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第13話「過去」

――地下四百メートル。


地上から遥か深く。


複数の隔壁を抜けた先にその部屋はあった。


壁には最低限の照明だけが設置され、中央には大きな円形のテーブルが置かれている。


そこに――


七人の人間がいた。


軍服を着た者。


白衣を着た者。


端末を操作している研究員。


そして、中央の席に座る一人の男。


全員が、ある人物の到着を待っていた。


やがて。


重い扉が開く。


「失礼します」


入ってきたのは先生だった。


いつもの服装。


普段と変わらない姿だった。


ただ一つ違うのは――


その肩書きだった。


「中佐」


誰かがそう呼ぶ。


先生は部屋の中を見渡した。


そして中央の男へ視線を向ける。


「お待たせしました」


「いや」


中央の男が答える。


「時間通りだ」


先生は空いている席へ向かう。


その間も、部屋にいる者たちの視線が集まっていた。


白衣の女が先生をじっと見る。


「……本当に、この人なんですか?」


「何がだ」


先生が足を止める。


女は少しも悪びれずに答えた。


「MESIA5小隊の教育担当」


「そうだ」


「聞いていた話と随分違いますね」


「どんな話を聞いた」


「もっと……軍人らしい人物かと」


先生は自分の服装を見る。


「軍人には見えないか」


「少なくとも、普通の軍人には」


中央の男が小さく笑った。


「彼は普通ではない」


「……」


先生は何も答えない。


中央の男が資料を一枚、机の上に置く。


「MESIA5小隊との訓練記録」


「はい」


「確認した」


男は資料をめくる。


「五体を相手にして、ほぼ一人で制圧」


「訓練です」


「分かっている」


「それに、彼女たちはまだ――」


先生が言いかける。


「完成していない」


中央の男が先に言った。


「そういうことだろう?」


「……」


先生は黙った。


白衣の女が資料を覗き込む。


「それでも妙ですね」


「何がだ」


「戦闘能力だけなら、MESIA5小隊の方が上でしょう」


「そうだな」


「なのに、どうして毎回……」


「戦闘能力だけで戦っていないからだ」


先生が答える。


白衣の女は少し考えた。


「……なるほど」


中央の男が資料を閉じる。


「それについては後で聞こう」


男は先生を見る。


「まず、本題だ」


部屋の空気が変わった。


「イニシオによるメシアのコアへの干渉」


先生の表情が僅かに変わる。


「……はい」


「確認された事例は?」


「現時点では複数」


別の軍人が答える。


「完全な乗っ取りではありません。しかし、戦闘行動や命令系統に干渉した形跡があります」


「原因は」


「不明です」


先生が口を挟む。


「だから俺が教育担当になった」


中央の男が頷く。


「そういうことだ」


一瞬の沈黙。


そして中央の男は、資料の別のページを開いた。


「しかしな」


男の声が少し低くなる。


「君を教育担当にすることについては、軍内部でも意見が割れている」


「そうでしょうね」


「君はメシアを扱う専門家ではある」


「……」


「だが――」


男は先生を見た。


「君自身が、メシアを殺してきた人間でもある」


部屋が静まり返る。


白衣の女が先生を見る。


他の軍人も同じだった。


先生は特に反応を見せない。


「否定しないか」


「する必要がありますか?」


中央の男は少し笑った。


「いや」


そして――


部屋の端に座っていた別の軍人が、初めて口を開いた。


「それにしても……」


男は先生を眺める。


「表向きには一度死んだ人間が」


先生は視線だけを向ける。


「今では中佐か」


「……」


「素晴らしい経歴だな」


その言葉には、明らかな皮肉が混じっていた。


「戦場で死んだことになり」


「その後、別の身分を与えられ」


「軍に戻ってきたと思えば、今度は中佐にまで成り上がった」


男は薄く笑う。


「随分と都合のいい人生じゃないか」


「……」


先生は何も言わなかった。


中央の男が横目でその軍人を見る。


「やめろ」


「事実を言ったまでですよ」


「今は経歴の話をしている場合ではない」


「私は重要な話だと思っていますがね」


男は先生を見る。


「この男が何者なのか」


「それを知らずに、メシアを任せるのは危険でしょう」


先生はしばらく黙っていた。


そして――


