第15話「死神」
エレベーターがゆっくりと停止した。
長距離エレベーター特有の低い駆動音が止まり、扉が左右に開く。
先生はそのまま地上階の軍事施設へと足を踏み出した。
地下とは違い、こちらは人の往来が多い。
軍人。
技術職員。
整備員。
様々な人間が行き交っている。
先生は特に気にすることもなく歩き出した。
――その時だった。
「……あら」
聞き覚えのある声。
先生の足が止まる。
ほんの一瞬だけ。
誰にも気づかれないほど僅かに。
しかし、確かに。
嫌そうな顔をした。
廊下の向こうから、一人のメシアが歩いてくる。
黒紫色の髪――
黒を基調とした戦闘装備。
無駄のない身体。
整いすぎた容姿。
一見すれば、どこにでもいるメシアと変わらない。
だが。
軍人たちの反応が違った。
彼女とすれ違う者は、無意識に道を開ける。
敬礼する者。
視線だけを向ける者。
そして――
彼女の姿を見た瞬間、会話を止める者。
その理由を、彼は知っている。
製造番号4番。
《MESIA No.04》
通称――
「死神」。
個体名《マキナ≫
人類が外宇宙生命体との戦闘を開始した最初期に製造されたメシアの一体。
そして。
現在に至るまで、外宇宙生命体に対する討伐率第一位を維持し続けている。
ただし。
それは単純な「最も多く敵を倒した」という意味ではない。
彼女は何度も戦場へ投入され。
何度も損傷し。
何度も回収され。
そのたびに改修された。
装甲を変えた。
兵装を変えた。
演算系を更新した。
戦闘補助システムを刷新した。
時代が変わるたびに、人類は新型メシアを作った。
それでも。
マキナは消えなかった。
最新型が配備されても。
新世代のメシアが戦場へ投入されても。
数年後には、その最新型すら旧式になるほど技術が進歩しても。
マキナだけは残った。
そして――
討伐記録の一番上から、一度も消えなかった。
むしろ。
新型が記録を増していくたびにその記録をさらに塗り替えていった。
「死神」という通称は、強さから付けられたものではない。
戦場で彼女を見た外宇宙生命体が――
次々と死んでいくからだ。
敵性反応を確認。
交戦。
敵性反応、消失。
次の敵性反応を確認。
交戦。
消失。
それを彼女は、何十年も繰り返してきた。
そして奇妙なのは。
彼女自身が、その戦果を誇ることが一度もないことだった。
喜ばない。
怒らない。
興奮もしない。
ただ、敵を見つければ殺す。
それだけ。
だからこそ。
彼女を知る人間は、彼女を「最強」と呼ぶことを嫌った。
最強という言葉には、競争相手がいる。
いつか誰かに抜かれる可能性がある。
だが――
マキナは違う。
彼女は、時代そのものと一緒に更新されながら。
それでもなお、一位に居続けている。
まるで。
人類がどれだけ技術を進歩させても――
「イニシオを殺す」という一点だけは、彼女から奪えないかのように。
そして。
そのマキナが――
先生を見るなり、微笑んだ。
「デクト」
先生の眉が、僅かに動く。
「……その名前で呼ぶな」
「どうして?」
「嫌いなんだ」
「昔から?」
「昔からだ」
マキナは小さく笑った。
「そうだったわね」
「9年も会ってないから忘れちゃったわ」
先生は視線を逸らした。
「……お前に会うとろくなことがない」
「随分な言い方ね」
「事実だ」
マキナは先生の横まで歩いてくる。
その距離まで近づいても、先生は警戒しない。
いや。
警戒する必要がないことを知っている。
彼女が自分に敵意を向けていないことくらい――
先生には分かっている。
だが。
それでも。
この女に会いたくなかった。
なぜなら。
マキナは数少ない。
あの時代を知っている存在だからだ。
そして何より――
彼女は、あの戦場から戻ってきた先生を見ても。
驚かなかった。
「……生きてたのね」
先生は答えない。
マキナも追及しない。
ただ、その瞳だけが静かに先生を見ている。
まるで。
何年も前から、こうして再会することを知っていたかのように。
「それで?」
マキナが尋ねる。
「今は何をしているの?」
「教育担当だ」
「教育?」
「ああ」
「誰を?」
「メシアを」
マキナは、ほんの少しだけ目を細めた。
「……あなたが?」
「ああ」
「ふふ」
「何がおかしい」
「いえ」
マキナは笑った。
そして――
「あなたがメシアを教えるなんて」
ほんの僅かに首を傾ける。
「随分と、皮肉な話ね」
先生は答えなかった。
マキナはそのまま歩き出す。
数歩進んだところで、足を止める。
振り返る。
「――デクト」
「……」
「今度は、ちゃんと帰ってきてね」
先生の表情が、ほんの僅かに曇った。
「……縁起でもないことを言うな」
「そう?」
マキナは笑う。
「私は、あなたが帰ってくるところしか知らないから」
その言葉だけを残して。
マキナは歩いていった。
先生はしばらく、その背中を見つめていた。
廊下の向こう。
誰もが道を開ける。
誰もが知っている。
製造番号4番。
「死神」。
人類が何度、新しい兵器を作っても。
何度、新しいメシアを戦場へ送り込んでも。
イニシオの討伐記録、その一番上にいる女。
そして――
その女が唯一、ただの兵器ではないような顔で話しかけていた男が。
今。
この軍事施設に帰ってきた。
彼の気配が、遠ざかっていく。
足音も。
声も。
やがて、廊下の向こうへ消えていく。
マキナは、その背中を追わなかった。
ただ、その気配だけを感じながら――
静かに思う。
――死んでいる。
そんなくだらない情報。
ありえない。
ずっと、そう思っていた。
あの男が死んだ。
軍の記録にそう書かれていたとしても。
誰かがそう告げたとしても。
マキナだけは、どうしても信じられなかった。
なぜなら。
彼は――
数少ない、私と同じ存在なのだから。
決して、誰よりも速いわけではない。
決して、誰よりも強いわけでもない。
圧倒的な力を持っているわけでもない。
戦場では何度も追い詰められた。
何度も敗北しかけた。
何度も、死にかけた。
それでも。
「……帰ってくる」
マキナは小さく呟いた。
それは、確信だった。
彼は必ず帰ってくる。
そして――
私もそうだった。
たとえ身体の一部が失われても。
たとえ装備が壊れても。
たとえ何度、敵に追い詰められても。
たとえ。
もう駄目だと思うほどの敗北を味わっても。
必ず。
戦場から帰ってくる。
それが、彼だった。
それが、私だった。
それが――
「私たち」
マキナは、誰もいない廊下でそう呟く。
強いからではない。
速いからでもない。
何度も死にかけている。
何度も壊れている。
それでも。
最後には立ち上がる。
最後には、戦場の外へ戻ってくる。
それだけだ。
だから。
彼が死んだと聞いた時。
マキナは、ただ一つだけ思った。
――ありえない。
彼は。
そういう存在なのだから。
マキナはゆっくりと歩き出す。
その顔には、いつもの無表情が戻っている。
けれど。
ほんの僅かに。
口元だけが緩んでいた。
「……おかえり、デクト」
誰にも聞こえない声だった。




