32話 頑張る理由
「あぁー!わからんねぇ!!」
ようやく少し住み慣れてきた新たな住居であるアパート。
その広くはないリビングで、俺はお隣に住んでいる斎藤雫に勉強を教えているのだが……。
「おい、静かにしろよ。近所迷惑だろうが」
斎藤……雫はテキストを力強く閉じて机に突っ伏してしまった。
「もう少し頑張れよ。まだ一時間ぐらいしか経っていないぞ」
「無理、これ以上やったら脳が溶ける」
テストが近いからと勉強を教えろと言ってきたわりに、結局は続かない。
「斎藤……雫って、成績あまり良なくないんだろう?このままだと追試になるかもしれないぞ」
「はあ!?追試!?そんなのやってられるかよ!」
「じゃあ頑張れよ。最低でも毎日3時間ぐらい勉強すればそんなことにはならないはずだ」
「いやだ!」
今通っている高校は決してレベルが低いわけではないが高いわけではもない。
雫だって自頭は悪くない。
強いて言うなら呑み込みが遅いことか……。
継続力さえ身につけば、それを克服することができるだろうけど。
「どうしたものかな……」
不貞腐れてしまった雫を尻目に俺はテキストの問題を漠然と解いていく。
自分の力を誇示するつもりなんて毛頭ないが……俺にとって今の学校の授業はとても緩く感じる。
いや……このぐらいがちょうど良いのかもしれない。
この先、なにか目標があるわけでもないし……。
「あーあ、なにかモチベーションがあれば勉強するんだけどなぁ……」
独り言なのか、俺に言っているのかは知らないが、突然そんなことを呟いた雫が俺の顔をジッと見つめてくる。
「モチベーション?そんなもの必要か?」
「あったほうが良いに決まってるだろうが。おまえだってなにか理由があって勉強に取り組んできたんじゃないのかよ?」
「理由、か……」
俺は昔から図鑑とか辞書とか、割と調べ物は好きだった気がするけど……。
「なにかご褒美とかさ……そういうものがあったほうがやる気が出るのになぁー」
俺は……どうして……勉強を頑張っていたんだっけ……?
「おい!聞いてんのか!?」
「え……ああ、なんだっけ?」
「だから、ご褒美だよ!それがあったら頑張れるって言ってるんだよ!」
「わ、わかったから大きな声を出すなよ。隣の部屋で雫のお母さん寝てるんだろう?このアパート壁が薄いんだから」
「はあ!?ボロアパートだと!?管理人の娘の私によくそんなこと言えるな!」
「べつにボロいとか言ってないだろう!」
このアパートの管理人は雫の母親である斎藤真知子さんだ。
真知子さんは普段総合病院の事務職をしていて、その職場で俺の母さんも働いている。
「ふっ、おまえだってデカい声出してるじゃんか」
「それは雫が……」
こいつと話しているととても疲れる。
これだけ元気があるんだから、もっと勉強を頑張ればいいのに……。
「で?そのご褒美って、まさか……俺になにか強請るんじゃないだろうな?」
「ああ、そうに決まってるだろう」
なに言ってるんだ、こいつは……。
「あの……知ってると思うけど、俺金は無いぞ」
真知子さんは俺と母さんの家庭事情を少しは知っているみたいだ。
娘である雫も俺が貧乏だということぐらいは知っているだろう。
「うん、知ってる。私だって大して金持ってないし」
「だったらなにを俺に求めるんだよ?」
「うーん……そうだなぁ……」
……って、なにも考えてなかったのかよ。
「じゃあ取り合えず、今度のテストで全科目赤点を回避したらご褒美ってことで」
「ちょっと待て。赤点って40点未満だろう?せめて60点は取らないと認められない」
何を要求してくるかは知らないが、もう少し意識を高く持ってほしい。
「はあ?私が全教科でそんな点数取れるわけないだろうが」
強気な発言が目立つ雫が自信無さそうに答える様子を初めて見た。
「取れる。しっかり集中して勉強すればな」
「む、無理だって……私、高校生になってからろくな点数取ったことがないし……」
「だからさ、それは今みたいにだらけて勉強しないからだろう?」
「もともと頭が良いおまえにはわかんねぇんだよ……」
なんだ?
いつも強気な性格なのに、今はなんでこんなにも弱気なんだ?
「勉強なんて……楽しく、ないし……」
俯いている雫を見ていると、自然と昔あったことが……頭をよぎった。
「そっか……そうだよな。楽しくないよな」
少し昔のことを思い出した。
そして、なぜ俺が勉強を頑張っていたのか……。
「雫、わからいところは俺が教えてやるから、少しずつでいいから頑張ろうな」
特に気の利いたことを言えるわけではない。
でも俺は目の前の弱気になっている女の子を放っておけなかったんだ。
「……うん……わかった。少しは頑張る……」
今度は妙に素直だ。
テキストを再び開いてペンを持ち勉強を再開する雫を見た俺は……あいつとの思い出を回想した。
幼少期の頃、あいつも勉強が苦手だった。
でも今ではそれを克服して……俺なんかよりも……。
「大和……どうかしたのか?難しい顔して」
「あ、いや……なんでもないよ」
あいつは……葵は……今頃どうしてるだろうか?
俺のことなんて忘れて、今も色々なことを頑張っているんだろうな……。
「大和、ここがわかんないんだけど……」
「ああ、その問題は────」
転校前のことを思い出すと暗い気持ちになっていた。
でも時間が経った今は少し違う気がする。
「ところでさ、ご褒美だけど」
「さっきも言ったが、金は無いぞ」
「わかってるって。もしもテストで60点以上とれたらさ、一日私の言うこと聞いてもらうから」
「ん、なんだそれ?一日俺が雫の命令を聞くってことか?」
「そうだって言ってるだろうが。おまえは私の奴隷になれるんだ、光栄だろう?」
奴隷って……一体なにをさせらえれるんだ……?
嫌な予感しかしない。
「なら、精々頑張るんだな」
しかし俺は特に反論はしない。
「なにを命令しようかなぁ、楽しみだなぁ」
理由なんて人それぞれ。
とにかくなんでも良いじゃないか。
『また100点!?本当に凄いよ、大和は!』
俺が高得点を取ると、いつもあいつは喜んでくれた。
あいつの笑顔が俺の原動力だった。
「どうしたんだよ、大和?手が止まってるぞ。人には頑張れって言うくせに」
「え、ああ。……そうだな、頑張らないとな」
頑張る理由はなんでも良い。
だって……頑張れないことは辛いことだから。
俺が頑張っていたのは、葵の……喜ぶ顔が見たかったから。
いや、どうだろう?
単純に……好きな女の子にかっこいいところを見せたかっただけなのかもしれない。




