28話 思い出した心
「葵さん、大丈夫?お父さんもいらっしゃるし、今日は帰りなさい」
あれ……?
大和は……たしか、後夜祭に来ていて……。
「あとのことは徹に任せて大丈夫だと思うから」
あぁ、そうだ……私、大和を追いかけたけど……彼は行ってしまった。
私の頭はパニック状態で……。
結局、大和には誤解されてしまったまま……ろくに話もできなかった。
「あ……は、い……」
私は学校の正門前で地面に腰を下ろした状態から立ち上がれない。
「葵……もうすぐおまえのお父さんが車でここに来るから。学校のことは俺に任せて、ゆっくり休めよ」
目の前には徹と紀子さんがいて、二人とも体調が悪いように見える私を気遣ってくれているのだろうけど、今はなにも頭に入ってこない。
『俺に……関わらないでくれ』
さっき、去り際に言われた大和のあの言葉はきつかった。
今でも……信じられない。
父の車で自宅に帰宅した私はシャワーも浴びずに自室のベッドで横になった。
一人になった空間で少しずつ現実を理解し始める。
大和に拒絶された。
それはきっと、徹とのフォークダンスが原因だ。
私は徹のために頑張っただけなのに……。
「うっ……どうして……大和……会いたいよ」
今日あった出来事がなにかの間違いであってほしいと強く願う。
声が震えて、涙が溢れて、込み上げてくる感情を枕に顔を埋めて吐き出した。
「やま、と……わたしが、すきなのは……あなた……で」
頭が痛い。
体に力が入らない。
瞼が重い。
次第に眠気がやってきて、現実逃避するように睡魔に抗うことなく眠りについた。
♢
翌日、授業はないけれど文化祭の後片付けがあった。
私は学校を休んだ。
熱があって、体が怠くて、頭が痛くて。
大和に会いたかった。
誤解を解きたかった。
でも、仕方ない。
今日は熱があるんだから、学校には行けない。
大和に会いたいと思っているくせに、不可抗力で学校を休んでいる今の状況に少しだけほっとしていた。
その理由はわかっている。
誤解を解く……それは今までの経緯をすべて説明すること。
それが……怖かった。
私は悪くないのに。
その言い訳が通じる状況なのか……。
そして父と大和の昨日の会話も引っかかる。
いつからだろう……大和があんなふうになってしまったのは。
中学の時にお互いのお父さんが喧嘩して、簡単に会えなくなって……。
高校生になった時はいつも通りで……。
最初に違和感を感じたのは1年生の1学期……中間テストで……彼が1位ではなかった……時。
「あぁ……大和、私の話を……きい、て……」
今はだめだ。
なにも考えられない。
その日は熱に魘されながら眠り続けた。
♢
『おかけになった電話番号は現在使われておりません』
自宅の固定電話を久しぶりに使った。
私がかけた連絡先は大和の自宅。
「あれ……なんで……どうして……」
何度電話をかけても受話器から聞こえてくるのは自動音声だった。
「なんで繋がらないの!?スマホもないし!」
文化祭から4日が経った。
結局私は学校を3日も休んでしまった。
体調はほとんど元に戻ったけど、今日は日曜日で学校は休み。
寝込んでいる間に色々と考えた。
私の中で最も強い感情はやっぱり……彼を想う気持ちだった。
大和に会いたい。
大和と一緒にいたい。
大和に私のことを理解してほしい。
緊張や不安は大いにあるけど、意を決して大和の自宅に電話をかけた。
けれど電話は繋がらない。
文化祭の日からスマホが行方不明なので、大和本人に直接電話をかけることもできない。
「もう!なんでいつもこうなの!」
タイミングが悪いというか、後手に回るというか。
イライラしたり、不安になったり。
また感情の起伏が激しくなっている。
「行こう……大和の家に……」
時間を空けて何度電話しても繋がらないので、私は大和の自宅に向かうため玄関を出た。
「お待ちください!葵さん!」
外に出ると、慌てた様子で父が雇っている家政婦さんが呼び止めてくる。
「病み上がりではないですか。今日は外出を控えてください」
「私は大丈夫です……もう体調も元通りなんで」
「だめです。旦那様から葵さんのことを任されている私としては……。今日は無理をなさらずに自宅でお寛ぎください」
父は海外出張で1週間ほど家を空けていると聞いた。
