第8話「ミリア戦、そして」
先生が観察室へ戻ってきた。
「次」
短い言葉。
そして――
「ミリア」
「……」
ミリアが立ち上がった。
「頑張ってね、ミリア!」
ミナが声をかける。
ミリアは振り返らない。
そのまま扉へ向かう。
先生とすれ違う。
一瞬。
二人の視線が交わった。
「……」
何も言わない。
ただ、それだけで十分だった。
訓練場。
今回のルールは単純だった。
完全な一対一。
制限時間なし。
相手を戦闘不能にした時点で終了。
ミリアの装備が表示される。
近接戦闘用武器。
それだけ。
先生も拳銃を構える。
ミリアが静かに立つ。
「……」
開始の音。
先生が動いた。
――速い。
ミナ戦で見せた速度。
ミリアはそれを見ても、驚かなかった。
先生の拳銃が向く。
ミリアが身体を捻る。
パンッ!
外れる。
ミリアは一気に距離を詰めた。
先生も下がらない。
二人の距離が消える。
刃が走る。
先生が避ける。
二撃目。
先生が受け流す。
三撃目。
今度は先生が踏み込む。
ミリアは腕を引き、先生の拳銃を逸らす。
そして――
先生の懐へ入る。
「……!」
先生が身体を捻る。
ミリアの刃が頬を掠めた。
そのまま先生の肘がミリアの腕へ入る。
ミリアの体勢が僅かに崩れる。
だが――
すぐに戻る。
先生が追撃。
ミリアが避ける。
また先生。
またミリア。
攻撃と回避が、異常なほど噛み合っている。
観察室。
メアが呆然と呟いた。
「……なんだこれ」
ミナも言葉が出ない。
サラはモニターを見ながら、目を細めていた。
「……二人とも」
マイが続ける。
「相手の動きを知っている」
その言葉通りだった。
ミリアが次に動こうとする。
先生は先にそこへ踏み込む。
先生が攻撃する。
ミリアは、その攻撃が来ることを知っていたように避ける。
まるで――
互いの戦闘手順を、最初から理解しているようだった。
そして。
先生が初めて、僅かに動きを止めた。
ミリアがその隙を逃さない。
一歩。
二歩。
踏み込む。
先生の拳銃を弾き飛ばす。
カラン、と音が響いた。
ミリアが武器を構える。
先生は素手。
観察室が静まり返る。
メアが息を呑む。
「先生……!」
ミリアの刃が振り下ろされる。
先生は――
避けた。
そしてミリアの手首を掴む。
二人の距離が、再びゼロになる。
「……」
「……」
互いに無言。
先生の手がミリアの手首を捻る。
ミリアがそれに合わせて身体を回す。
先生の腕を掴み返す。
その瞬間。
二人の動きが止まった。
互いに相手の次の手を読んでいる。
先に動けば、読まれる。
ほんの数秒。
静寂。
そして先生が――
僅かに笑った。
「……やっぱり、お前はそうするか」
ミリアの目が、ほんの僅かに動く。
「……先生も」
それだけ。
二人は同時に動いた。
二人が同時に動いた。
ミリアの刃が走る。
先生はそれを紙一重で躱した。
――そして。
先生の指先が、ミリアの身体を掠めた。
「……!」
ほんの一瞬。
接触と呼ぶことすら躊躇うほどの、僅かな接触。
それだけだった。
ミリアの動きが止まる。
「……?」
次の一歩が――出ない。
ミリアは自分の身体を見る。
異常。
内部システムが、次々と警告を発している。
《メンテナンス・シーケンス――起動》
「……!」
ミリアの瞳が僅かに揺れた。
通常なら、これは戦闘中に起こるものではない。
そもそも、この機能を戦闘中に起動させること自体が想定されていない。
メシアの身体を調整するための機能。
複数の確認。
複数の工程。
複数の操作。
それらを経て、初めて実行されるもの。
だからこそ――
戦闘行動中である今起動するなど、あり得ない。
ミリアの身体から力が抜ける。
膝が僅かに落ちた。
先生は、その場で立ち止まる。
「……」
ミリアが先生を見る。
「……なぜ」
先生は答えた。
「俺は、お前たちの教師としてここにいる」
一歩、ミリアへ近づく。
「だから生徒には、教えないといけないものがある」
先生の声は静かだった。
「それは――」
ミリアの視線が先生を捉える。
「生徒が知らないことだ」
観察室。
四人は何が起きたのか理解できていなかった。
「え……?」
メアがモニターへ近づく。
「今、先生何したの?」
「……分からない」
マイも画面を見つめている。
