第10話「策略」
開始のブザーが鳴った。
その瞬間。
五人が――動いた。
昨日とは、明らかに違う。
メアが前へ出る。
ミナがその後ろを追う。
マイが高所へ。
そしてミリアが、いつも通り姿を消す。
「……」
先生は走り出さない。
ただ、五人の動きを見る。
そして――
「サラ」
通信を開いた。
「最初から配置を変えたな」
「えっ?」
サラがわざと驚いた声を出す。
「どうして分かったの?」
先生は答えなかった。
そのまま一歩、右へ移動する。
サラの口元が僅かに上がった。
――掛かった。
彼女は小さく呟く。
「……そこ」
先生の足が止まる。
「?」
次の瞬間。
別方向から銃声が響いた。
パンッ!
先生が身を引く。
弾丸が頬の横を通過する。
「……」
先生は銃声の方向を見る。
「……なるほど」
先生の目が変わった。
そして通信越しに、サラの声。
「昨日のデータ、ちゃんと勉強したんだよ?」
先生はしばらく沈黙した。
「そうか」
「先生」
「なんだ」
「今日は――」
サラが笑う。
「私たちが先生を観察する番だからね」
先生は静かに周囲を見渡した。
そして――
ほんの少しだけ笑った。
「……面白い」
その声を聞いた瞬間。
サラの笑顔が消えた。
――違う。
何かがおかしい。
先生は、罠にかかった人間の反応をしていない。
むしろ――
「……先生、今」
サラがモニターを見る。
先生は撃たれた場所から動いていない。
なのに。
「……見てる」
先生は、こちらの罠を見ている。
まるで――
最初から、その一手を待っていたかのように。
「……見てる」
サラの声が、通信の向こうで僅かに揺れた。
先生は動かない。
撃たれた場所から、ただ周囲を見渡している。
「……何を見てるの?」
サラはモニターを睨んだ。
先生の視線。
身体の向き。
足の位置。
銃口。
すべてを確認する。
「……まさか」
サラが息を呑む。
「先生、私たちの罠じゃなくて……」
画面を切り替える。
各メンバーの位置情報。
「……罠を仕掛けるために、私たちが動いた経路を見てる?」
「正解だ」
通信に先生の声が入った。
サラの目が見開かれる。
「聞こえてたの!?」
「いや」
「じゃあ――」
「お前が何を考えているかを見ている」
「……」
サラは黙った。
先生は歩き出す。
ゆっくりと。
昨日と同じような速度。
「先生、また遅くしてる……」
ミナが呟く。
「うん」
サラもそれを見ていた。
「でも……昨日とは違う」
「何が?」
「昨日の先生は、私たちに追わせてた」
サラは画面上の先生の進路を追う。
「今日は――」
先生が角を曲がる。
「私たちを、動かそうとしてる」
その瞬間。
「メア、左」
サラが指示を出す。
「え?」
「先生の進路を塞いで」
「了解!」
メアが走る。
その先には先生。
しかし先生はメアを見ると、即座に方向を変えた。
「ミナ、右!」
「了解!」
今度はミナが回り込む。
先生は再び方向を変える。
「マイ、上!」
「……了解」
高所からマイが狙いを定める。
三方向。
逃げ道はない。
「取った!」
メアが距離を詰める。
先生は後退する。
「あと少し!」
ミナも迫る。
そして――
先生が止まった。
「……」
「え?」
メアが足を止める。
先生は銃を構えた。
だが、撃たない。
ただ前を見ている。
「……サラ」
「なに?」
「今、三人とも俺を追っているな」
「そうだけど?」
「なら――」
先生が僅かに身体を横へ向けた。
「ミリアは何をしている?」
「――!」
サラの表情が変わった。
そしてーー
ミリアがいたのは先生の背後だった。
先生は振り返らない。
「ミリア」
先生がようやく振り返る。
二人の視線が重なる。
サラが呟いた。
「私たちは三人が先生を追っている間に、ミリアを自由にした」
「そして先生がミリアの位置を探すことから意識をそらした」
先生が口を開く。
「だが、お前は一つ間違えた」
「なに?」
「昨日の俺を分析したことだ」
サラが眉を寄せる。
先生は静かに続ける。
「昨日の俺と、今日の俺が同じだと思った時点で――」
一歩。
先生が前へ出る。
「お前はもう、昨日のデータに縛られている」
「……!」
その瞬間。
先生が走った。
速い。
昨日とは明らかに違う。
メアの横を抜ける。
ミナの射線を外す。
そして――
一瞬でサラのいる建物へ向かう。
「えっ!?」
サラが慌てて画面を見る。
「先生、こっちに来てる!」
「分かってる!」
サラが移動を始める。
だが、その直後。
「……待って」
サラが止まった。
「先生……?」
画面には先生の位置。
だが、その進路はサラのいる建物ではない。
「……違う」
サラが呟く。
「これ……」
先生は途中で方向を変えている。
「私が逃げる場所を読んでるんじゃない」
サラは必死に画面を見る。
「私が『先生が来る』と思って逃げる方向を……読んでる」
通信に先生の声が入った。
「そういうことだ」
「……!」
「お前は昨日の俺を研究した」
「……うん」
「なら今日は――」
先生の姿が、サラの視界の端に現れる。
「今日の俺を研究してみろ」
サラは走る。
建物の中へ。
階段を駆け下りる。
先生は追ってくる。
しかし――
近づいてこない。
「……?」
サラは振り返る。
誰もいない。
「先生?」
返事はない。
「……どこ?」
サラは周囲を見渡す。
その瞬間。
背後から声がした。
「ここだ」
「――っ!」
振り向く。
先生が立っていた。
銃口がこちらを向いている。
「……!」
サラは咄嗟に身を伏せる。
パンッ!
