
「この共同討伐任務が終わったら、セレナにプロポーズするつもりだったんじゃ」
「え?」
思わず声が漏れる。
慌てて口を押さえた。
友人以上の関係だとは思っていたが――そこまでとは知らなかった。
ソルフィーユは黙って耳を傾ける。
「指輪を、どこかで落としたらしくての。それで、ああして塞ぎ込んどるんじゃ」
バロックは小さく息を吐いた。
ペルジーオの町で見つけた品だという。
細工も見事で、嵌め込まれた宝石は精霊石で高純度。
ライナーはそれを一目で気に入り、その場で購入したらしい。
「それって、緑色の宝石が嵌ってましたか?」
ソルフィーユが具体的に尋ねる。
「ワシは見とらんから分からん。ただ……綺麗な細工がしてあるとは聞いとる」
バロックが腕を組んだまま答えたのを見ると、ソルフィーユは、袖の内から小さな箱を取り出した。
土で汚れた指輪のケース。
あの渓谷、肉の壁が崩れた跡地で拾ったもので、誰かの遺品だと思っていたが――
「聖女よ……まさかそれは」
「脱出した後に拾ったものです」
ソルフィーユは頷く。
「もしこれが、ライナーの探していたものなら……返してあげるべきでしょう」
そう言って、ライナーの正面に立つ。
地面を見つめたまま、動かない背中。
「月下の牙のリーダーたる人が、くよくよしていては示しがつきませんよ」
その言葉に、ライナーの肩がわずかに揺れた。
「……放っといてくれよ」
力の無い弱い声。
「そうはいきません」
ソルフィーユは一歩も引かない。
「貴方に渡したい物があります」
しばらくの沈黙のあと。
ライナーがゆっくりと顔を上げた。
目の下には濃い隈。
連日の調査とトロールの残党狩りで、疲労は限界に近い。
「これをどうぞ」
ソルフィーユが掌を開く。
そこにあったのは、小さな黒い箱。
土に汚れ、くすんでいる。
だが――
それを見た瞬間。
ライナーの目に、はっきりと光が戻った。
「お、おい……これ……!」
思わず身を乗り出す。
ソルフィーユは静かに続けた。
「まずは中身を確認してください。もし違うのであれば、遺品としてギルドに預けなければなりません」
ライナーは、わずかに震える手で黒い箱を開けた。
中に収められていたのは、銀色に輝く指輪。
精緻な細工が施され、中央には大きな緑の宝石が嵌め込まれている。
「これだ……!」
思わずごくりと、息を呑む。
「無くしたかと思ってた……!」
ばっと表情を変えたライナーが顔を上げる。
「ソルフィーユ様、ありがとう! 本当に……感謝しきれねぇ!」
何度も頭を下げるライナー。
ソルフィーユはその肩に、そっと手を置いた。
「ライナー」
静かに声をかける。
「話は聞いております。貴方には――伝えなければならない相手がいるのでしょう?」
間を置いて言葉を紡ぐ。
「時間はあるのですか? 明日の明朝には、ここを出立します」
その言葉に、ライナーの表情がはっと変わる。
「そうだ……!」
勢いよく立ち上がった。
「こんなとこで立ち止まってる場合じゃねぇ! すまん! 続きはまた後でだ!」
慌てて駆け出したライナーは、足元の道具を蹴散らしながら、あっという間に走り去っていった。
その背中を見送り、バロックが苦笑する。
「まったく、騒がしい奴よのう」
「仕事が増えましたね」
ソルフィーユも小さく息を吐く。
「片付けて、明日に備えましょう」
▽
翌朝。
まだ日が昇りきらない時間。
バーバリアンホース二頭が引く馬車が、グラン=テルムへ向けて動き出した。
御者台には、ライナーとセレナ。
いつもなら賑やかな二人だが――
今日は妙に静かだった。
「……なぁなぁ」
干し肉を齧りながら、ガルドが呟く。
「あの二人、朝からなんかおかしくねぇか?」
ガルドは隣のリュミエルへ視線を向ける。
リュミエルも同じ違和感を覚えていた。
だが――あえて、何も聞かなかった。
「ソルフィーユ様は、ご存知で?」
リュミエルが視線を向ける。
少し探るような声音に、ソルフィーユはわずかに間を置く。
ここは――事実だけを述べるのが適切だ。
「どうして二人が静かなのかは、知りません」
簡潔に答える。
「なんか隠してんのか?」
「隠している訳ではありませんよ」
ガルドが眉をひそめるが、ソルフィーユは首を横に振る。
「ただ、今日の様子については知らない――それだけです」
ガルドは小さく鼻を鳴らした。
「……ってことは」
少しだけ口元を歪めながら「こうなる前のことは知ってるが、その後は知らねぇ、ってことか」と言うが、ソルフィーユは何も答えない。
それで十分だった。
二人の関係に、野暮な詮索は必要ない。
仲間ではあるが、踏み込むべきでない領域もある。
本人たちが語るまで待つべきだし、その沈黙もまた、パーティーの形だと、ソルフィーユは感じていた。




