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聖女に転生したけど中身は世界最凶の暗殺者でした  作者: じゃむばた
聖女と南ディオール地方編
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トロールの渓谷 残された二人

 ギルドの掲示板に貼り出されていた共同討伐依頼。


 その中に記されていた、南フォルキアで確認されたトロールの上位個体。


 ――おそらく、目の前のこの個体がそれだ。

 他のトロールより一回り大きい。

 身長は約四メートルほどで、オークより遥かに巨体。


 体毛はほとんどなく、その代わり発達した筋肉が皮膚の下で盛り上がり、今にもはち切れそうだった。


「生き残ることを前提に戦います」


 ソルフィーユが静かに告げる。


「一撃一殺。毎日の鍛錬を、今こそ発揮するときです」


「任せてください」


 リュミエルの返事は迷いがなかった。


 大聖都ミレニアを旅立つ前。

 アルス老から、徹底的に叩き込まれた。


 魔力の扱い。

 筋肉の動かし方。

 体の重心、踏み込み、呼吸。


 どれも、これまでのソルフィーユ、いやサイファには足りなかったものだ。


 だが今は違う。


 乾いた大地が水を吸い込むように、技は体に染み込み、血肉になり、そして、この世界に適応しつつある。


 目の前のトロールは、個としても、群としても脅威だ。


 それでも――

 今の自分たちなら。

 この状況でも、力を出し切れる。


 ソルフィーユは、そう確信していた。


 川の流れが岩にぶつかり、水飛沫が舞い上がる。

 細かな雫が宙に散り、ソルフィーユと大型トロールの視線の間をゆっくりと横切った。


 先に動いたのはソルフィーユだった。

 地面を蹴り、大型トロールへ一直線に走り出す。

 進行方向の左右から通常サイズのトロールが飛びかかってきた。


 だが――遅い。


 ソルフィーユは勢いを殺さぬまま、迫る腕をすり抜ける。

 トロールの腕を踏み、背中を駆け上がり、そのまま大型トロールとの距離を一気に詰めた。


「ギャッ!?」


 大型トロールが吠える。


 近くにいたトロールを片手で掴み上げると、そのままソルフィーユへ投げつけてきた。


 巨大な塊が弾丸のように迫る。


 ソルフィーユは衝突の瞬間、体を沈めた。

 ぶつかる直前、飛来したトロールの身体を踏み台にする。


 衝撃を分散させながら、さらに跳躍し、空中で身を翻す。


 だが――


 跳んだ先に、巨大な影が落ちた。

 大型トロールの豪腕が、岩を砕く勢いで振り下ろされていたのだ。


 衝撃。


 ソルフィーユの体が弾かれる。


 石を蹴った球のように宙を転がり、揺れる視界のまま岩壁へ叩きつけられた。


 だが、そのまま壁を蹴って着地する。


「……ふう」


 息を整える。


「今のは、誘われましたね」


 味方を投げつけ、回避の動線を限定させる。

 そこへ狙い澄ました一撃。


 ――単なる獣ではない。


 あの大型トロールは、人間に近い思考で戦っている。

 ならば、こちらが取るべき行動は一つ。

 最適解を選び続けるだけだ。


「ソルフィーユ様! お怪我は!?」


 リュミエルの声が飛ぶ。


「大丈夫です。ほら、この通り」


 ソルフィーユは軽く腕を振る。

 つい先ほどまで、不自然な角度に曲がっていた腕。

 だが神力の治癒により、すでに元の形へ戻っていた。


「……今、折れていませんでしたか?」


「質問は後です」


 ソルフィーユは視線をトロールへ向けたまま答える。


「今は――確実に的確に、始末しなければなりません」


 周囲からトロールが集まってくる。


 数が多い。

 だが、焦りはない。

 中途半端な攻撃は無意味。

 体力と魔力を温存しなければ、途中で力尽きる。


 一呼吸で、刃が閃く。


 瞬時、トロールの喉が裂ける。


 次の呼吸で、二匹目の急所へナイフが突き立てられる。


 リュミエルもまた動いていた。

 体内の魔力を静かに巡らせる。

 まるで体の表面に薄い膜を張るようにし、最小限の動きで最大の力を引き出す。


 ――聖騎士の極意。


 鍛え上げられた魔力は鋼のように凝縮され、その密度は並の攻撃では破れない。


 リュミエルの剣が振り下ろされる。


 一太刀。


 トロールの巨体が両断された。


