第11話「互いを知るもの」
訓練場の一角。
隔壁が閉じ、他の三人の姿が視界から消えた。
残されたのは――先生とミリア。
二人の間には、十数メートルほどの距離。
ミリアは武器を構えている。
先生もまた、静かに銃を構えた。
通信は繋がっている。
だが、サラは何も言わなかった。
「……」
ミリアも喋らない。
先生も動かない。
数秒。
ただ、互いに相手を見ていた。
そして――
ミリアの指が僅かに動いた。
先生の銃口が、それに合わせてほんの少しだけ下がる。
ミリアが一歩。
先生も一歩。
距離は変わらない。
「……」
ミリアが右へ。
先生は左へ。
互いに相手の正面を避ける。
サラがモニター越しに呟いた。
「……始まってる」
ミナが尋ねる。
「まだ動いただけじゃない?」
「違うよ」
サラは画面を見つめる。
「二人とも、もう戦ってる」
その直後。
ミリアが踏み込んだ。
速い。
先生が一歩後退する。
ミリアの刃が空を切る。
先生は撃たない。
ミリアが二撃目。
先生は身体を捻って避ける。
三撃目。
今度は先生の肩口を狙った横薙ぎ。
先生が腕で受け流す。
「……」
ミリアは止まらない。
連続した攻撃。
だが――
先生は全てを紙一重で避けている。
メアが画面を見ながら声を上げた。
「先生、また避けてるだけ?」
「違う」
マイが答えた。
「先生も攻撃してる」
「え?」
「ただ、まだ攻撃していないだけ」
メアが首を傾げる。
その直後。
先生が僅かに身体を沈めた。
ミリアが一歩踏み込む。
その瞬間――
先生の足が動いた。
ミリアの懐へ。
「――!」
ミリアが反応する。
刃を返す。
先生はその軌道を読んで、さらに内側へ入る。
距離が消える。
拳。
ミリアが受ける。
肘。
避ける。
膝。
ミリアが身体を捻る。
互いの攻撃が、ほとんど触れない。
一瞬。
二人の動きが止まった。
顔と顔が近い。
先生が呟く。
「変わらないな」
「……」
「右を見せて、左に来る癖」
ミリアは無表情のまま答えた。
「……先生も」
「何がだ」
「左に避ける」
先生の目が僅かに細くなる。
次の瞬間。
ミリアが蹴った。
先生が左へ避ける。
――読まれていた。
ミリアの足が地面に着く。
同時に身体を回転。
先生の死角へ。
だが先生も同時に振り向く。
「……」
刃と腕が交差する。
先生が受け流す。
ミリアが一歩下がる。
先生も追わない。
「今のはわざとだな」
「……」
「俺が左へ避けると分かっていた」
ミリアが構える。
「……そう」
「なら、次は右か」
「……」
「いや」
先生は首を横に振った。
「右だと思わせて、もう一度左」
ミリアの目が僅かに動く。
先生はそれを見逃さない。
「――だが、それも違う」
先生が踏み込んだ。
ミリアも同時に動く。
二人の間で、一瞬だけ攻撃が交差した。
先生の銃が弾き飛ばされる。
「……!」
銃が床を滑っていく。
ミリアが間合いを詰める。
勝負は決まった。
そう見えた。
しかし――
先生は退かなかった。
ミリアへ向かって、そのまま踏み込む。
「……!」
ミリアが刃を振る。
先生が身体を捻る。
刃が頬を掠めた。
それでも止まらない。
先生の手が伸びる。
ミリアの腕を掴む。
「……!」
ミリアが振り払う。
先生は離れる。
距離が開いた。
二人とも、再び構える。
サラが息を呑む。
「……今の」
ミナが聞く。
「どうしたの?」
「先生、銃を取らなかった」
「……?」
「取れたはずなのに」
床には先生の拳銃が落ちている。
それなのに先生は、拾おうとしない。
「……まさか」
サラが画面を拡大する。
「先生、銃を捨てた?」
マイが静かに言う。
「違う」
「え?」
「ミリアの間合いに入るため」
サラが黙る。
その通りだった。
銃を持っていれば、ミリアはその射線を警戒する。
だから先生は――
自ら銃を失った。
そして、ミリアが最も得意とする距離へ入った。
「……先生」
サラが呟く。
「また条件を変えた」
先生は素手。
ミリアは武器を持つ。
普通なら不利。
だが――
先生は笑っていた。
「ミリア」
「……」
「お前は、武器を持っているときほど動きが綺麗になる」
「……」
「だから――」
先生が構えを変える。
「その武器を使わせない」
ミリアが一歩。
先生も一歩。
次の瞬間。
ミリアが突っ込む。
先生は避けない。
刃が振り下ろされる。
先生の身体が僅かに横へ。
そのままミリアの腕を取る。
ミリアが反転。
肘打ち。
先生が受ける。
ミリアが距離を取る。
先生が追う。
一歩。
二歩。
三歩。
ミリアが後退する。
「……」
そしてミリアの背中が壁に触れた。
サラが目を見開く。
「……追い詰めた」
先生は止まる。
ミリアも止まる。
逃げ場は狭い。
「終わりだ」
先生が言った。
ミリアは答えない。
ただ――
武器を持つ手を下げた。
「……?」
先生の目が変わる。
ミリアが武器を捨てた。
カラン。
床に金属音が響く。
そして――
両手を空にする。
先生と同じ。
「……なるほど」
先生が小さく笑った。
「そう来るか」
ミリアは構えた。
