36話 遂行力の真価
俺は大学受験という明確な目標を掲げた。
「相沢、おまえの実力なら有名私立の大学でも十分射程圏内だろう」
担任の先生が俺の大学受験の意思を強く尊重してくれる。
「大学によってはそこ独自の奨学金などの制度があったりするし、こちらも色々と調べておくよ」
有名私立……か。
偏差値が飛びぬけた大学でなくても就職に強いと言われている側面があったり、魅力的ではある。
大勢の学生が通うマンモス大学なら自分とは違う価値観を持っている人間と出会うことだってあるだろう。
それも大学生の醍醐味の一つかもしれない。
「先生……俺は……難関大学を受験しようと思っています」
でも、俺はそういう意味で大学を受けるわけじゃない。
経済的なこともあるし、そもそも学力的な問題だってある。
トップの大学を狙っている者たちは高校生になった段階から大学受験を意識して、毎日努力を重ねている。
それに比べて俺は大きく遅れを取っている状況といって差し支えない。
「転校前の海明学園にいたおまえなら、その素質は当然あるかもしれないが……」
先生は何やら考え込んでいる。
今の俺の学力がはたしてそこに通用するのか、疑問符を浮かべているに違いない。
「うちの生徒たちは進学する者が多いが、過去難関大学に合格した生徒なんていないんだ。だから、学校側がどこまでおまえにサポートできるかは正直わからない」
当然それは承知している。
学校で基礎学力を固める程度で受かるはずがない。
自分でやるしかないんだ。
「大学は二つ受けようと思っています。難関私立と、国立を受けます」
安全圏の滑り止めは考えていない。
落ちるかもしれない。
大学に通いたい気持ちは当然ある。
でも、それ以上に……俺は逃げなかったということを証明したいんだ。
『大和!絶対に大学も一緒に行こうね!』
葵とした約束なんて関係ない。
『葵のパートナーとしても歓迎するよ────難関大学への合格というのはどうだろうか?』
大輔さんとした話もどうでもいい。
俺は挑戦する。
自分自身のために……。
♢
「雫は画塾とか予備校?には通わないのか?」
「お母さんに言われて体験には行ったけど、べつにいいかなって」
「本当に短大にするのか?真知子さんには大学を受けても良いって言われてるんだろう?」
「うん。大学だと4年間行かないといけないし、私には贅沢だなって。あっ、後ろ向きな考えじゃないぞ! 好きなことを勉強するのはもっと短くていいかな、と思っただけ。早く働きたい気持ちもあるし」
雫なりに色々と考えて決めたことなんだろう。
俺も、自分の意思で大学を受けると決めたんだ。
最近は穏やかな日常を過ごせているけど、それに甘んじて妥協なんてしたくない。
「それにしても大和……どれだけ勉強するんだよ。学校から帰ってきてずっと机に噛り付いてるし」
「いや、これだと足りないぐらいだよ」
平日の勉強時間はあまり取れない。
せいぜい安定して勉強できる時間は7,8時間ってところ。
睡眠不足や不規則な生活は厳禁だから、無理をせずに効率重視だ。
「私は……大和みたいになれないなぁ。そんなに長い時間頑張れないよ」
俺が勉強をしている間、雫だって学校の宿題をしたり、絵の練習をしたり。
頑張っているじゃないか。
「俺と比べる必要なんてない。雫は頑張っているし、そんなに自己否定しなくていい」
「う、うん……でもさ……」
持っていたスケッチブックをペラペラとめくって、何やら考え込んでいる。
最近は学校で少しずつ馴染めているし、目標も決まって楽しそうにしていたのに……一体どうしたんだ?
「ん? 雫……ちょっといいか?」
雫のスケッチブックが気になった。
亡くなった父に買ってもらったというそのスケッチブックを彼女はいつも大切に扱っていることを知っている。
それなのに……。
「なに? 今日はまだ絵は描けてないけど……」
そのスケッチブックが1ページ乱雑に破り取られているように一瞬見えたんだ。
「いや……前に見せてもらった建物の絵なんだけどさ、それをもう一度見せてほしくて……」
俺がそう言うと、雫は暗い表情になり押し黙ってしまった。
「……だめ、か?」
いつも自分から絵を見せてくる雫らしくない。
「……あの絵は……もう、無いんだ」
絵が無い?
さっき破れていたページが、もしかしてその絵だったってことか。
「進路のことをお母さんに相談した時に、今まで描いた絵を見せたんだけど……」
そのスケッチブックを見せたんだな。
「その時に、お母さんが不注意でお茶をこぼしたみたいで……それで、その絵は汚れたから捨てちゃったんだ」
悲しそうな顔をしていた。
せっかく描いた絵を台無しにされてしまったから?