 臓物が地面にぶちまけられ、腐臭が広がる。


 だが、そんなことに意識を向ける余裕はない。

 思考は、ただ一つの色に塗りつぶされていく。


 生きる。

 生き残る。

 ソルフィーユ様を守る。

 誓いを守る。


 そして――


 母が果たせなかったものを、自分が成し遂げる。


 リュミエルは剣を振り上げた。

 目の前の獣へ向けて、迷いなく振り下ろした。


  一方――


 ソルフィーユは蠢くトロールの群れを抜け、その奥に立つ大型トロールへと向かっていた。


 岩の上で腕を組み、戦場を見下ろすその姿。

 まるで高みの見物を決め込む王のようだ。


 ソルフィーユには、その思考が手に取るようにわかる。


 ――奴は王だ。


 自ら手を下すつもりはない。

 群れに任せ、獲物が抵抗し、もがき、最後に力尽きる瞬間を楽しむ。

 その光景こそが、奴にとっての愉悦なのだ。


 だから動かない。


 こちらが弱り、這いつくばり、命を落とすその瞬間まで。


 奴にとって、人間など地を這う虫と変わらない。

 いや――それ以下かもしれない。


「……魔物が知恵を持っても、所詮は魔物」


 ソルフィーユは静かに呟いた。


「獣ですら、こんな悪趣味なことはしません。こんな真似をするのは……人だけです」


 その瞳がゆっくりと暗く沈む。


「ならば私も――少し残酷にならないといけませんね」


 空気が変わった。

 殺意とは違う。

 だが、確かにヒリつく何かが広がる。


 水面に落ちた石の波紋のように、ソルフィーユを中心に不可視の気配が広がっていく。


 トロールたちの身体がびくりと震えた。

 理解できない感覚に皮膚が栗立つ。

 チリチリとした神経を逆撫でする異様な圧。

 それは皮膚から神経へと走り、背骨を伝い、脳へと届いた。


 ▽


 腕に古い傷跡が残るトロールは怖かった。


 目の前にいる小さな生き物が。


 だが――理由がわからない。


 小さい。


 弱そうだ。


 なのに、怖い。


 理解できない感覚が脳をかき乱す。

 

 それでも、トロールは知っている。


 怖いものは叩き潰せばいい。


 今までの人間もそうだった。


 捕まえた男は不味い。

 だが腹の足しにはなる。


 女は生かしておく。

 同胞の子を産ませるためだ。


 それでも肉は柔らかく、味も悪くない。


 だが、いつも回ってくるのは痩せた人間や、四つ脚の獣ばかり。


 トロールは不満だった。


 もっと良い獲物を食いたい。


 だから思った。


 この小さな人間の女は――


 俺のものだ、と。


 この女は速い。

 そして、活きがいい。


 数時間前に捕まえた女も、最初は活きが良かった。

 だが同胞が少し遊んだだけで、瞳から光が消えた。

 結局、自分の番が回る前に壊れてしまった。


 残念だった。


 だが――


 目の前の女は違う。


 綺麗な髪だ。

 あれは全部抜いて腰巻にするのがいい。


 あの目も変だ。

 不思議な模様。見たことがない。


 きっと美味い。


 体は黒くてよく見えない。

 闇に溶けて、輪郭が曖昧だ。


 だが女だとわかる。


 細い。

 だが肉はある。


 美味そうだ。


 ――邪魔だ。どけ。


 これは俺の獲物だ。


 トロールはこん棒を振り回した。


 近くにいた同胞の頭を叩き潰す。

 眼球が飛び出し、血が飛び散る。


 あはは。


 いい気味だ。


「ギャッギャッギャッ!」


 女との距離が詰まる。


 あと少し。

 手を伸ばせば届く。


 腕を伸ばす。


 その瞬間。


 指が――


 ぽろりと落ちた。


 一本。


 また一本。


 ぼろぼろと地面に転がる。


 熱い。


 痛い。


 何が起きたのか理解できない。


 叫ぼうとした瞬間――


 鈍く光る刃が、眉間に突き立った。


 皮膚を裂く。


 骨を割る。


 刃が頭蓋を貫き、脳へ届く。


 時間が遅くなる。


 思考がゆっくりになる。


 それでもトロールは腕を伸ばす。


 目の前の女を抱き潰すために。


 女は、ほんの一瞬だけ考える素振りを見せた。


 そして、ナイフを捻る。


 その瞬間、トロールの意識は、ぷつりと音を立てて途絶えた。

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