第51話 聖剣の重み
街道を一日歩いて、次の宿場町に着いた。
夕食を済ませて、宿の部屋に戻る。
窓の外は雨だった。秋の夕立。風が冷たい。
カイルは、また食事で大量に食べていた。
最近、食欲が止まらないらしい。
「お前、太るぞ」
「足りないんだ。動いてるから」
「だからって、限度があるだろ」
「分かってる。明日からは控える」
「明日からって、いつも言うわよね」
エリスが呆れた。
カイルがしょぼんとした。
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お茶を淹れた。
窓を打つ雨の音が、部屋に響いている。
エリスがベッドの端に座って、お茶を一口飲んだ。
「……ねえ駄犬」
「なんだ」
「昨日の続き、聞きたい」
「ああ」
俺は窓辺の椅子に座った。
カイルは、向かいのベッドに腰掛けている。
真剣な顔で聞く姿勢になっていた。
「勇者になった後の話、だな」
「ええ」
「分かった。話す」
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「勇者になって、最初の数ヶ月は王宮で訓練漬けだった」
俺は話し始めた。
「教官は、王国の最高位の戦闘指南役。歴代の勇者を育てた人物だった」
「歴代の勇者?」
エリスが眉を寄せた。
「歴代って、あんた以外にも勇者がいたの?」
「いた。何人か」
「全員、聖剣に選ばれた人?」
「ああ。代替わりがある。前の勇者が亡くなるか、引退すると、選定の儀式が行われる」
「あんたの前の勇者は?」
「俺が十六歳の時に亡くなった。寿命だった。八十歳近い老人だった」
「……長く生きたのね」
「ああ。だから、王国は次の勇者を必要としていた。それが俺だ」
エリスが頷いた。
「で、訓練漬け?」
「ああ」
俺は続けた。
「訓練内容は、肉体強化に特化していた。魔法の訓練は一切なし」
カイルがこちらを向いた。
「魔法、ないのか?」
「ない。教官に言われた。“お前の魔力は、魔法に変換できない。代わりに、肉体強化に全部流れる仕様だ。だから、肉体を鍛えるしかない”と」
「……それ、本当だったのか」
「本当だ。実際、魔法を使おうとしても、何も起きなかった」
「お前、本当に魔法使えないんだな」
「ああ」
カイルが複雑な顔をした。
「俺、レプリカでも、簡単な光の魔法くらいは使えるぞ」
「お前は、魔力の変換ができるタイプだろう。俺とは違う」
「……勇者って、人によって違うのか」
「人によって違うらしい。俺の場合は、極端だった」
エリスが頷いた。
「魔力量が多すぎて、変換が間に合わないタイプね」
「ああ」
「合理的ね、王国の説明」
「合理的だった。当時は、納得した」
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「訓練の中身は、シンプルだった」
俺は続けた。
「肉体強化の出力を、自在に制御する練習。聖剣を握って、魔力を全身に流す。流す量を調整する。それだけ」
「あんた、それで強くなったの?」
「強くなった。一年後には、王国軍の精鋭三十人を一人で相手にできた」
カイルが口を開けた。
「お前、一年でそこまでいったのか……」
「ああ」
「俺、レプリカ持ってから三年経つけど、そこまで強くないぞ」
「お前はお前だ。比べる意味がない」
「分かってる。分かってるけど……」
カイルがしょぼんとした。
エリスが笑った。
「ねえ駄犬。あんた、訓練中、どう感じてた?」
「どう、というのは?」
「楽しかった? 辛かった?」
俺は考えた。
「……どっちでもなかった」
「どっちでもない?」
「ああ。考えなかった。ただ、教官に言われた通りに、肉体強化の出力を上げ続けた」
「家にいたくなかった時と、同じね」
「同じだ。考えると、立ち止まりそうになる」
「だから、考えない」
「ああ」
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「訓練が一年続いた」
俺は続けた。
「一年後、初の戦場に派遣された」
「派遣?」
「北の国境付近で、魔物の被害が出ていた。オーガの群れが三体」
「あんた一人で?」
「ああ」
「……」
エリスが目を伏せた。
「十九歳で、一人で戦場?」
「ああ」
「無茶ね、王国も」
「俺は、無茶だと思わなかった。当時は」
「思わなかった、というのは?」
「教官に”お前なら戦える”と言われた。だから、戦えると思った。それだけ」
エリスがため息をついた。
「単純な男ね、当時のあんた」
「単純だった」
「結果は?」
「三体、撃破した。怪我もしなかった」
「……」
エリスが息を呑んだ。
「あんた、本当に、規格外ね」
「規格外、というよりは——」
俺は考えた。
「聖剣のおかげだ。聖剣を握って、肉体強化を全開にすると、オーガでも倒せた」
「全開、というのは?」
「肉体強化の出力を最大にすること。教官に教わった通りに」
エリスがお茶のカップを置いた。
「あんた、それで疲れなかったの?」
「ああ。聖剣を握っている限り、疲れを知らなかった」
エリスの目が、見開かれた。
「……疲れを、知らない?」
「ああ」
「それ、おかしくない?」
「おかしい」
俺は頷いた。