「なら、調べればいい」


「……何?」


「俺が何者なのか知りたいなら」


「好きなだけ調べればいい」


「……」


「隠すつもりはない」


中央の男が先生を見る。


「随分と堂々としているな」


「今さら経歴を隠したところで意味がないですから」


先生は淡々と言った。


「俺が何をしてきた人間なのか」


「それを知った上で、俺を教育担当にしたんでしょう」


中央の男は黙る。


図星だった。


先生は続ける。


「なら、俺がここにいる理由も分かっているはずだ」


「……」


「俺はメシアを守るためだけに呼ばれたわけじゃない」


その言葉に、白衣の女が顔を上げる。


先生は静かに言った。


「敵に利用される前に、止めるためだ」


部屋の空気が僅かに冷える。


「そして――」


先生は全員を見渡した。


「もし、メシア自身が敵になったなら」


一拍。


「俺が止める」


誰も口を開かなかった。


中央の男だけが、静かに先生を見る。


そして――


「だからこそ」


男は言った。


「君を選んだ」


先生は目を細める。


「……」


「君が彼女たちをどう育てるのか」


「我々は見させてもらう――」


「さて、君に対する報告は以上だ」


先生は立ち上がる。


そして扉へ向かう。


その背中に、中央の男が最後に声をかけた。


「中佐」


先生が振り返る。


「はい」


「今度は――」


男は少しだけ笑った。


「死ぬなよ」


先生は数秒、男を見つめる。


そして――


「善処します」


そう言って、部屋を出ていった。


重い扉が閉じる。


部屋に残された七人。


誰も、しばらく口を開かなかった。


やがて白衣の女が、小さく呟く。


「……本当に、あの人は何者なんでしょうね」


中央の男は閉じた扉を見る。


先生が部屋を出てから、しばらく。


誰も口を開かなかった。


やがて――


白衣の女が、先ほどまで先生が立っていた場所を見る。


「……しかし」


その声には、まだ納得していない色があった。


「やはり、腑に落ちません」


皮肉屋の軍人が横目で女を見る。


「何がだ?」


「彼の経歴です」


女は端末を操作する。


「閲覧できる範囲だけでも、妙なんです」


「ほう」


「大半のデータが削除されている」


画面に表示されているのは、いくつもの黒塗り。


出生記録。


所属部隊。


作戦記録。


負傷記録。


昇進記録。


そのほとんどに――


《閲覧不可》


あるいは


《消去》


の文字が並んでいる。


「対メシア戦の専門家」


女は言葉を続ける。


「そう呼ばれていることは知っています」


「ですが……」


指を止める。


「結局、当時の彼の部隊に所属していた隊員は――」


一瞬、言葉を選ぶ。


「彼以外、全員死亡しています」


部屋が静まる。


「なら」


女は続けた。


「単独討伐という記録も、本当に彼一人で成し遂げたものなのか」


「そもそも、その戦闘記録自体が正しいのか」


「確認する手段がありません」


「……」


「証言できる人間が、ほとんど残っていない」


皮肉屋の軍人が、待っていたかのように口を挟む。


「その通りだ」


「……」


「俺もそこが気に入らん」


男は椅子に深く座り直した。


「部隊は全滅」


「記録は削除」


「証人もほとんどいない」


「そして残った本人だけが、英雄だと?」


鼻で笑う。


「出来すぎた話だ」


白衣の女も頷く。


「私も同意します」


「ならば――」


中央に座っていた男が、静かに口を開いた。


「見てみるか」


二人が男を見る。


男はゆっくりと椅子から立ち上がった。


その瞬間。


空気が変わった。


今まで黙っていた男。


いや――


この部屋にいる全員が、彼を知っている。


軍の最高位。


大将。


「彼の記録がなぜ消えているのか」


大将は淡々と言った。


「なぜ、彼について語れる者が少ないのか」


一歩。


巨大なスクリーンへ近づく。


「理由は簡単だ」


その目には、先ほどまでとは違うものが宿っていた。


「彼の当時を知る者の大半は、もう死んでいる」


「……」


「当然生き残っている者もいる」


大将は一拍置いた。


「だが――」


「彼について語りたがると思うか?」


誰も答えない。


大将は静かに続ける。


「人類史上、唯一」


その言葉だけで、部屋の空気が重くなる。


「メシアを単独で討伐した人間だ」


「……!」


白衣の女が息を呑む。


大将はさらに続ける。


「一度ではない」


「……」