サラが急いで戦闘ログを確認する。
「接触……一回?」
「それだけ?」
ミナが尋ねる。
「うん……」
サラの表情が変わった。
「でも、ミリアちゃんの内部機能が異常起動してる」
「なんの機能?」
「メンテナンスモード……?」
「メンテナンス?」
メアが首を傾げる。
「そんなの、戦闘中に使うものじゃないよね?」
「使わない」
サラは即答した。
「というより――」
画面にミリアのシステム状態が表示される。
「これ、普通ならこんな簡単に起動しないよ」
「……」
「いくつも確認工程があるはずなのに」
サラが言葉を止める。
その視線が、画面の中の先生へ向く。
「……なのに、先生は一回触っただけ」
訓練場。
ミリアは動けない。
身体そのものが故障したわけではない。
むしろ逆だった。
メシアとしての機能が、正常に動こうとしている。
ただし――
戦闘中にそれを強制的に走らされたことで、身体の制御が噛み合わなくなっている。
ミリアは理解していた。
これは故障ではない。
先生が自分の身体に何をしたのか。
それも理解している。
だからこそ――
「……先生」
「ああ」
「……それを、教えるの?」
「そうだ」
「……今?」
「今だからだ」
ミリアは僅かに目を伏せる。
「……分かった」
先生はミリアの武器を見る。
「もう動けるか?」
「……まだ」
ミリアはゆっくりと立ち上がろうとする。
しかし、脚が思うように動かない。
「……」
先生はそれを見て、静かに言った。
「それが、お前たちの知らないものだ」
ミリアは先生を見上げる。
「……なぜ」
「何がだ」
「先生は……」
一瞬だけ言葉が途切れる。
「……なぜ、それを知っている」
先生は答えなかった。
ただ、ミリアの目を見た。
「戦場では、自分の知らないものに負ける」
それだけを告げる。
「だから覚えておけ」
「……」
「お前たちは兵器だ」
先生の声は冷静だった。
「なら、自分自身がどう壊れるのかも知っておけ」
ミリアは黙っている。
そして――
先生は銃を拾った。
観察室では、誰も口を開かなかった。
ただサラだけが、画面に表示されたミリアの状態を見つめている。
「……ねぇ」
メアが振り返る。
「なに?」
サラは答えない。
その代わり、ぽつりと呟いた。
「先生って……」
画面の中の二人を見る。
「一体、どこまでメシアのことを知ってるの?」
その問いに答える者は――
誰もいなかった。
先生は、しばらく誰もいない訓練場を見つめていた。
そして、淡々と口を開く。
「みな疑問に思っているだろう。なぜ、そのような機能をこうも簡単に起動できるのか、と」
誰も口を挟まない。
「だが、それは俺という存在がここにいる時点で理解できるはずのことだ。隠すようなことでもない。それに――隠す気など毛頭ない」
先生は、ミリアを見る。
「俺は当然、ただの人間だ」
その言葉に、メアがわずかに眉を動かした。
「……?」
先生は静かに続ける。
「では、なぜ俺が戦う力を持つ意味があるのか」
一拍。
「それは――お前たちメシアを殺すため」
空気が止まった。
メアの表情から笑みが消える。
ミナも、いつもの笑顔を僅かに引っ込めた。
マイは黙ったまま先生を見つめている。
ミリアだけは、何も変わらない。
「……いや」
先生は言葉を訂正した。
「こんな言い方では誤解を招くな」
銃を構えることもなく、ただ事実を述べるように。
「敵に乗っ取られたメシア。及び――命令を全うせず、人類に反旗を翻すメシア」
先生の目が、静かに細くなる。
「それらを徹底的に排除する」
誰も声を出さない。
「それが、俺の仕事だった」
サラが小さく息を呑む。
「……だった?」
「ああ」
先生は頷いた。
「そして、先ほどの技術はその最たる例だ」
視線が再びミリアへ向く。
「俺が長年生きて、メシアを破壊し続けられたことの――結晶だ」
ミリアの瞳が、ほんの僅かに先生を捉える。
だが、それ以上の反応はない。
先生はそんなミリアを見ながら、淡々と言った。
「お前たちが知らないのは当然だ」
「メシアを守るために作られた技術と、メシアを止めるために生まれた技術は――同じものじゃない」
サラが、ゆっくりと尋ねる。
「じゃあ……先生は今まで、ずっと……?」
「そういうことだ」
「どれくらい……?」
「数える必要もないほどだ」