武器を持たない。
それでも、その立ち姿は変わらない。
先生は理解した。
ここから先は――
武器の性能も。
装備も。
距離も。
すべて意味を失う。
ただ二人の技術だけになる。
「ミリア」
「……」
「昔からそうだったな」
ほんの一瞬。
ミリアの目が先生を見る。
「追い詰められるほど――」
先生が構える。
「余計なものを捨てる」
ミリアが一歩踏み込む。
先生も踏み込んだ。
拳が交差する。
同時に――
二人の身体が止まった。
互いの拳が、互いの頬の寸前で止まっている。
「……」
「……」
完全に同時。
ほんの数センチ。
どちらも動けない。
サラが息を呑む。
「……同時?」
マイが画面を見る。
メアもミナも、言葉を失っていた。
そして先生が静かに言う。
「……やっぱり、お前は」
ミリアは答えない。
ただ、先生を見ている。
先生もまた、ミリアを見る。
二人とも――
相手が次に何をするかを知っている。
だから動けない。
違う。
動かない。
相手の「次」を読んでいるのではない。
相手が自分の「次」を読んでいることまで、分かっている。
その先にあるのは――
読み合いではない。
互いに互いの思考を潰し合う、完全な膠着だった。
そして。
先生がほんの僅かに笑った。
「……なら」
拳を引く。
ミリアも同時に拳を引く。
「次は――」
二人が同時に踏み込んだ。
「読めない方で行く」
――激突。
今度は、どちらも一歩も退かなかった。
「……次は――」
先生とミリアが同時に踏み込む。
拳と拳。
互いの攻撃を受け流し、距離が入れ替わる。
一歩。
二歩。
ミリアが先生の懐へ入り込む。
先生は身体を捻り、その腕を取る。
ミリアはそのまま身体を回転させ、拘束を抜ける。
再び距離が開いた。
「……」
先生はミリアを見る。
そして――
「だが」
僅かに息を吐く。
「いつまでもこうして戦っていては、他のやつらが来てしまうからな」
ミリアは構えたまま動かない。
「だから――」
先生の視線が、一瞬だけ床へ落ちた。
そこには先ほど自ら弾き飛ばした拳銃がある。
「終わらせてもらう」
先生が踏み込んだ。
ミリアも迎え撃つ。
拳。
受け流す。
肘。
避ける。
ミリアが反撃。
先生が後退。
二人の位置が少しずつ変わっていく。
そして――
先生が僅かに身体をずらした。
ミリアが追う。
先生がさらに下がる。
「……」
ミリアは追撃する。
その先に――
先生が先ほど落とした拳銃。
ミリアの視界にも入った。
だが、先生は拾わない。
そのまま後退する。
ミリアが一歩踏み込む。
先生が一歩下がる。
もう一歩。
さらに一歩。
――そして。
先生の足が、床に落ちた拳銃へ触れた。
「……!」
ミリアの視線が一瞬だけ銃へ向く。
その瞬間だった。
先生が銃を――
蹴り飛ばした。
カァンッ!
床を滑った拳銃が、ミリアの横を通り過ぎる。
「……?」
ミリアが振り向く。
銃はそのまま壁へ向かって飛んでいく。
先生は――
その反動を利用するように、後方へ跳んだ。
ミリアとの距離が一気に開く。
そして。
飛んでいった拳銃が空中で回転する。
「……」
ミリアがそれを見る。
先生も見る。
一瞬。
二人の視線が重なる。
次の瞬間――
パンッ!
銃声。
だが。
先生は銃に触れていない。
空中を飛んでいた拳銃から放たれたゴム弾が、一直線に飛ぶ。
ミリアの胸部へ。
「――!」
命中。
訓練用の判定装置が即座に反応した。
《ミリア――OUT》
静寂。
床に落ちた拳銃が、カラン、と音を立てた。
ミリアはその場で動きを止めた。
先生は着地する。
そして何事もなかったかのように、落ちた拳銃へ歩いていく。
「……終了だ」
ミリアは何も言わない。
ただ、先生を見ていた。
観察室では――
「…………」
誰も言葉を発しなかった。
メアがようやく口を開く。
「……今の、何?」
ミナも呆然としている。
「銃……蹴ったよね?」
マイが静かに頷く。
「蹴った」
「先生は銃に触ってない」
「……そう」
サラはモニターを凝視していた。
何度も映像を巻き戻す。
「……待って」
再生。
蹴る。
銃が飛ぶ。
先生が後ろへ跳ぶ。
そして――発射。
「……」
もう一度。
「……」
さらにもう一度。
サラの表情が変わる。
「……そういうことか」
メアが振り向く。
「分かったの?」
「うん」
サラは映像を止めた。
「先生は、最後の一発を撃つために銃に近づいてったんじゃない」
「じゃあ……?」
「ミリアを、銃の軌道上に立たせた」
「……!」
サラは戦闘開始からの二人の移動経路を表示する。
先生。
ミリア。
そして――
拳銃。
三つの軌跡が重なる。
「最初に銃を落とした時点では、ただの偶然だった」
サラが呟く。
「でも先生は、その後の戦闘でミリアを少しずつここまで誘導してる」
画面上で二人の位置が動く。
「そして最後に、銃が飛ぶ方向とミリアの位置を合わせた」
ミナが息を呑む。
「じゃあ……」
「そう」
サラが頷く。
「最後の一発だけじゃない」
「この一騎打ちそのものが――」
そこで。
ガァンッ!!