「だが、当時はそれを”勇者の力”だと思ってた。聖剣のおかげで、無限に戦える、と」
エリスが、息を吐いた。
「あんた、それでずっと戦い続けたの?」
「いや。戦場の間は休めた」
「でも、戦場では、疲れを知らずに」
「ああ」
エリスが頷いた。
「……あんた、おかしいと思わなかったの?」
「ああ。だが、当時は、答えが出なかった」
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俺は続けた。
「戦場で、仲間の騎士たちが、戦闘中に疲弊していくのが見えた」
「他の騎士は、普通の人間ね」
「ああ。普通だ。戦闘が長引くと、息が上がる。腕が重くなる。動きが鈍くなる」
「あんたは違った」
「違った。何時間戦っても、変わらない」
「……」
「最初の戦場の後、二度目、三度目と派遣された。毎回、俺だけが疲れを知らずに戦い続けた」
「他の騎士は?」
「疲弊した。戦死する者も出た」
「……」
エリスが目を伏せた。
「あんた、それを見てたのね」
「見てた」
俺は考えた。
長く、考えた。
「……自分が、何か違う何かだと思った」
「違う何か?」
「人間じゃない、何か」
エリスが、息を呑んだ。
カイルが黙っている。
俺は続けた。
「教官に聞いた。“なぜ、俺だけが疲れないのか”と」
「答えは?」
「“勇者の力だ。深く考えるな”」
「……」
「俺は、深く考えなかった。考えると、立ち止まりそうになるから」
エリスが頷いた。
それ以上は何も言わなかった。
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俺は続けた。
「二十歳の頃、ある戦闘で、聖剣を一瞬手放したことがあった」
「手放した?」
「大型の魔物の急所を狙うために、聖剣を投擲した」
「投げた、ってこと?」
「ああ」
エリスが眉を寄せた。
「あんた、聖剣を投げたの?」
「投げた。命中させて、相手を仕留めた」
「……」
「だが、聖剣が相手の体に刺さった数秒間、俺は聖剣を手放していた」
「で、何があったの?」
俺は考えた。
「……身体が、おかしくなった」
エリスとカイルが、同時にこちらを見た。
「おかしくなった、というのは?」
「力が、爆発的に湧き上がった。全身の筋肉が、勝手に膨張する感覚」
「……」
「制御できない力が、内側から溢れ出た」
エリスの目が、見開かれた。
「あんた、それ——」
「数秒後、聖剣を取り戻した瞬間、力が引いた。元の”強いけど制御可能な肉体強化”に戻った」
「……」
エリスが、息を吐いた。
「……その時、思った。“聖剣は、何かを抑えている”と」
エリスが頷いた。
「抑えている、というのは?」
「分からなかった。だが、聖剣がないと、俺の中の何かが、暴走する」
「暴走?」
「ああ」
カイルが黙っている。
俺は続けた。
「教官に聞こうとしたが、止められた。“そういう疑問は持たなくていい。お前は勇者として戦えばいい”」
「……」
「俺は、それ以上深く考えなかった」
エリスが目を伏せた。
「私と、同じね」
「同じ?」
「考えると、続けられないのよ」
エリスが顔を上げた。
「考えると、自分が何にされてるか、分かってしまうから。だから、考えない」
「……ああ」
「それで、生き延びてきた。二人とも」
俺は頷いた。
エリスも頷いた。
カイルが、ぽつりと言った。
「……俺、何も言えない」
「無理に何か言わなくていい」
エリスが軽くいなした。
「あんた、聞いてるだけで十分よ」
「……ありがとう」
カイルの声が、いつもより小さかった。
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夜が更けた。
カイルが先にベッドに転がって、すぐに寝息を立てた。
俺は窓辺で雨を見ていた。
エリスは、向かいのベッドの端に座っていた。
「……駄犬」
「なんだ」
「あんた、ずっと一人だったのね」
「一人?」
「考えるのを、ずっと一人で抱えてた」
「……」
「教官にも、仲間にも、誰にも言えなかった。だから、一人で考えるのも止めた」
俺は頷いた。
「ああ」
「私と、似てる」
「似てる」
「私たち、一人で抱えるのが上手すぎたのよ。だから、誰にも気づいてもらえなかった」
エリスの声が、低かった。
「でも、今は」
俺は言った。
「今は、二人で抱えてる」
エリスがこちらを見た。
紫の瞳が、雨の窓の光に染まっていた。
「……ええ」
それ以上は、言葉が要らなかった。
雨が、窓を打ち続けていた。
エリスがゆっくりと立ち上がって、自分のベッドに向かった。
「おやすみ、駄犬」
「おやすみ」
毛布を被って、寝息が聞こえ始めた。
俺は窓辺で雨を見続けた。
聖剣のリミッターの真実。
当時は気づいていた。
だが、深く考えなかった。
考えなかったから、戦い続けられた。
考えていたら、たぶん——壊れていた。
エリスも、同じことを言った。
「考えると、続けられない」と。
俺たちは、考えないことで生き延びてきた。
今は、少しずつ、考えている。
お互いに、隣にいるから。
考えても、立ち止まらない。
隣に、もう一人いる。
それが、たぶん、生きるってことだ。
雨の音が、夜通し続いていた。




