33話 尊い個性
「あの人だよね? 相沢くんって」
「うん、凄いよね。今回の学年末テスト断トツで1位だもんね」
学校の廊下を歩いてるだけで視線を感じる。
「相沢くんってさ、普段どんなことしてるの? 趣味とかは?」
教室でも色んな人が話しかけてくる。
「勉強にコツとかあるか? 俺、理系科目って苦手でさ」
少し前にやってきた転校生がいきなり成績トップ。
注目を浴びることは覚悟していたけど。
「進路はやっぱり進学? 絶対良い大学いけるよね」
ああ……たしかこんな感じだったなぁ。
転校前の海明学園高校に入学した時は、皆俺の周囲に集まってくれて話しかけてくれた。
「あぁ……進路は、まだ……思案中、かな」
前の学校、そして今も、チヤホヤされているのは周りより少しだけ勉強ができたから。
しかし結局成績が落ちて、俺は誰からも相手にされない存在に……。
「相沢くんぐらい勉強ができたら絶対進学だよな。就職する奴もこの学校には結構いるけど」
就職、か……。
以前の学校では進路は進学ばかりで卒業してから働くなんて想像になかった。
「あ、そういえばさ、あいつ……今回は成績どうだったんだろうな」
俺の座席付近に集まっていた数人のクラスメイトが小声でヒソヒソ話を始めた。
「どうせ、また赤点だろうな。あいついつも先生にダメ出しされてるし」
クラスの隅の席、孤立して一人でスマホを触っている女子生徒……斎藤雫はこんなふうに時折陰口を叩かれている。
それは本人も認知してるだろう。
それでも彼女はなにも気にした様子はない。
この状況に、俺は転校前の自分を雫と重ねて見てしまう。
転校前の俺はあきらかに浮いていた。
そのことは勿論自覚していたが、俺にはまったく話相手がいなかったわけではない。
俺のことを気遣ってくれていた親友や恋心を寄せていた幼馴染が……たしかに俺の傍にはいたんだ。
でも、あいつには……雫には、誰もいないんだ。
♢
「雫のお母さんはこれから夜勤が多いのか?」
「ああ、人手不足らしくて当分そうらしい」
学校が終わり帰宅すると、俺と雫はどちらかの部屋に集まって授業の復習と予習をすることが日課になった。
今日は雫の自宅のリビングで勉強をしている。
少し前まであれだけ勉強を嫌だっていたのに最近は精力的だ。
「なぁ雫、なんで急に勉強を頑張ることにしたんだよ?」
「それは……この前にテストで、全科目60点は……取れなかったし……」
そのノルマをクリアすれば、ご褒美で俺が雫の言うことを聞かないといけないっていう話だったけ。
「それにしても凄いじゃないか。今までは平均以下の点数も多かったのに、今回はどの科目もそれを上回ってるし」
「べつに凄くないだろうが。私は……60点以上……取りたかった」
少し悔しそうにそんなことを呟いた雫はテキストに視線を戻してペンを走らせる。
ご褒美って言っていたが、そんなにも俺にしてほしいことがあったのだろうか?
「雫……前にも言ったけど、俺には金がない」
「はあ?なんだよ急に。おまえが貧乏なのは知ってるって」
俺は雫に同情しているだけなのかもしれない。
学校でのこいつの姿を勝手に過去の自分と重ねて……。
「いや……俺になにか命令するんだろう? それを聞いてやるって」
「え? ……いいのか?」
俺がそんなことを言い出すと思っていなかったのか、雫は目を丸くしている。
「ああ、まあ……今も勉強頑張ってるし、俺にできることならな」
金が掛かることは要求してこないだろうし、少しでも雫のモチベーションが上がるならそれでいい。
「ちょっと……待ってて」
そう呟いた雫はどこか神妙な面持ちで立ち上がり、リビングから出て行った。
すぐに戻ってくるのかと思っていたのだが、数分経っても雫は姿を見せない。
トイレにでも行っているのかと思った矢先、ようやく雫が戻ってきた。
「なにしてたんだよ、遅かったな」
「あぁ……うん……」
なぜか弱弱しく言葉を発する雫は両手でなにか抱えていた。
「それ、なんだ? 画用紙か?」
「スケッチブック……絵を描く時に使うんだ」
「雫、絵なんて描けるのか?」
「まあ、少しだけど……」
そんな趣味があるなんて知らなかった。
まあ、まだ知り合ってそこまで時間が経っていないんだから当然か。
「もしかして、俺になにか命令するって話はそれか?」
「……そうなんだけど」
雫はそれ以上は何も言わずにスケッチブックを俺に差し出してきた。
「見てもいいのか?」
黙って頷いた雫を見て、俺はそのスケッチブックを開いた。
「これ、雫が描いたのか!?」
そこに描かれていた絵に俺は驚かされた。
力強い線で、息をのむほど精緻で描かれている迫力あるその絵に魅了されていた。
「す、凄いじゃないか! 雫にこんな才能があったなんて!」
老若男女、犬や猫、描かれている人や動物は躍動感にあふれている。
食器や机などの何気ないモチーフはとても繊細に描かれていた。
俺は彼女が描いた絵に心を奪われた。
絵の知識なんて皆無な俺だけど、同じ年の女の子がこんな凄いことができることに感動していたんだ。