その答えに、誰も言葉を返せなかった。
先生は銃を拾い上げる。
「だから、お前たちが俺をどう見るかは自由だ」
そして、ミリアを見る。
「ただ一つだけ覚えておけ」
「敵になったメシアを殺す方法を知っている人間は――」
僅かな間。
「味方であるお前たちを殺す方法も、当然知っている」
静寂。
――そして彼女だけは知っていた。
先生が今語ったのは、MESIA5小隊にとっては「過去」の話だ。
だが。
彼自身にとっては――
今も終わっていない仕事なのだということを。
先生は、銃を下ろさなかった。
「そして――」
静かな声が、訓練場に響く。
「これこそが、俺がお前たちの教育係についた理由だ」
メアが顔を上げる。
先生は五人を順番に見た。
「どうやら奴らは、お前たちの中にあるコアを弄る方法を見つけたそうだ」
その瞬間。
サラの表情から、いつもの柔らかさが消えた。
「……コアを?」
「そうだ」
「それって……」
ミナが言葉を失う。
メシアにとってコアは、単なる部品ではない。
戦闘能力。
身体機能。
各種システム。
その根幹に関わるものだ。
そこへ外部から干渉される。
それが意味することを、五人とも理解していた。
「だからこそ」
先生は言う。
「その対策を、俺が直接お前たちに叩き込む」
「……だから、教育係」
サラが呟く。
「そういうことだ」
先生は淡々と答えた。
「俺が教えるのは、単純な戦闘技術だけじゃない」
「自分の身体がどう動くのか」
「何ができて、何ができないのか」
「そして――」
一瞬だけ、ミリアを見る。
「自分自身に何をされたら、戦えなくなるのか」
ミリアは黙っている。
先生は続ける。
「そこまで理解してもらう」
メアが拳を握る。
「……じゃあ、あいつらは私たちを直接壊せるってこと?」
「可能性がある、という話だ」
「……」
「だから俺がいる」
その言葉に、先生は僅かに肩をすくめた。
「とはいえ――所詮、どこまで行っても俺は対人戦……いや」
一拍置く。
「対メシア戦でしか、活躍できない」
ミナが不思議そうに尋ねる。
「先生でも、あいつらとは戦えないの?」
「戦えないわけじゃない」
先生は否定する。
「ただし、長くは持たない」
そして、まるで当然の事実を告げるように続けた。
「奴らと戦えるほどの頑丈さは、俺にはないからな」
「……」
「だから俺は、お前たちの後ろにいる」
「お前たちが奴らを倒すために必要なものを教える」
「そして――」
先生は銃を握り直す。
「もし、お前たち自身が敵になった時は」
その声だけが、僅かに低くなる。
「俺が止める」
誰も答えなかった。
ただ、ミリアだけが先生を見ていた。
その視線には、驚きも恐怖もない。
まるで――
それが最初から決められていたことだったかのように。
「俺は、お前たちより弱い」
先生はそう言った。
五人が黙って見つめる。
「正確には――お前たちのように、力で戦い続けることができない」
「なら、どうすると思う?」
先生は銃を軽く持ち上げる。
「戦わない」
メアが眉をひそめる。
「……え?」
「正面からな」
先生は続けた。
「俺は、お前たちより速くない。硬くもない。強くもない。長時間戦えば、いずれ俺が先に潰れる」
「だから、そんな勝負は最初からしない」
静かな声だった。
「敵が強いなら、強さを使わせない」
「速いなら、速さが必要な場所に立たせない」
「遠距離が得意なら、撃ちたい場所から撃たせない」
「数が多いなら、数を揃えさせない」
そして――
「俺自身が狙われるなら、俺を狙うことに意味がない状況を作る」
サラが黙り込む。
先生は五人を見渡した。
「昨日から、お前たちは俺がどうやって勝っているのかを見てきただろう」
「俺は、お前たちより強いわけじゃない」
「ただ――」
銃口をゆっくり下げる。
「お前たちが強さを使う前に、その強さが必要になる状況を潰しているだけだ」
「それが俺の戦い方だ」
一拍。
「だから、お前たちも覚えろ」
「自分より強い相手と戦う方法を」
先生の目が鋭くなる。
「強い相手に勝つ必要はない」
「――強さを使わせなければいい」
しばらく、誰も口を開かなかった。
先ほどまでの戦闘とは違う。
敵をどう倒すかではなく――自分たちが、どう倒されるのか。
その話をしている。