私としてはこれから大和の自宅へ行くのに、父がいないこのタイミングの方が都合が良い。
「昨日の夜まで熱があったのですよ?今日一日ゆっくりお休みになっていてください」
「大丈夫です!私のことは放っておいでください!」
この家政婦さんは私が生まれる前からこの家に勤めている人だ。
私が小さい時、多忙な父や病弱だった母の代わりによく遊んでもらった。
「だめです!お戻りください!」
私はこの人のことが大好きだけど……。
この家に勤めている人は皆一緒だ。
私と同じように父が怖いんだ。
だから父の命令は絶対で……。
「うるさい!私は大和に家に行くんです!あなただってお父さんに逆らえないだけでしょ!会社のことばかり考えているあの人に!」
叫んだ私の腕を取って、その家政婦さんは悲しげな表情で反論した。
「私は!葵さんのことが心配なんです!あなたのお母様……茜さんを失った時のような思いは……もうしたくはないのです……」
そうだった……この人はいつも私を心配してくれていた。
最近は話すこともあまりなかったけれど、お母さんと仲が良かったことも覚えている。
「それに旦那様は、葵さんが思っているような方ではありませんよ」
父が母が……そんなことは、今の私には関係なかった。
とにかく早く大和に会いたい。
「ごめんさない……今村さん」
家政婦の今村さんの手を振りほどいて、私は駆け出した。
「……本当に、よく似ていらっしゃる……」
背後から今村さんの小さな声が聞こえたけど、私は気に留めることなく目的地へと向かった。
♢
久しぶりに来た大和の自宅マンション。
大和が住む部屋の前までやってきた。
緊張と不安で体が震える。
これから大和に会って……すべて説明して……。
そしたら……私は……どう思われるだろう……。
あれこれ考えていても事が前に進むことはない。
震える指先で私はインターフォンのボタンを押した。
「……あ、れ……」
返事がない。
2度、3度、続けて押しても応答はない。
「留守……かな……」
誰もいない……。
日曜日だし、出掛けているのかな。
出直した方がいいかな……。
明日は学校があるし。
明日学校で会うことができるけど。
「もう少し……待たせてもらおう……」
ここで帰ったら、この問題は明日まで持ち越しになる。
それが嫌だった。
1時間……2時間……待っても、大和は帰ってこない。
お昼ごろ家を飛び出してきて、もう夕方になった。
「大和……早く……会いたい」
立っているのも辛くなり、彼のマンション部屋の前でしゃがみ込んだ。
少し気分が悪くなってきた。
耳鳴りもするし。
頭も重い。
やっぱり、まだ体調が完全に治っていなかったのかな……。
「もしかして……葵ちゃん?」
私の名を呼ばれて俯いていたは顔を上げた。
「あ……美和……さん」
大和のお母さん……牧野美和さん。
中学生の時まで大和の家に遊びに行った時にはよく可愛がってもらった。
そんな美和さんとこうして会うのは久しぶりだった。
「久しぶりね、葵ちゃん」
「お、お久しぶりです……あ、あの……大和……大和くんはいないんですか……?」
「……うん……大和はね、ちょっと今出掛けていて……」
美和さんは軽く微笑んでから言葉を発した。
「どこへ出掛けたんですか……?」
「少し親戚の家に、ね……私もこれからそこに向かわないと行けなくて……」
「なにか……あったんですか?」
文化祭での大和とお父さんの会話がフラッシュバックした。
「そうね……家事都合……かな」
家事都合……親戚の人が亡くなったりして、お葬式とかかな。
「葵ちゃん、元気ないように見えるけど大丈夫?」
「あ、はい……大丈夫です。それより、大和くんとお話がしたくて……私……」
「そう……大和のこと、大切に思ってくれているのね」
美和さんは私の頭を優しく撫でてくれた。
なんだろう……この感じ……。
涙が込み上げてくる。
心が癒される。
「ありがとう、葵ちゃん。大和と仲良くしてくれて」
「そ、そんな!私のほうが……大和くんに……今まで、助けてもらって……」
とても懐かしいこの感情。
大和がいて、私がいて、お母さんがいて、美和さんがいて……。
4人で食事をしたり、遊んだり……。
悩みなんて無かった時代。
幸せだった時間。
どうして今は……こんなにも苦しいの……?
