フォルキア家として
「しばらく、グラン=テルムに滞在されるのか?」
エルディアスは姿勢を正し、ソルフィーユへ視線を向ける。
ソルフィーユは一瞬だけリュミエルを見やり、すぐに辺境伯へと向き直った。
「辺境伯にお目通りすることも目的の一つですが、それ以外にもいくつか為すべきことがございます」
「差し支えなければ、伺ってもよいか」
「各地で発生している問題の調査と、その解決への協力です」
本音を言えば、リュミエルの里帰りでもあった。
だが、それは胸の内に留める。
「……フォルキア領での魔物災害にも、手を貸していただけると?」
エルディアスの上体が、わずかに前へ傾く。
領主としての切実さがにじむ。
ソルフィーユは袖の内から一枚の羊皮紙を取り出し、静かに広げた。
「これは、レオナール=ディオール=アルケイン国王陛下と、アルヴァス=イル=レイディア教皇猊下の連名による書状です」
そこには、聖女ソルフィーユの聖王国ディオール国内における自由移動の許可、活動制限の撤廃、布教、貴族への表敬訪問、そして各地の異変の調査および解決への協力など、広範な権限が明記されている。
エルディアスは羊皮紙を受け取り、目を通す。
やがて深く息を吐いた。
「……聖女をここまで自由に動かすか。道中で神力を使い果たし、役目を終えることすら織り込んでいるように見える」
視線が鋭くなる。
「聖女様は、それを承知の上で受けられたのか」
ソルフィーユは静かに微笑み頷いた。
「……リュミエルは?」
「はい。国王陛下との謁見で説明を受けております。ソルフィーユ様からも、おおよその事情は伺いました」
エルディアスは深くソファへ身を沈め、しばし天井を仰ぐ。
そしてゆっくりと姿勢を正し、再びソルフィーユを見据えた。
為政者としての決断を下す前の静かな間だった。
「――真なる聖女」
その言葉に、ソルフィーユはわずかに目を細めた。
王の間での謁見。
アルヴァスが、意味深に口にした言葉。
「なるほど。聖女ソルフィーユが大聖都を出立した時期と、聖王国上層部で囁かれ始めた噂……同じ頃合いか」
エルディアスが口元を歪める。
「私の持つ情報を提供しようと思っている」
「真なる聖女について、ご存知なのですか」
ソルフィーユの言葉の中に期待が僅かに含まれるが、相手に悟られまいと、表情は変えない。
「取引をしよう」
「取引、ですか。私に可能な範囲であれば」
「お父様!」
リュミエルが思わず身を乗り出し、両手をテーブルに置く。
「待て、リュミエル。聖女様はフォルキア領で仕事をなさる。私は無償で動いていただくつもりはない」
その一言でリュミエルは、はっとして座り直す。
ソルフィーユがこの地に赴いた以上、異変の調査と解決は務めの一部だ。
テーブルに広げられた書状にも、その権限と責務は明記されている。
「……取引の有無に関わらず、フォルキア領で起きている異変は調査します」
穏やかに告げる。
「ですが、情報を開示しても問題はございませんか? レオナール陛下も、アルヴァス教皇猊下も、詳細は語られませんでした」
「構わん」
即答だった。
「聖女様の聖騎士となったリュミエルも、無関係ではない」
エルディアスの視線を受け、リュミエルは戸惑いながら首を横に振る。
自覚はない。
だが、何かが繋がっている。
「……承知しました。その取引、受けます」
ソルフィーユは迷いなく答える。
「助かる。調査団は連日の討伐で疲弊している。ギルドで情報を集め、怪しい地点の調査を頼みたい」
エルディアスは続ける。
「報酬は別途用意する。真なる聖女の情報とは別にな」
領主としての誠意。
そして、何かを試すような眼差し。
――真なる聖女。
その言葉の意味が、ゆっくりと核心へ近づいていく。
▽
エルディアスと別れ部屋を後にすると、エントランスへ向かう廊下の先から、一人の男がこちらへ歩いてくるのが見えた。
広場で指示を出していた、あの責任者らしき人物だ。
こちらに気づいた瞬間、表情がわずかに歪み、歩調が早まる。
「ノクティエルお兄様」