最初に口を開いたのはサラだった。
「……先生ってさ」
「なんだ」
「私たちより、ずっと弱いんだよね?」
「身体能力だけならな」
あまりにもあっさり答えたため、メアが思わず先生を見る。
「そんな堂々と言う?」
「事実だからな」
先生は銃をホルスターへ戻した。
「俺がお前たちと同じように戦えば、まず勝てない」
「じゃあ、なんで昨日からあんなに……」
ミナが言いかける。
先生はその言葉を待つように黙っていた。
「……勝ててるの?」
「ああ」
「どうして?」
先生は少しだけ考えた。
そして、訓練場の床に落ちていた訓練用ナイフを拾い上げる。
「簡単な話だ」
ナイフを指先で弄びながら言う。
「俺は、お前たちと勝負をしていない」
「……?」
「お前たちは、相手を倒すことを考える」
ナイフが止まる。
「俺は、相手に勝負をさせないことを考える」
サラの目が細くなった。
「……なるほど」
「マイには、撃つ場所を限定させた」
「メアには、武器を振る場所を限定させた」
「ミナには、俺の速度を誤認させた」
「サラには、逃げる場所を選ばせた」
そして先生はミリアを見る。
「ミリアには――」
ほんの一瞬だけ、言葉を止める。
「俺しか知らないものを使った」
ミリアは何も言わない。
「つまり」
先生はナイフをしまった。
「俺は、お前たちの能力と戦っていない」
「お前たちが能力を使うために必要な条件と戦っている」
メアが腕を組む。
「……なんか、ずるくない?」
「戦場に公平なんて言葉はない」
即答だった。
「生き残った方が正しい」
「うわぁ……」
メアが少し引いた顔をする。
ミナは苦笑した。
「でも、それなら……先生はずっと不利なんじゃない?」
「ああ」
「メシア相手なら?」
「もっと不利だ」
その返答に、今度は誰も笑わなかった。
先生は続ける。
「だからこそ、俺は長期戦をしない」
「正面から撃ち合わない」
「速度で追いかけない」
「力比べもしない」
「俺が一度でも判断を間違えれば、死ぬ」
淡々とした口調だった。
まるで、それが当たり前であるかのように。
「だから――」
先生は五人を見る。
「お前たちが一つ間違える前に、俺は三つ先まで準備する」
サラが小さく笑った。
「……だから昨日から、ずっと私たちの行動を見てたんだ」
「ああ」
「戦闘中だけじゃなくて?」
「戦闘中だけで十分だ」
「じゃあ、私たちが知らないうちに、もう戦いは始まってたんだ」
「そういうことだ」
サラはしばらく黙った。
そして、ふっと笑う。
「……やっぱり先生、性格悪いなぁ」
「褒め言葉として受け取っておく」
「褒めてないよぉ」
メアが吹き出す。
少しだけ、空気が戻った。
だが――マイだけは黙っていた。
彼女は昨日の自分の戦闘を思い返している。
撃った。
逃げた。
また撃った。
また逃げた。
自分では、その場その場で最善を選んでいたつもりだった。
だが先生は、その「最善」の積み重ねそのものを利用した。
「……先生」
マイが口を開く。
「何だ」
「私たちは、どうすればいい?」
先生は彼女を見る。
「何の話だ?」
「先生みたいな戦い方をする相手に」
少しだけ間があった。
先生は答える。
「自分が何をしたいかだけを見るな」
「……?」
「相手が、自分に何をさせようとしているのかを考えろ」
その言葉に、サラの表情が変わる。
先生は続けた。
「逃げているからといって、追わせたいとは限らない」
「撃ってこないからといって、撃てないとも限らない」
「追い詰められているように見えるからといって、本当に追い詰められているとは限らない」
「そして――」
先生の視線が、五人を貫く。
「相手が弱いからといって、勝てるとは限らない」
静寂。
「そこを覚えろ」
先生は踵を返す。
「今日の訓練は終わりだ」
その背中を見ながら、メアが呟いた。
「……先生って、本当に人間なんだよね」
先生は振り返らない。
「ああ」
「なのに、メシアを何体も壊してきたの?」
「そうだ」
「怖くなかったの?」
そこで先生の足が止まった。
しばらくして――
「怖いさ」
初めて、その言葉だけが少しだけ人間らしく響いた。
「だから、死なないように考える」
それだけ言って、先生は訓練場を出ていった。
残された五人は、しばらくその扉を見つめていた。