涙で視界が歪んだ。
言葉が上手く続かない。
そんな様子の私を美和さんは優しく抱きしめてくれた。
「葵ちゃん……私ね、学生時代はいつも出席番号が一番で嫌だったんだ」
一体……何の話だろう……。
「日直は最初に回ってくるし、卒業式とかでも最初に名前を呼ばれて緊張するしね」
美和さんが語りだした話……。
「そんなことが嫌だったの? って、もしかしたら思うかもしれないけど」
それは……なんとなく共感できた。
「えっとね……何が言いたいかというと……好きなことも嫌いなことも、人それぞれってこと」
人それぞれ……。
「なんでもそうよ。やりたいことも、やりたくないことも、好きな人も、嫌いな人も、人それぞれなの……だからね」
どうして……美和さんは私にこんな話をするのだろう……。
「葵ちゃんは自分の心に素直になったら良いのよ」
自分の心に素直になる……。
「美和さん……ありがとう。優しくしてくれて、ありがとう」
そうだった。
童心に返る……その言葉が今の私に強く当てはまる。
大和が優秀だとか、クラスメイトに慕われていたとか、頼りがいがあったとか、どうでもいい話だったんだ。
彼と一緒に過ごす時間がただ好きだった。
勉強をすることも、ご飯を食べることも、くだらない話をすることも。
周囲の目や評価なんてどうでも良かった、気にしていなかった。
「もうすぐ暗くなる時間ね。葵ちゃん、一人で帰れる?」
「あ、はい……帰れます」
心地良かった美和さんの抱擁が終わり少し寂しい気持ちになる。
「気をつけて帰るのよ」
さっきは抱きしめてくれて私の心に近づいてきてくれたのに、今は『早く帰りなさい』と言われているように感じてしまった。
大和に会いたかったし、もう少し美和さんとお話したかった。
「はい、失礼……します」
名残惜しい気持ちが残っているけど、いつまでもここに居座るわけにもいかない。
「葵ちゃん……」
呼び止められて振り向いた。
視界に入った美和さんは優しく微笑んでいる。
「結婚する前の私の旧姓は『相沢』……だったの」
さっきの話の……。
相沢……美和さんの旧姓。
「あ、あの……それが……なにか……」
「ううん、なんでもないの」
「あ……そう、ですか」
さっきの話の補足をした美和さんに対して私は疑問符を浮かべた。
なんのために呼び止められたのかよくわからなかった。
「私にできることは……これくらい、だから……」
「え?あの、なんですか?」
小声で呟いた美和さんの言葉が聞き取れなかった。
「葵ちゃん……げんきで……これからも頑張ってね」
こちらに手を振ってくれる美和さんに軽く会釈をして、私は帰宅した。
大和には会えなかったけど、美和さんと話ができて良かった。
昔の気持ちを思い出すことができた。
「明日、大和と話をしよう」
素直になる…自分に。
自分の気持ちに。
♢
「葵……その、体調は大丈夫なのか?」
文化祭から5日が経ったこの日、私は学校に登校した。
「うん、大丈夫」
徹が心配そうに声を掛けてくるけど、私の頭は大和のことでいっぱいだった。
「文化祭の後片づけ大変だったよ。生徒会長のおまえがいないから、俺頑張ること多くてさ」
「ごめん、徹。そのことは謝る。でもその話はあとにしてもらっていいかな」
徹の話なんてどうでもいい。
「これから大和に話があって」
「や、大和なら今日は欠席だったぞ!なんか家庭の事情?とかって担任が!」
「え……そ、そっか」
美和さんも家事都合って言っていたし……もしかしたら数日は学校に来れないのかな……。
家庭の事情なら気軽に首を突っ込むわけにはいかない。
話をするのは大和が学校へ来るまで我慢するしかない。
「徹、今までごめん。私のために協力してもらって」
「え……あ、いや、それはこっちだって……」
「そのことでもまたしっかりと話をしたいと思ってるから」
正直、徹と必要以上に一緒にはいたくなかった。
「葵!もしよかったら放課後にどこか一緒に!」
「ごめん……もう教室に戻るね」
もうこんなこと終わりにしなくちゃいけない。
自分の気持ちに素直に……。
それから数日経っても、大和は学校に登校してくることはなかった。
また土日を挟んで気持ちが悶々としてくる。
その間に何度か大和の自宅を訪ねたけど留守だった。
不安や寂しさが日に日に大きくなっていく。
スマホがあれば連絡できたかもしれないのに。
「美和さんに大和の携帯番号聞いておけばよかったなぁ……」
そうして迎えた月曜日。
1時間目の授業が始まる直前に大和のクラスを覗いたけど、彼の姿は見当たらなかった。
「今日も……休み、か……」
気持ちが晴れないまま授業を受ける。
まったく集中できない。
大和のことばかり気になってしまう。
今日学校が終わったら、もう一度大和の家に行ってみよう。
もうすぐお父さんが出張から帰ってくる頃だし、早く大和と話がしたい。
さっさと放課後になってほしいと思いながら、ようやく訪れた昼休み。
「え?それマジ?」
「うん、今日の朝先生が言ってたって」
クラスメイト……だけじゃない。
「あいつ成績不振だったよな?それが理由か?」
「ありえるね。落ちるところまで落ちたってことだな」
廊下に出ても同級生たちが騒がしい。
なにか同様の話題で盛り上がっている?
「天才から秀才になって、ついには……」
「まあ、凡人だったってことだろう?」
秀才?
落ちるところまで落ちた?
聞こえてくる断片的な話。
とてつもなく嫌な予感がした。
「ねえ……何の話をしているの?」
数人のクラスメイトに意を決して問いかけた。
「あぁ……いや」
クラスメイト達は顔を見合わせて何か言いにくそうにしている。
「なに?なにかあったの?」
「その、宮野さんはたしか牧野くんと仲良かったよね?」
「うん……そう、だけど」
嫌な予感は的中した。
やっぱり……大和の話だったんだ。
「大和が……どうかしたの?」
「あ、うん。その牧野くんが……」
固唾を飲んだ。
「転校したって話題になっていて」
……よく、聞こえなかった。
「…………え……えっ……?な、なに……?」
……意味が、よくわからなかった。
「いや、だから、牧野くんが転校したらしくて」
転校……?
「皆、その話題で持ちきりになってるんだよ」
だれが……? いつ……?
「宮野さん、だ、大丈夫?」
頭の中が真っ白になった。
「なにが、どう……なってるの……」
なにが起きているのか、さっぱりわからなかった。




