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聖女に転生したけど中身は世界最凶の暗殺者でした  作者: じゃむばた
聖女と南ディオール地方編
113/153

トロールの森 前夜

 急に立ち上がったのはリュミエルだった。


「ニャ?」


 ナナイが首を傾げる。

 どうしたのか、と不思議そうな眼差しだ。


 しかしリュミエルの胸は、ざわつきを抑えきれずにいた。


「ナナイ、それは過去の話でしょう? リュミエルも落ち着いて」


 ソルフィーユが柔らかい声色で声をかける。


「しかし……」


 言葉を飲み込むリュミエル。


 ソルフィーユにも思うところはある。


 タイガー商会の件。

 その頂点には、タイガー=ブラッドファングの存在があった。


 事情がどうであれ、ガルドは今、月下の牙の一員としてグランデル商会を守っていたのだ。


「俺はガルドが元傭兵だったことを知ったうえで、月下の牙に勧誘した」


 ライナーが焚き火に薪をくべながら言う。

 赤い炎がゆらゆらと彼の顔を照らした。


「過去なんて気にしない」


 その声には迷いがない。


「先の事件で獣王傭兵団は聖王国から指名手配されておる。猫娘、お主は今も獣王傭兵団に所属しておるのか?」


 バロックが酒を片手に問いかける。

 薪が弾ける音に混じって、その声がナナイへ届く。


「いんにゃ。アタイの部隊は全滅。敗走して、そのまま逃げたニャ」


 ナナイは焚き火を眺めながら、あっさりと答えた。


「向こうはアタイを死んだと思ってるか、もう忘れてると思うニャ」


 ソルフィーユはリュミエルへ視線を向け、静かに座るよう促す。

 もしタイガーの差し金でないのなら、ここで無用に敵対心を煽る必要はない。


「タイガーは、今どこにいるか知っていますか?」


 ソルフィーユが静かに問いかける。


「ボスに興味あるのかニャ? ボスなら、商業国家連合のどこかニャ」


 ナナイは焚き火を見つめながら答えた。


「どうしてそう思うのですか?」


「傭兵団を増強してるニャ。もちろん、バックには商業国家連合の資金が流れてるニャ。だから――どこかと戦争するつもりかもニャ〜」


 国崩。


 タイガー=ブラッドファングが口にしていた言葉が、ソルフィーユの脳裏に蘇る。

 彼は、本当に戦を始めようとしているのか。

 いつ、どこで――。


「……東の亜人領の統一だろうよ」


 ぼそりと呟いたのはガルドだった。

 その一言に、焚き火を囲む全員の視線が集まる。


「商業国家連合は、資源と人材を集めている。亜人の力は戦で重宝されるし、土地は未開拓で宝の山だ」


 ガルドは掌に拳を叩きつける。


「問題は、獣王傭兵団だ」


 青い瞳が炎を映す。


「タイガーは、人に使われるのを嫌う男だ。誰かの下で動くような奴じゃねぇ。何か理由があって動いてるに違いない」


 重い空気が焚き火の周囲を覆う。

 誰も口を開かない。


 ――ただ一人を除いて。


「この串肉、いただきだニャ!」


「あ! それ、俺が焼いてた肉だ! 返せ!」


「んニャ〜、美味いニャ〜!」


「ブチ殺す!」


 ガルドの大剣が振り下ろされる。

 刃はナナイの鼻先をかすめた。


 だが、ナナイは慌てる様子もない。

 ただ数センチ後ろへ下がっただけで、その一撃を避けていた。


 瞬きすらしていない。


 近くで見ていたソルフィーユは、思わず目を細める。


 ――見切りが鋭い。


 反射も、距離感も、異常なほど正確だ。


 単なる身軽さではない。

 戦闘の勘が研ぎ澄まされている。


「バカガルド! 竈が!」


 次の瞬間。

 焚き火兼用の竈が、ガルドの一撃で粉砕され、夕食は地面へと散らばる。


 ほとんどは食べられなくなった。


 だがソルフィーユは、空中に舞い上がった串肉を二本キャッチすると、その一本をリュミエルへ手渡した。


「死ね! ナナイ!」


「ニャはは〜。ガルドは相変わらず短気だニャ〜」


「てめぇみたいに呑気にしてたら、命がいくつあっても足りねぇ! あの時だって――」


 ガルドの剣が竜巻のように振り回される中、ナナイは軽やかに避け続ける。


 まるで舞っているかのようだった。


「仕方ない。ワシは馬車からつまみを取ってくるかの」


 バロックが立ち上がる。


「俺は周りの冒険者に事情を説明してくる」


 ライナーも腰を上げた。


「私は後片付けするわ」


 セレナがため息をつきながら散らばった食器を拾い始める。


「セレナ」


 ソルフィーユがセレナを呼び止める。

 