ゴム弾が壁に当たる。
サラはそのまま転がり、別の通路へ逃げ込む。
「まだ!」
走る。
「まだ終わってない!」
先生は追ってこない。
「……?」
サラが足を止める。
静寂。
「……まさか」
サラが振り返る。
先生は――
先ほどの場所に立ったままだった。
「……追ってない?」
通信が入る。
「そうだ」
「じゃあ、なんで……」
「お前が逃げる場所を作っただけだ」
サラの顔が引きつる。
「……また、それ?」
「お前は俺から逃げるために、最も安全な場所を探す」
「……」
「だが、お前にとって安全な場所は――」
先生が歩き出す。
「俺にとっても、予測しやすい」
サラは地図を見る。
そして気づく。
逃げ道。
建物。
地下通路。
監視カメラ。
すべてが一本の線になっている。
「……先生」
サラが小さく笑った。
「やっぱり性格悪いね」
「戦術だ」
「それ、昨日も聞いたよ」
「なら覚えているだろう」
「……うん」
サラは立ち上がった。
その顔から、いつもの軽い笑顔が消える。
「じゃあ――」
手元の端末を操作する。
「こっちも、昨日とは違うことをする」
「……」
「先生が私を読むなら」
サラが通信を開く。
「私も先生を読む」
五人の通信が一斉に繋がった。
「メア」
「うん!」
「先生を追わなくていい」
「え?」
「ミナも。マイも」
「じゃあどうするの?」
サラは笑った。
「先生が私たちを動かすなら――」
一拍。
「今度は私たちが、先生を動かす」
先生の足が止まった。
「……」
初めて。
ほんの僅かに。
先生の表情が変わった。
サラはそれを見逃さなかった。
「……やっと、先生の顔が変わった」
そして――
「ここからが、本当の反撃だよ」
サラの言葉と同時に、MESIA5小隊の通信が切り替わった。
「メア」
「はい!」
「先生を追わないで。あなたはそのまま第二通路へ」
「了解!」
「ミナは第三区画。先生がそこへ向かったら、五秒だけ射線を作って」
「五秒だけ?」
「うん。撃ち続けなくていい」
「分かった」
「マイは動かないで」
「……了解」
「ミリアは――」
そこでサラが一瞬だけ黙る。
ミリアはすでに動いていた。
「……ミリア?」
「……」
返事はない。
ただ、サラの指示を待っている。
「先生の正面には出ないで」
「……分かった」
通信が切れる。
先生は一人、通路に立っていた。
「……」
静かだった。
先ほどまでのような追跡はない。
メアも来ない。
ミナも来ない。
マイの狙撃もない。
ミリアの気配もない。
「……」
先生は周囲を見る。
そして――歩き出した。
一歩。
二歩。
三歩。
その瞬間。
パンッ!