リュミエルが一歩前に出る。
声の調子が落ちた。
先ほどまでの柔らかさは消え、横顔に緊張が浮かぶ。
ソルフィーユは男へ視線を向けた。
整った顔立ち。鋭い目元。
よく見れば、確かにリュミエルと骨格が似ている。だが髪は金色。父エルディアスの血を色濃く継いでいるのだろう。
「なぜ、お前がここにいる」
低く抑えた声が静かな廊下に響く。
「父上から聞いていないのですか? 昨日、戻りました」
淡々と返すリュミエル。
廊下の空気が、静かに張り詰める。
兄妹の間に横たわるものは、単なる再会の距離ではなさそうだった。
「……聖騎士を解任されたそうだな」
ノクティエルの声は冷たい。
「のこのことフォルキア領へ戻ってきて、恥ずかしくはないのか?」
廊下の空気が凍る。
リュミエルは一瞬、言葉を失う。
だが、視線を逸らさず、ゆっくりと口を開いた。
「お兄様こそ、恥ずかしくはないのですか」
「……何だと?」
「危険が明白な夜に兵を出し、被害を広げる。指揮官として、最善だったと言えますか」
声音は震えていない。
ノクティエルの眉間に深い皺が刻まれ、こめかみに血管が浮かぶ。
「お前に何が分かる」
低く、抑えた怒り。
ノクティエルの目が剣より鋭く、リュミエルを刺す。
「フォルキア領は今、危機の只中だ。魔物の群れは膨れ上がり、近隣の村の半数以上が壊滅した。皆殺しだ」
拳が固く握られる。
「俺は将来、この領地を預かる身だ。守る責任がある。お前のように領地を離れ、聖騎士にすらなりきれなかった者に、フォルキアの名を語る資格はない!」
その言葉は刃だった。
廊下に重苦しい沈黙が落ちる。
兄の怒りは侮蔑だけではなく、焦燥と責任の重圧が混じっている。
だが、それでも――言ってよい言葉と、越えてはならぬ線がある。
――だが。
「……証明します」
リュミエルは一歩踏み出し、ノクティエルを真っ直ぐ指差す。
「私は、お母様が成し遂げられなかった遺志を継ぎます。聖騎士として、聖王国の騎士として、この国を守ると!」
胸を張る。
押し殺してきた想いが、言葉となって解き放たれる。
その表情には迷いがない。
自信が宿り覚悟が滲む。
かつて兄の背を追っていた少女はいない。
自らの道を選び、立つ騎士がいる。
ソルフィーユは、しばし黙してその姿を見守った。
そして、半歩前へ出る。
「先ほどはご挨拶が遅れました」
優雅に一礼する。
「大聖都ミレニアより参りました、ソルフィーユと申します。リュミエルには日頃より支えられております」
澄んだ声が廊下に響く。
その名を聞いた瞬間、ノクティエルの動きが止まった。
視線がリュミエルへ向き、そして再びソルフィーユへ戻る。
驚愕と警戒と、わずかな計算。
だが口は開かない。
ただ、強い視線でこちらを射抜くだけだった。
やがて重い口が開く。
「――聖女様とは存じ上げず、我が兵の治療をお任せしてしまったこと、深くお詫びいたします」
ノクティエルは即座に姿勢を正し、丁重に一礼する。
「ノクティエル=フォルキア。次期当主として、務めている」
先ほどまでの剥き出しの感情は消え、貴族としての顔がそこにあった。
「急ぎの用がございますので、これにて失礼いたします」
簡潔に告げると、ソルフィーユたちの横を通り過ぎる。
向かう先は父エルディアスの執務室だろう。
足音が遠ざかり、廊下に静寂が戻る。
「……申し訳ございません」
リュミエルが小さく頭を下げる。
「あれが、私の兄です。本来なら、家督を継ぐ者として正式にご挨拶すべきでした」
声には悔しさと、わずかな自責が混じる。
だがソルフィーユは静かに首を振った。
先ほどのやり取りは単なる無礼ではない。
焦燥、責任、そして恐れ。それらが複雑に絡み合っている。
家族という関係は、時に他人よりも難しい。
「リュミエル」
「はい?」
「時間がありますし、ギルドで情報収集をしましょう」
「かしこまりました! ご案内いたします!」
調子を戻したリュミエルを先頭に、ソルフィーユたちは足取り軽く、フォルキア家の屋敷を後にした。