突然、隔壁の外から大きな音が響いた。
隔壁が大きく歪んでいる。
「……」
サラがモニターを見る。
次の瞬間。
轟音とともに隔壁が吹き飛んだ。
煙の向こうから――
「先生!」
メア。
ミナ。
二人が姿を現した。
「ミリア!」
メアが駆け寄る。
しかしミリアは静かに立っている。
「大丈夫?」
「……」
ミリアは答えない。
ただ、先生を見る。
先生もミリアを見る。
ほんの一瞬。
そして先生が言った。
「遅かったな」
メアが叫ぶ。
「だって隔壁が閉まってたんだよ!」
「だからと言って、破壊する必要はないだろう」
「あるよ!」
少し遅れてサラとマイが瓦礫を跨いで入ってくる。
「先生、今のは反則じゃない?」
「ルール上問題ない」
「……そういうところだよ」
サラは苦笑した。
そしてミリアを見る。
「ミリアちゃん、負けちゃったね」
「……」
「どうだった?」
ミリアは少しだけ先生を見る。
「……いつも通り」
「いつも通り?」
サラが首を傾げる。
ミリアはそれ以上何も言わなかった。
先生は落ちた拳銃を拾い上げる。
「これで全員、一度は俺と戦ったな」
四人が先生を見る。
先生は銃を腰へ戻した。
「今日の戦闘はここまでだ」
「え?」
「今からは、お前たちが今日の戦闘で何を学んだかを見る」
サラの顔が引き締まる。
先生は五人を見渡した。
「次は――」
「お前たち自身が、昨日より強くなったかを確かめる工程だ」
そして先生は、静かに歩き出した。
「ていうか……」
メアが瓦礫を跨ぎながら先生を見る。
「なんで銃に触ってないのに撃てるわけ?」
「……」
ミナも頷く。
「私もそれ気になった」
「私も」
マイまで口を開く。
サラは腕を組んだ。
「私たちの銃は、普通は引き金を引かないと発射しないよね?」
先生は手にした拳銃を眺める。
「当然だ」
「じゃあ、さっきのは?」
先生は銃を軽く持ち上げた。
「これは普通の撃ち方じゃない」
「どういうこと?」
「簡単に言えば――」
先生は先ほど銃を蹴った方向を見る。
「この銃には、遠隔発射機構が組み込まれている」
「遠隔発射?」
「正確には、俺の装備から発射信号を送った」
サラが目を細める。
「……じゃあ、先生が銃に触らなくても?」
「ああ」
「でも、そんな機能……」
「通常のMESIA用装備にはない」
「じゃあ先生の銃だけ?」
「そうだ」
サラが少し考える。
「なるほど……」
先生は続けた。
「じゃあ、あの瞬間……」
「ああ」
先生は頷く。
「銃を蹴った」
「それで?」
「銃が俺の視界から外れる前に、発射信号を送った」
メアが首を傾げる。
「でも、それって結局、銃を撃ってるのは先生じゃん」
「そうだな」
「じゃあ触ってないだけじゃん!」
「……」
先生は少しだけ間を置いた。
「その通りだ」
「えぇ……」
サラが呆れたように笑う。
「先生、そういうところだけ妙に正直なんだね」
「嘘をつく必要がないからな」
先生は拳銃を腰に戻す。
「重要なのは、銃を撃ったことじゃない」
「……?」
「お前たちが見ていたのは、俺が銃を蹴ったところまでだ」
「……」
「その時点で、お前たちは『銃はもう使えない』と思った」
サラの表情が変わる。
「……だから」
「そうだ」
先生は静かに言った。
「武器を捨てたように見せて、実際には――」
床に残された銃を見る。
「最後の一発として、まだ残していた」
サラが小さく笑う。
「……本当に、最後まで隠すんだね」
「戦場では、見せたものが全てとは限らない」
先生は五人を見渡した。
「覚えておけ」
「武器を失ったように見える相手が、本当に武器を失ったとは限らない」
ミリアは黙って先生を見ていた。
そして――
「……」
先生も一瞬だけミリアを見る。
「まあ、今回は訓練だから使った手だ」
サラがすぐに反応する。
「……ということは?」
「実戦では?」
先生は少しだけ笑った。
「もっと簡単な方法を使う」
「……」
四人が同時に嫌な顔をした。
「それ、聞かないほうがいいやつだ……」
サラだけが楽しそうに笑っていた。