前方からゴム弾が飛んできた。
先生が横へ避ける。
続けて二発。
パンッ、パンッ。
しかし、そこにミナの姿はない。
「……牽制か」
先生は呟いた。
撃っているのはミナ。
だが、姿は見せない。
「サラ」
通信を開く。
「どうしたの?」
「俺を動かしたいらしいな」
「さあ?」
「なら、今の射撃は俺を第三区画へ誘導するためか」
「どうかなぁ」
サラは笑った。
先生は少しだけ考える。
そして――
第三区画とは逆へ進んだ。
「……!」
サラの表情が変わる。
「先生、そっちじゃない!」
「そうか?」
「……」
「お前が俺を動かしたいのなら」
先生は角を曲がる。
「俺が動きたくない方向へ誘導する必要がある」
サラは黙った。
先生は続ける。
「だから今の射撃は、誘導ではない」
「……」
「俺がどう判断するかを見るためのものだ」
「……ばれたか」
「最初から分かっていた」
先生は歩き続ける。
だが――
サラは笑った。
「ううん」
「?」
「それでいいの」
先生の足が止まった。
「……何?」
「先生が『分かった』と思ったなら、それでいい」
サラが通信を切る。
「……」
先生はしばらく黙っていた。
そして――
「……なるほど」
小さく呟いた。
「囮を囮として使うのか」
その直後。
別の場所で、メアが動いた。
「今!」
サラの指示。
メアが通路を横切る。
先生の視界の端に、一瞬だけ赤い髪が映った。
「……」
先生は反応しない。
だが、その直後。
背後から足音。
先生が振り向く。
誰もいない。
「先生!」
メアの声。
今度は正面。
先生が振り向く。
メアがいる。
「――!」
先生が踏み込む。
メアも突っ込む。
だが、交差する直前。
メアが急停止した。
先生の目が細くなる。
「……フェイントか」
メアは答えない。
そのまま横へ飛ぶ。
先生が追う。
その瞬間。
上からゴム弾。
パンッ!
先生が身を逸らす。
マイ。
「……上か」
だが、マイはすでに移動していた。
「なるほど」
先生は周囲を見る。
メアが姿を見せる。
マイが撃つ。
ミナが射線を作る。
それぞれが先生を倒そうとしているように見える。
しかし――
誰も、決定打を狙っていない。
「……」
先生は理解した。
「お前たちは、俺を倒そうとしていないな」
通信。
サラの声。
「そうだよ」
「なら何をしている」
「先生を――」
少し間を置いて。
「考えさせてるの」
「……」
先生が初めて足を止めた。
「俺に選択をさせる」
「そう」
「そして、その選択に合わせてお前たちが動く」
「そういうこと」
「昨日までとは逆だな」
「うん」
サラが笑う。
「昨日は先生が私たちを動かした」
「今日は?」
「私たちが先生を動かす」
先生は黙っていた。
そして――
「……面白い」
その一言。
サラはそれを聞いて、僅かに笑った。
だが。
次の瞬間。
先生が銃を下ろした。
「……え?」
サラが画面を見る。
「先生?」
先生はその場から動かない。
ただ、銃を下ろしている。
「どうしたの?」
「別に」
「……」
「ただ」
先生が周囲を見る。
「お前たちが俺に選択させているというなら――」
一歩。
先生が前へ出る。
「俺は選ばない」
「……!」
「お前たちが用意した選択肢の中から選ぶ必要はない」
先生が壁に手を触れる。
「戦場そのものを変えればいい」
「……まさか」
サラが急いでマップを開く。
先生がいる場所。
その周囲には――
簡易隔壁。
訓練用の可動シャッター。
遮蔽物。
そして複数の区画。
先生は一つの壁を見た。
「昨日の戦闘で、ここを通ったな」
サラが息を呑む。
「……うん」
「なら、今日も同じ構造だと思うだろう」
先生が壁の脇にある操作盤を見る。
「でも、違う」
「……!」
シャッターが落ちた。
ガァン――!
「メア!」
「えっ!?」
メアの進路が塞がれる。
「ミナ!」
「先生、待って!」
別のシャッター。
マイとミナの射線が分断される。
そして――
「ミリア」
先生が呟く。
「……」
遠くに黒い髪が見えた。
先生はそちらを見る。
ミリアも先生を見る。
「お前だけは――」
先生が構える。
「まだ自由だな」
ミリアは何も答えない。
ただ、武器を構え直す。
サラはモニターを見ながら、静かに息を吐いた。
「……そういうことか」
ミナが尋ねる。
「何が?」
「先生は私たちを動かすんじゃない」
サラの目が鋭くなる。
「私たちが動ける場所そのものを変えてる」
「……」
「だから」
サラが小さく笑った。
「先生を動かす必要なんてなかったんだ」
一拍。
「最初から――」
「先生が動く場所を、私たちが作らされてたんだ」
そしてサラは、あることに気づいた。
「……待って」
「どうしたの?」
「先生が今いる場所……」
画面を拡大する。
「ここ、昨日の戦闘では一度も使ってない」
「うん」
「つまり先生自身も、ここを戦場にするつもりはなかった」
「……じゃあ?」
サラの顔から笑みが消える。
「先生は今、私たちの反撃を見て――」
画面上の先生を見る。
「その場で戦場を作り変えた」
沈黙。
先生がミリアへ向かって歩く。
ミリアも一歩前へ。
二人の距離が縮まる。
サラはモニターを見つめた。
「……やっぱり」
「?」
「昨日のデータだけじゃ、先生には勝てない」
そして――
サラは新しい指示を出した。
「だから今度は、データを作る」
「……?」
「先生がまだ知らない戦い方を」
サラが笑う。
「ここから先は――」
「私たちの新しいデータだよ」