「なに?」


「もし、万が一、月下の牙に危険が及ぶようでしたら、私たちを置いて逃げてくださいね」


「何よ、縁起でもない」


「あくまで護衛は契約なので、失敗することもあります。ですが悔やまなくても大丈夫。次がありますから」


「本当にヤバかったら逃げるけど。でも、聖女様は死ぬ気なんてないでしょ?」


「ええ。勿論。切り札がありますか、最悪、私たちを置いて逃げてくださいね」


「期待に応えられるか分からないけどね」


 セレナは後片付けをすると、その場から離れていく。


 結果として――

 騒ぎの中心だけが、その場に残された。


 ▽


 翌朝。


 トロールの目撃情報があった地点へ、討伐隊は到達した。


 森の空気は重い。

 奥から流れてくるのは、鼻を刺すような腐臭だった。


 腐敗と血の混じった、不快な臭い。

 森全体が、何かに侵されているような気配がある。


「各自、準備を整えろ。危険と判断した場合は、速やかに退避しろ。撤退先はキャンプ地だ」


 ギルドから派遣された職員が、集まった冒険者たちへ声を張る。

 誰も返事はしない。

 だが、全員の目にはすでに戦いの火が宿っていた。


「ソルフィーユ様。戦闘は月下の牙に任せてください。私たちは情報収集に専念しましょう」


 リュミエルが小声で告げる。


「はい。手筈通り、深追いはしません。状況を見て臨機応変に」


 今回は戦闘を想定している。


 ソルフィーユは静黒聖衣を着用していた。ただしマスクは付けていない。

 リュミエルも灰黒色の軽鎧を身に着けているが、顔は隠していない。


 周囲に聖女がいることを周知させる最低限の装備だ。


「……なんかおかしいわ」


 準備が整ったところで、セレナがぽつりと呟いた。


「どうしました?」


 ソルフィーユが隣に並ぶ。


「この辺り、精霊が全然いない」


 セレナは眉を寄せ、周囲を見渡す。

 そして軽く手を振ると風の精霊が呼び出され、森の中へと散っていく。


「精霊魔法は使えるのですか?」


「精霊結晶があるからね」


 セレナの耳元で、緑色の宝石が埋め込まれたピアスが光る。


「これがあればしばらくは使える。でも長くは保たないし、大規模な精霊魔法は無理」


 肩をすくめる。


「まあ、保険みたいなもんよ」


 ソルフィーユは小さく頷いた。


 この森の奥には――

 精霊の声すら届かない場所がある。


「……あまり詳しくは探れなかったけど、この奥に十数匹いるわ。たぶん――トロール」


 セレナの言葉に、その場の空気が一瞬で張り詰めた。


 周囲の冒険者たちが息を呑む。


 百年以上、まとまった目撃例のなかった魔物。

 それが、すぐそこにいる。


 トロールと戦った経験のある者など、ほとんどいない。

 実戦の中で弱点を探り、手探りで数を減らすしかない。


 ざわつき始める冒険者たち。


 その横を、月下の牙の面々が前へ進み出た。


「俺たちはソルフィーユ様を守りながら行動する」


 ライナーが低い声で告げる。


「今回の目的は、魔物災害――トロールの大量発生の調査だ。原因があるなら、それを突き止め、可能なら排除する」


 昨夜の時とは違う。


 全員の表情が引き締まっていた。


 誰も言葉は発さない。

 ただ静かに頷く。


「危険だと判断したら無理はしない。即座に後退する。他の冒険者たちと連携して討伐を進める。以上だ」


 短い指示だったが、それで十分だった。


 同じ頃、ギルド職員が冒険者たちへ号令をかける。

 討伐隊は隊列を整え、順に森の奥へ踏み込んでいく。


 異変の中心へ向かって。

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