猫獣人のナナイ
湖畔のすぐそばに、一軒の立派な建物が建っている。
白い壁が湖面に映り込み、絵画のような光景を作り出していた。観光地としてなら申し分ない。だが実態はまるで違う。
ここは、戦場の中心だ。
武装した集団がひしめき合い、あちこちで怒号が飛び交う。肩がぶつかれば火花が散り、睨み合いが始まる。
とはいえ、無差別に刃が抜かれるわけではない。
奇妙な秩序がある。
武器は使わない。拳のみ。
殴り合い、倒した者がその場の正義となる。
粗野だが単純。
力が全てを決める、極めて分かりやすい世界。
そのギルドの扉を、ソルフィーユとリュミエルが押し開けると、空気がわずかに変わった。
喧騒が一瞬鈍り、視線が集まる。
透き通るような銀の髪。
背は低いが聖衣を纏う少女。
そして、付き添うように立つ女は、フォルキアでは知らない者はいない。
やはり、というべきか。
無数の目が、二人を値踏みするように見つめていた。
ソルフィーユは室内を見渡す。
怒号と笑い声が混じる中、奥に簡素なカウンターを見つけた。
あれが受付だろう。
大聖都ミレニアで一度だけ訪れたギルドの記憶を頼りに、何も言わず列の最後尾へ並ぶ。
「ソルフィーユ様……まさか、並ばれるのですか?」
小声でリュミエルが問う。
「……順番を守らず割り込むのは、権力を振りかざすようで気が引けます」
率直な本音だった。
「いえ、ここはしっかり権力を使った方がいい場所です」
耳元で、真剣な助言が返る。
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、横から影が差した。
「お前たち、見ニャい顔だニャ? 稼げる噂を聞いて来たのかニャ?」
無視するつもりだった。
だが、その語尾がどうしても引っかかる。
ソルフィーユは視線を向ける。
そこには、耳を忙しなく動かす獣人の女性が立っていた。
人と猫を足して二で割ったような容姿。しなやかな尾が揺れ、口元には愉快そうな笑み。
「……稼げる噂については存じません。ですが、フォルキア領で発生している魔物の群れについて、情報を集めに参りました」
「ニャるほどニャ〜」
耳がぴくりと跳ねる。
「ちょうど、フォルキアの兵士が持ち帰った情報が公表されるところだニャ。よかったら一緒に見るニャ?」
ソルフィーユは腕を組み、わずかに思案する。
場の空気。
彼女の立ち振る舞い。
敵意は感じない。
やがて、柔らかく微笑む。
「せっかくですので、ご一緒いたします」
「ソルフィーユ様、本気ですか? 得体の知れない冒険者ですよ?」
リュミエルが小声で警告する。
だがソルフィーユは穏やかに「まあまあ」とだけ返し、列を離れて獣人の後を追う。
「アタイのニャ前はナナイニャ」
「ナナイニャさん?」
「ナ、ナ、イ、だニャ」
耳がぴんと立つ。
「ナナイ。よろしくお願いします。私はソルフィーユ、こちらはリュミエルです」
名乗りを交わす。
ギルドの喧騒の中、奇妙な縁が結ばれると、ナナイの尾が楽しげに揺れていた。
「ソルフィーユとリュミエルは、パーティーかニャ?」
ナナイが尻尾を揺らしながら覗き込む。
「ええ。大聖都ミレニアから来ました」
「へぇ〜。アタイはカレドニア帝国から来たニャ」
その名が出た瞬間、リュミエルの肩がわずかに強張る。
ナナイはその変化を見逃さなかった。
一瞬だけ視線をリュミエルに送り、すぐにソルフィーユへ戻す。
「なぜ、カレドニア帝国から聖王国ディオールへ?」
穏やかな問い。
「あっちは戦争ばっかりニャ。命がいくつあっても足りニャい。冒険者より傭兵の方が多いくらいだニャ」
やれやれと肩をすくめる。
「傭兵は稼げるけど……一番イヤなのは、むさ苦しい連中と同じ天幕で寝ることニャ。あれは勘弁ニャ」
あっけらかんと笑う。
軽い調子だが、戦場を知る者の匂いがある。
帝国出身の冒険者。
偶然か。
それとも、この土地に流れてくる何かがあるのか。
ソルフィーユは静かに観察を続けていると、ギルド内が僅かに活気出す。
「あ、掲示板に張り出されるニャ」
ナナイが耳をぴんと立てる。
ギルド職員が大きな紙を壁に貼り付けると、周囲の冒険者たちが一斉に押し寄せた。
内容は明快だった。
共同魔物討伐依頼。
西フォルキアでオークとゴブリンの群れを確認。
南フォルキア、エルフの森入口付近でトロールの未確認上位種を確認。
現地へ赴き、担当者の指示に従い討伐せよ。
ざわめきが広がる。
「共同討伐にしては報酬がいいニャ! 魔物一匹につき銀貨一枚。素材は山分け。参加するだけでも稼げるニャ!」
ナナイは目を輝かせ、ぴょんと跳ねた。
その横で、ソルフィーユは冷静に報酬欄を読む。
「……かなり高額ですね」
「はい。父から聞きました。国内外のギルドへ情報を流し、冒険者や傭兵を募っているそうです」
「なるほど。だからナナイのような他国の冒険者も来ているのですね」
フォルキア領の兵士や騎士だけでは手が足りない。
そう判断したのだろう。
高額報酬に加え、衣食住の提供まで明記されている。
拠点を移すことも視野に入れた条件だ。
これは単なる討伐依頼ではなく、どちらかと言うと戦時体制に近い。
ソルフィーユは静かに掲示板から目を離す。
魔物災害は、もはや局地的な問題ではない。
領全体、国全体を巻き込む局面に入っている。
「ソルフィーユやリュミエルは、西と南、どっちに行くニャ?」
ナナイが尻尾を揺らしながら覗き込む。
「情報収集に来ただけですので、今すぐ決めるわけには……」
「一度宿へ戻り、相談が必要です」
リュミエルが冷静に補足する。
「ニャら、一緒にパーティー組もうニャ! アタイ、一人で寂しかったニャ〜」
猫なで声で距離を詰めてくる。
だが、ソルフィーユたちにはすでに月下の牙たちがいる。
新たな人員を加えれば、連携に乱れが生じる可能性が高い。
「申し訳ありません。私たちには他に四人、固定の仲間がいます。これ以上の追加は予定しておりません」
「ニャ、ニャんと……!」
ナナイは力が抜けたように肩を落とす。
とはいえ、ここはギルド。
周囲には討伐に参加しようとする冒険者が溢れている。西へ行くか、南へ行くかで熱を帯びた議論が続いていた。
「せっかくです。ナナイ殿も、ここで仲間を募ってはいかがでしょうか」
「ええ。獣人は戦力として優秀です。引き手は多いはずです」
「だといいニャ〜……」
耳と尻尾を下げながら、ナナイは受付へ向かう。
パーティーの募集だろう。
「では、私たちも宿へ戻りましょう。皆に情報を共有します」
「はい!」
喧騒を背に、ソルフィーユたちはギルドを後にした。
▽
「……」
扉の向こうへ消える二人の姿。
その様子を確認すると、数名の冒険者風の男たちが、時間差で静かにギルドを出ていく。
装いは粗野だが、足運びは洗練されている。
素人目には違和感はない。
だが――。
「ニャ〜? あの二人の仲間って訳じゃなさそうだニャ」
ナナイの耳がぴくりと動く。
何かが引っかかった。
次の瞬間、彼女は軽やかにギルドを飛び出すと、出て行った者のうち一人の背を静かに追った。