「複数回だ」


巨大なスクリーンが起動する。


部屋の照明が落ちる。


「だから消された」


画面に一つの文字が浮かぶ。


――機密情報――


その下に、さらに表示される。


《対象-中佐D95》


《File-機密指定》


《閲覧権限-中将以上》


大将はスクリーンを見ながら言った。


「そこまでデータが見たいのなら――」


振り返る。


「見てみるといい」


「中佐に関する――」


大将の声が低くなる。


「あらゆるデータへのアクセスを解禁する」


直後。


警告音。


一つ。


二つ。


三つ。


スクリーンいっぱいに表示されていた黒塗りが――


次々と消えていく。


白衣の女が息を呑む。


「……こんな量」


スクリーンに、膨大な記録が流れ始めた。


【軍歴記録】


【旧所属部隊】


【戦闘記録】


【作戦参加履歴】


【負傷記録】


【メシア討伐記録】


【機密指定作戦】


そして――


一番上に。


《階級-中佐》


その下に、かつての階級が並ぶ。


――二等兵。


――上等兵。


――伍長。


――軍曹。


――少尉。


――中尉。


――大尉。


――少佐。


そして現在。


――中佐。


皮肉屋の軍人が、目を細める。


「……本当に、ここまであの年齢で上がったのか」


大将は答えない。


次の記録が表示される。


《旧部隊合計所属人数-33名》


その横。


《現在生存-1名》


部屋の空気が凍る。


スクリーンが切り替わる。


《作戦記録》


《対象-第2世代型メシア》


《敵性判定-反乱》


《討伐担当-MEU-E部隊》


《結果――》


一行だけが表示される。


《討伐成功》


その下。


《帰還者-1名》


誰も口を開かなかった。


そして次の記録。


《単独戦闘》


《対象-メシア》


《支援-なし》


《討伐-成功》


また次。


《単独戦闘》


《支援-なし》


《討伐-成功》


さらに次。


同じ記録が続く。


一度。


二度。


三度。


それ以上。


白衣の女の表情から、疑念が少しずつ消えていく。


「……全部」


大将が言った。


「彼一人だ」


皮肉屋の軍人はスクリーンを睨んでいた。


「……あり得るのか」


大将は静かに答える。


「あり得たから、今ここに記録がある」


スクリーンが最後のページへ切り替わる。


そこには――


《最終確認》


《対象は対メシア戦において――》


一瞬、表示が止まる。


そして。


《人類史上最高の生存・討伐成功率を記録》


その下に、赤い文字。


《ただし――》


《対象に関する詳細な戦闘手法については、本人以外の完全な再現は不可能と判断》


白衣の女が呟いた。


「……だから」


「そうだ」


大将が答える。


「誰も真似できなかった」


そしてスクリーンには――


若い頃の先生と思われる人物の、古い写真が一枚だけ映し出された。


今よりずっと若い。


だが、その目だけは――


現在と何も変わっていなかった。


大将はその写真を見つめながら、静かに言う。


「彼が英雄だったから記録を消したんじゃない」


「……」


「彼が何をして英雄になったのかを――」


「知られてはいけなかったからだ」


誰も、返す言葉を持たなかった。


その意味を、誰も理解できずにいた。


いや。


理解しようとしていた。


白衣の女が、震える指で端末を操作する。


「……さらに下層の記録があります」


大将が振り返る。


「開けろ」


「ですが、これは……」


「命令だ、開け」


短い言葉だった。


それだけで、女は黙って操作を続けた。


スクリーンが切り替わる。


今までの記録とは違う。


軍歴でもない。


作戦記録でもない。


そこに表示されたのは――


《特別指定戦闘員記録》


皮肉屋の軍人が眉をひそめる。


「特別指定?」


「そんな区分、聞いたことがないぞ」


今まで黙っていた女が答える。


「現在は廃止されています」


「現在は?」


「……はい」


画面の下に、古い日付が表示される。


そして――


《制度制定理由》


一行。


《通常の軍事運用では処理不能と判断された事案への対応》


部屋の空気が重くなる。


「……処理不能」


誰かが呟いた。


スクリーンに、当時の報告書が映し出される。


《メシア暴走》


《通常部隊による制圧――失敗》


《第二次制圧――失敗》


《メシアによる部隊壊滅》


《現場判断により、対象の排除を許可》


皮肉屋の軍人が腕を組む。