もっとたくさん雫の絵が見たい。
そう思ってスケッチブックを夢中になってめくっていた。
「あれ? もう終わりか」
そのスケッチブックはまだ半分近くが余白だったので、もっと雫の絵が見たかった俺は残念な気持ちになった。
「そのスケッチブック、死んだ父さんに買ってもらったものなんだ。だから、心から描きたいと思った時に使うようにしてる」
とても悲しそうな顔をしていた。
「……そうか。亡くなったお父さんに……」
雫の家が母子家庭なことは知っていたが、身の上話を聞いたのは初めてだった。
「ここまでの絵のレベルになるまでにとんでもない量を描いてきたんじゃないか?」
「どうだろう……絵を描くことは好きだったから、苦労はしていない。普段は広告の裏とかで落書きしているだけだから」
このスケッチブックに最初に描かれている絵はおそらく何年も前に描かれたものだということがわかる。
最後に描かれている絵と比べると、画力が格段に上がっていることが素人目でも明らかだった。
「小学生の時から……これに描き始めたんだ。昔、私の絵を褒めてくれた人がいて……それが凄く嬉しかった」
トゲトゲしい性格の雫が今は穏やかな表情をしていた。
「当時、私は本当に勉強ができなくて学校でも馴染めてなくて……まあ、今もだけど。そんな私にとって絵を描くことだけが好きなことだった」
お父さんが亡くなって、仕事や家事で忙しくしてたお母さんはあまり構ってくれなかったらしい。
「でも、ある時小学校で私が絵を描いてることを馬鹿にしてくるクラスメイト達がいて……。それがすごく辛かった」
それが原因で今の雫は他人と関わらないようにしているのかもしれない。
自分の好きなことを否定されることは、きっと辛い。
「そんな時に、私の絵をすごく褒めてくれる人に出会った。今の……大和みたいに」
「そうか。雫にとってそれが凄く嬉しかったんだな」
「うん、それから私は毎日絵を描いていた。楽しかった。でも……こんな私にも友達だと思っていた人がいたんだけど……その人に『絵なんて描いていても将来役に立たないんだから勉強したほうが良いよ』って言われて、それが堪えた」
生き甲斐だったことを否定されたんだ。
「その友達には絵を見せたってことは、信頼してたんだな」
「うん。その友達は私によく勉強を教えてくれたし……私は勝手に憧れていたんだと思う」
それから雫は絵を描かなくなったらしい。
「大和……絵のモデルになってほしい」
「モデル? 俺を描くのか?」
「うん。私、人物画なんて実際のモデルを見てほとんど描いたことがないんだ。いつもネットの画像とかで。だから……」
そうだよな、モデルになって欲しいなんて気軽に言える相手は雫にはいないんだよな。
「あー……いいよ。俺なんかで良かったら」
「ほ、本当に?」
少し驚いたように雫は俺に訪ねてきた。
「なんだよ? べつにそれぐらいだったらお安い御用だ」
こいつの中で、もう一度絵を描きたいっていう気持ちになる出来事があったんだろうな。
「大和……私さ、周囲よりも勉強もできないし、こんな性格だし……」
……そうか。
こいつの普段の立ち振る舞いは防御本能だったんだな。
「雫は自分で思っているよりも、ずっと凄い人間だと俺は思うけどな」
前回のテストだって毎日少しずつ頑張ったから平均点以上を取れた。
「私は……大和みたいに勉強できないし」
「俺は雫みたいにこんなに凄い絵は絶対に描けないぞ」
こんなに素晴らしい個性を持っているのに……。
「絵でも勉強でも、何でも良いじゃないか」
俺はスケッチブックを閉じて、それを雫に返す。
「さあ、俺はどうすればいい? 床にでも座っていれば良いのかな?」
目の前の自己肯定感の低い女の子が自分の可能性を狭めてしまっている現状に、心が痛かった。
俺がその場に座り込むと、雫も腰を下ろしてスケッチブックを広げた。
「そのスケッチブックに描いても良いのか? それは心から描きたいと思った時に使うって」
「ああ、私は……大和を描きたいから」
「俺を……?」
「大和は……私の絵を凄く褒めてくれたから……」
雫は俺の目を見て言葉を続けた。
「昔、私の絵を褒めてくれたあの子は…………」
あの子は……?
「……あ、あの時みたいだなぁって思って……本当に嬉しかった」
雫の目に涙が溢れていることがわかった。
涙を見せたくないのか、彼女は慌てて目を擦っていた。
「俺なんかで良かったら、いつでもモデルになるよ。いや、でも同じ人間ばかり描いていても仕方ないか」
「ううん、そうでもないよ。ポーズ取ってもらったり。ヌードデッサンなんかもしてみたいし」
「えっ!? ヌードって……裸になるのはちょっとな……」
「ははっ、冗談だって」
楽しそうに笑う雫を多分……初めて見た気がした。
「大和……」
でも……。
「ん?」
なんでだろう……?
「本当にありがとう」
スケッチブックで口元を隠して照れながらお礼を言った雫を……俺は知っている気がした。