「……そうか。それは……残念だな」
今の俺は雫の性格をよく知っているつもりだ。
こいつはとても素直な女の子だと思う。
だから……その話は少し、引っかかる。
「その時に、お母さん……真知子さんに大学を目指しても良いって言われたのか?」
「うん……凄く嬉しかったけど……」
けど?
「お母さん、いつも本当に優しいんだ。でも、その時は……上手く言えないけど……いつもとは違った、かな」
俺も真知子さんとは何度か話をしたことがあるから、とても心優しい人だということは知っている。
「真知子さん、夜勤ばかりで疲れているんだろうな……」
「うん……それも、あると思うけど……多分、お父さんの命日が近いから……」
亡くなった雫の父親……。
「雫が小さい時に亡くなったんだろう? 凄く大変だったんだろうな、真知子さん」
他人の俺が安易に掘り返していい話ではない。
「うん、そうだろうね。私も当時、なにがあったのか……よくわからなかったし……」
それでも……。
「お父さんは……なにか病気だったのか?」
俺は……一歩踏み込んでみる。
「違う……そんなんじゃ、ない……」
首を横に振って否定する雫の表情が……。
「お父さんは……自殺したんだ」
みるみる青ざめていった。
♢
学校が楽しい。
ここのところ、そんなふうに思っている。
一度だけ、クラスメイトと遊びに行った。
くだらない会話をしたり、ファミレスに行ったり、一緒に宿題をしたり。
その場には雫も一緒にいて、彼女も笑みを見せていた。
今は受験に向けて勉強ばかりしている毎日だけど、楽しい。
学校に行くこと、勉強ができること、友達がいること。
客観的に見れば何気ない毎日かもしれないけど、とても充実している。
「セミも頑張って鳴いてるなぁ」
何かに急き立てられることはない。
ただ、自分のために頑張ればいい。
もう夏だ。
猛暑日ばかりで体に堪える。
そしてもうすぐ夏休み。
大幅に勉強時間を確保できる期間。
「大和はオープンキャンパスに行かないのか?」
「あぁ……俺は、いいかな」
「え? そうなの?」
雫が不思議そうな顔で俺を見つめていた。
「意外か?」
「大学目指してるクラスの連中は皆行くって行ってたから、大和も行くのかなと思って」
少し嬉しいな。
俺がいないところでも雫はクラスメイトとそんな会話をするようになっているんだな。
「オープンキャンパスに行けば、絶対にここの大学に行くぞ!っていう気持ちが湧いてきたって言っていた奴もいたし」
「……なるほど」
模試を受けたり過去問やテキストの問題を解いて自信をつけるよりも、もっとモチベーションが上がるかもしれない。
スマホで受ける予定の大学のホームページをチェックした。
「……そうだな。息抜きにもなるかもしれないし、行ってみるかな」
ちょうど今週末、オープンキャンパスが開催されるらしい。
「大学かぁ……私も一度行ってみたいなぁ……」
「雫も一緒に行くか?」
「えっ? いいの? 私、その大学受ける予定ないけど」
「べつにいいんじゃないか?」
「うーん……その大学ってどこ? 遠いの?」
「国立だよ。電車に乗るし、近くはないな」
大学へ行く。
少し、心がわくわくしていた。
♢
「今日も……暑いなぁ」
俺は今初めて大学という場所に足を踏み入れた。
高校とは全く違う雰囲気。
敷地の広さは勿論だが、行き交う人々がとてもカジュアルに見える。
ここに通っている人は全員受験に受かった人たちなんだ。
まあ、当たり前なんだけど。
大学に興味があるように見えた雫も誘ったのだが、結局ついて来なかった。
新鮮な雰囲気で高揚しているのだが、外気が暑すぎる。
「じ、自販機ないかな……」
適当にキャンパス内を歩きながら周囲を見渡すと、街中でよく目にするコンビニの看板が目に入った。
「えっ?……大学内って、コンビニがあるのか?」
あれだけ大学大学と言いながら、キャンパス内にコンビニがあるだけで驚いてしまうほど俺は無知だったらしい。
「あるよ。大規模な大学では珍しくないからね」
つい口から出た俺の疑問に答える声が後方から聞こえた。
反射的に振り返ると、その声の主は言葉を続けていた。
「今日も暑いね」
暑さでぼーっとしていた俺だったが、その人を見た瞬間、思わず目を見開いた。
「久しぶりだね。元気だった?」
静かに微笑んだその人は俺の傍まで徐に歩み寄ってきた。
相変わらず清楚で美しい女性……。
「待ってたよ、大和くん」
だけど、久しぶりに見たその人は……速水先輩は……とても大人びて見えた。