「メシアを殺すための部隊が存在した」


「……」


「そして、その部隊でも止められない場合があった」


画面が切り替わる。


《最終対応要員――》


しばらく文字が表示されない。


やがて。


一つの名前だけが浮かび上がった。


《登録番号-D-95》


《階級-上等兵》


《担当-単独制圧》


白衣の女が目を見開く。


「……上等兵?」


「そうだ」


大将は答える。


「当時の彼は、まだ上等兵だった」


皮肉屋の軍人が鼻で笑う。


「上等兵一人を暴走したメシアに?」


「そうだ」


「馬鹿げている」


「だからこそ――」


大将はスクリーンを見る。


「記録が残っている」


次のページ。


《作戦時間――》


18分。


《支援部隊――》


なし。


《通信――》


途絶。


そして最後。


《対象メシア――》


《排除完了》


皮肉屋の軍人が黙った。


白衣の女も、何も言わない。


大将がさらに記録を進める。


次々と同じ形式の報告書が表示されていく。


暴走。


制圧失敗。


通常部隊撤退。


そして――


彼が投入される。


一人。


それだけ。


「……待ってください」


白衣の女が声を上げた。


「この記録」


「どうした」


「彼が戦ったメシアの中に……」


指が止まる。


「初期型だけじゃありません」


スクリーンに表示される。


《第三世代メシア》


《第四世代メシア》


《特殊戦闘型》


《重装型》


《高機動型》


さらに。


《試験運用型》


皮肉屋の軍人が立ち上がった。


「おい」


「……」


「これはどういうことだ」


大将だけが静かに見ている。


白衣の女が呟く。


「彼は、メシアそのものよりも……」


「戦い方を見ていた」


大将が頷く。


「その通りだ」


皮肉屋の軍人が、低い声で言った。


「だから今教育担当をしているのか」


「それだけではない」


大将は答えた。


「彼は昔からそうだった」


画面が切り替わる。


そこには一つの古い報告書。


《作戦終了後、対象に対する戦闘分析を実施》


その下には――


大量の文字。


敵の行動。


味方の行動。


失敗。


成功。


環境。


時間。


心理。


ありとあらゆる要素が記録されている。


白衣の女が呟く。


「……戦闘後の分析まで」


「彼は自分が生き残るだけでは満足しなかった」


大将が言う。


「次に同じ敵と戦う人間が、生き残れるようにしていた」


「……」


「だから彼の戦闘記録は、単なる勝敗記録ではない」


大将がスクリーンを指す。


「全てが、教育資料になっている」


部屋に沈黙が落ちた。


そして――


一番古い記録が表示される。


まだ階級すら持っていない頃。


《初回メシア遭遇記録》


《所属-訓練部隊》


《状況-偶発≫


《生存者――》


数字が表示される。


《1》


白衣の女の顔が固まる。


「……また」


皮肉屋の軍人が低く呟いた。


「一人か」


大将は答えない。


誰も言葉を失った。


だが、大将だけは違った。


「これが――」


静かに言う。


「彼の始まりだった」


そしてスクリーンの隅。


その古い記録のさらに下に、誰にも見つけられていなかった一行が残っていた。


《備考:当該人物について、軍上層部による特別監視を開始》


白衣の女が、それを見つける。


「……大将」


「なんだ」


「彼は……」


女は画面を指した。


「最初から、軍に監視されていたんですか?」


大将はしばらく沈黙した。


そして――


「そうだ」


「なぜ?」


大将はスクリーンに映る若き日の先生を見つめる。


「それは――」


ほんの僅かに目を細める。


「彼がメシアを殺せたからではない」


「……?」


大将は、しばらくスクリーンを見つめていた。


そして――


一つの記録を開く。


白衣の女が顔を上げる。


「まだ、ここからだ」


スクリーンに表示された記録が切り替わる。


《対象人物-大尉》


《作戦区分-特級》


《敵性存在-外宇宙生命体》


皮肉屋の軍人が眉をひそめた。


「……イニシオとの戦闘?」


「そうだ」


大将は答える。


「……」


「当時の彼は大尉だった」


画面の隅に、当時の階級章が表示される。


そして――


《作戦地域-秘匿》


《参加戦力-メシア部隊》


《任務-人型と思われるイニシオの排除》


白衣の女が画面を見る。


「人型……?」


「ああ」


大将は頷く。


「当時としては、これ以上ない戦力だった」


「では、なぜ……」


女が言いかける。


大将は答えなかった。


代わりに、スクリーンを切り替える。


映し出されたのは――


《戦闘開始》


その直後。


《メシア損失:12》


白衣の女の表情が変わる。


「……十二?」


さらに記録が進む。


《メシア損失-27》


《メシア損失-41》


《メシア損失-68》


《メシア損失-83》


そして――


《メシア損失-100》


部屋に沈黙が落ちた。


皮肉屋の軍人が立ち上がる。


「待ってください」


スクリーンを睨む。


「百……?」


大将は静かに答える。


「そうだ」


「たった一体で?」


「一体でだ」


誰も言葉を発さない。


大将は、ゆっくりと次の記録を表示した。


《敵性生命体-個体名――END》


その名前が表示された瞬間。


部屋にいた大柄な軍人が、僅かに顔を強張らせた。


白衣の女が気づく。


「……知っているんですか?」


「名前だけだ」


男は答えた。


「実物を知っている人間は、ほとんどいない」


大将が続ける。


「個体名、エンド」


「その化け物は――」


一拍。


「我々が、人類の存続そのものを諦めかけたほどの存在だ」


スクリーンに、当時の戦場記録が表示される。


映像は酷く荒れている。


視界のほとんどが砂嵐。


その奥で――


何かが動いている。


次の瞬間。


映像が激しく揺れる。


そして一体のメシアが画面から消えた。


遠くの方で黒い影が壁にぶつかる。


「……」


白衣の女が息を呑む。


「何をしたんです?」


「分からない」


大将は答える。


「当時の観測班も分からなかった」


映像が切り替わる。


別のメシア。


また一体。


そして――


消える。


「エンドは我々が理解できる戦闘法則の外にいた」


大将は静かに言う。


「火力で倒せるわけでもない」


「圧倒的数による消耗戦で勝てるわけでもない」


「当時のメシアの性能を圧倒的に上回っていたという単純な話ですらない」


スクリーンに表示される。


《交戦時間-46分》


《メシア投入数-100》


《生存-0》


《敵性生命体-健在》


皮肉屋の軍人が、低く呟いた。


「……百体を」


大将が頷く。


「単独で破壊し続けた」


「そんな……」


白衣の女が言葉を失う。


「メシア一体でも、当時の人類にとっては決して安い兵器じゃなかったはずです」


「その通りだ」


「それを百体……」


「だから軍は――」


大将はそこで言葉を切った。


「撤退を決めた」


部屋の全員が大将を見る。


「人類史上、初めてだ」


「……何がです?」


「軍が、敵を倒すことを諦めた」


沈黙。


「9年前、当時の我々にはあれ以上あの場に投入できる戦力がなかった」


「なら……」


白衣の女が恐る恐る尋ねる。


「大尉はなぜあの場に?」


「当時彼はMEUとしてではなく通常の兵としてあの付近に派遣されていた」


「そして――」


スクリーンを切り替える。


《最終確認》


《残存戦力――》


数字が表示される。


《1》


「……」


白衣の女の顔が強張る。


「まさか」


大将は静かに言った。


「最後まで残ったのは、彼だった」


皮肉屋の軍人が目を見開く。


「大尉が一人?」


「ああ」


「百体のメシアが破壊された後にですか?」


「そうだ」


スクリーンに、当時の通信記録が表示される。


《全隊へ通達》


《これより撤退を開始する》


《周辺にて生存する残存戦力は――》


そこで記録が途切れている。


次の記録。


《大尉、応答せよ》


《大尉、応答せよ》


《……》


通信途絶。


白衣の女が小さく呟く。


「それで……」


「彼は死んだ」


大将が言った。


「少なくとも、軍の記録上はな」


「……」


「戦闘区域から彼の生体反応は消失」


「装備も破壊」


「通信も途絶」


「回収部隊が到着した時には――」


大将は一瞬だけ目を伏せた。


「何も残っていなかった」


皮肉屋の軍人が尋ねる。


「では、なぜ生きているのです?」


大将は答えた。


「分からない」


「……」


「正確には」


大将はスクリーンを見る。


「彼自身が語らない」


そこに一枚の資料が表示される。


《当該作戦以降、対象人物の記録を秘匿》


《死亡認定》


《階級-大尉》


その下に――


《特例-二階級特進》


そして、


《中佐》


白衣の女が息を呑む。


「……死んだことになったから」


「そうだ」


大将は頷く。


「我々は、あの戦場で一つのことを理解した」


「人間には限界がある」


誰も反論できない。


「どれだけ技術を与えても」


「どれだけ最新の装備を与えても」


「人間である以上、越えられない壁がある」


大将は静かに続けた。


「そして――」


「そのことを、誰よりも理解していたのが彼だった」


スクリーンには若き日の先生。


そして。


スクリーンが暗転する。


最後に一つだけ文字が浮かび上がった。


《END》


その下に――


《現在-所在不明》


部屋に、誰一人として声を出す者はいなかった。


大将だけが、静かにその文字を見つめていた。


「……だからこそ」


「我々は、あの日から彼を英雄として扱わなくなった」


「英雄ではなく――」


「人類がどこまで戦えるのかを知っている、唯一の生存者として扱った」



「……そして、あの事件が起きた時点でやつの階級は大尉だった」


室内の空気が、わずかに変わった。


「ENDとの戦闘で、通信は途絶。装備の大半も失われ、生体反応も完全に消失した」


大将は一度、画面に映された記録へ視線を向ける。


「軍は、やつを戦死したものとして処理した」


「ですが……それなら、なぜ現在も中佐なのです?」


白衣の女が尋ねる。


大将は淡々と答えた。


「戦地にて戦死した軍人には特別昇進が認められる場合がある」


「そして、奴がこれまで上げてきた戦果は――通常の戦死者に与えられるものとは比較にならなかった」


画面に、当時の大尉としての記録が映る。


その直後。


【特別昇進処理】


【大尉 - 少佐 - 中佐】


二階級特進。


室内に、短い沈黙が落ちた。


「つまり……」


皮肉屋な軍人が呟く。


「やつは、一度死んだフリをすることによって中佐になったわけですか」


「正確には違う」


大将が即座に否定する。


「我々はあの時点で本当に死んだと思っていた」


そこで画面が切り替わる。


戦死認定。


生存者――なし。


……その下に、一つだけ後から追加された記録がある。


【対象生存を確認】


誰かが息を呑んだ。


「だが――」


大将は静かに続ける。


「その後、やつは生きて帰ってきた」


「……」


「だから現在の中佐という階級は、通常の昇進とは少し意味が違う」


大将は画面に映る若き日の先生を見つめる。


「やつは大尉としてENDと戦い」


「戦死したものとして二階級特進し」


「そして――中佐になった状態で、生還した」


皮肉な軍人の表情から、初めて余裕が消えた。


「……そんな人間が、今まで軍の中に?」


「だから記録を消した」


大将の声が低くなる。


「英雄として残せば人類に余計な希望を与える」


「死者として処理しておく」


「そのほうが、我々人類にとって都合がよかった」


大将は一拍置く。


「だがやつは死ななかった」


「だから今も――」


画面に現在の階級が表示される。


【中佐】


「中佐のままだ」


誰も、言葉を返せなかった。


「……だからこそ」


大将は、静かにスクリーンを見つめた。


「我々軍にとって――」


「彼は英雄なのだ」


誰も口を挟まない。


「間違いなくな」


大将はそう言い切った。


「百体ものメシアが破壊された戦場で、最後まで残った人間だ」


「そして、誰も勝てなかったあの化け物と最後まで戦った」


「その事実だけでも、我々にとって彼が英雄であることに疑いはない」


皮肉屋の軍人が、先ほどまでとは違う表情でスクリーンを見る。


そこに映っているのは――


今も生きている、一人の中佐。


「だからこそ……」


大将は続ける。


「戦死したはずの男を、それでも我々は中佐として扱っている」


白衣の女が顔を上げる。


「……それは、特別扱いということですか?」


「そうではない」


大将は首を横に振った。


「これは、我々の役目だ」


「当時のすべてを知っているわけではない」


「彼が何を見て、何を経験し、どうやって生き残ったのか――我々には分からない」


「だが」


大将は、現在の記録を開く。


《階級-中佐》


「軍が一度与えた階級を、彼が生きて帰ってきたからという理由だけで取り上げるわけにはいかない」


「ましてや、あの戦場で何を成し遂げたのかを知っている我々ならなおさらだ」


大将は静かに言った。


「だから彼は、今も中佐だ」


「それが――」


「当時のすべてを知るわけではない我々が、彼に対して果たせる最低限の責任なのだ」



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