第50話 騎士団の門
街道を進んで夕方になった。
街道沿いの小さな宿場町。
人口五百人ほど。宿が二軒、市場が一つ。
宿を取って夕食を済ませた。
三人で部屋に集まってお茶を淹れた。
カイルは夕食でかなり食べていた。
五日分の食欲だ、と本人が言っていた。
「あんた、本当に飢えてたのね」
エリスが呆れていた。
「王宮を抜けてからはろくに食べてなかったからな」
「勇者って大変ね」
「大変だ。だが、勇者の務めだ」
「胃袋の務めね」
エリスが笑った。
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お茶を飲みながら、俺は続きを話し始めた。
「十六歳で、騎士団に入った」
カイルがこちらを向いた。
「俺とたった一年違いだな」
「お前、十七で勇者になったのか」
「ああ。お前と一歳違いだ」
近かった。
俺が騎士団を去った後、すぐにカイルが入ったのかもしれない。
だが、確かめる気はなかった。
「騎士団の入団は簡単だった」
俺は続けた。
「身長、体力、剣の腕——どれも基準を満たしてた。むしろ上回ってた」
「元騎士に習ってたからね」
エリスが頷いた。
「ああ。十歳から六年間、剣を振り続けた成果だった」
「両親は?」
「特に喜びもしなかった。“そうか”の一言で送り出された」
エリスが眉を寄せた。
「冷たいわね」
「冷たい、というよりは——」
俺は考えた。
「もう関心がなかった、というのが近いかもしれない。ニコが死んでから、両親の世界には俺の居場所がなかった」
「……」
「俺も責めなかった。両親なりに生きていただけだ」
エリスが頷いた。
それ以上は何も言わなかった。
カイルが、ぽつりと言った。
「……俺の両親は、騎士に俺がなった時、めちゃくちゃ喜んだぞ」
「お前の家、貴族か?」
「子爵家だ。三男坊。家を継ぐ立場じゃないから、騎士になるのが期待されてた」
「……」
「期待されすぎて、それはそれで辛かった」
カイルが苦笑した。
エリスが首を傾げた。
「あんたも苦労してきたのね」
「種類は違うが苦労はあった」
「ふうん」
エリスがお茶を一口飲んだ。
「みんな、それぞれね」
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「騎士団は激しかった」
俺は続けた。
「朝五時に起床。一時間の体力訓練。朝食。剣の訓練。昼食。模擬戦。夕食。装備の手入れ。寝るのは夜十時」
「相当忙しいわね」
「忙しい。だが俺には合ってた」
「合ってた?」
「ああ。考える時間がない。剣を振ってる時間と寝てる時間しかない。それが楽だった」
エリスが頷いた。
「家にいた時と同じね」
「同じだ」
「逃げ続けてたのね、ずっと」
俺は頷いた。
「逃げてた、というよりは——」
俺は考えた。
「考えないようにしてた、というのが近い。ニコのこと、家のこと、自分のこと。考えると立ち止まりそうになるから」
エリスが、目を伏せた。
「私と同じね」
「ああ」
二人とも、過去を「考えない」ことで生き延びてきた。
形が違うだけで、構造は同じだった。
カイルが頷いた。
「俺は両親の期待を考えないようにしてたな。期待されすぎると応えられなかった時のことを考えてしまうから」
「……」
「だから俺も、ある意味で逃げてた。期待から」
エリスがカイルを見た。
「あんた、思ったより考えてるのね」
「俺だって考えてるさ。たまに」
「たまに、ね」
エリスが小さく笑った。
カイルがしょんぼりした。
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「騎士団に入って、二年が経った」
俺は続けた。
「十八歳になった年、王国の宝物庫が公開された」
エリスがお茶のカップを置いた。
「聖剣の選定ね」
「ああ」
カイルがこちらを向いた。
「俺、その時はまだ騎士団に入ってない。一年後だ」
「ああ」
「俺、聖剣の選定を見たかった」
「見て何になる?」
「いや、勇者になる人を生で見てみたかった、っていうか」
カイルが頭を掻いた。
「あの時の勇者の名前、王宮では出てこなかった。“アルレン”って名前、海辺の町まで知らなかった」
王国の隠蔽は徹底していた。
俺の名前は勇者として記録から抹消された。
それは——後で分かったことだ。
「で、選定の儀式の話だ」
俺は続けた。
「候補は五人。俺と、四人の名門の騎士の息子」
「あんた以外、貴族なのね」
「ああ。俺は平民。当時は平民が候補に選ばれるのは珍しかった」
「珍しい?」
「ああ。聖剣は王国の象徴。それを持つ勇者は貴族から選ばれるのが慣例だった。俺が候補に入ったのは、騎士団での実績が突出していたからだ」
「突出していたんだ、あんた」
「らしい」
「らしい、って他人事ね」
「自分のことはよく分からない」
エリスが笑った。
「分かるわよ、それ」
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「選定の儀式は、王宮の大広間で行われた」
俺は続けた。
「王、宰相、神官、そして候補の五人」
「宰相もいたのね」
「いた。儀式の主導者だ」
「あの男、聖剣の選定も仕切ってたのね」
「ああ。王国の儀式は、ほぼ全部宰相が仕切ってた」
エリスが、苦い顔をした。
「徹底してるわね、あの男」
「徹底してる」
「で、選定は?」
「候補が一人ずつ聖剣に手を触れる。剣が反応した者が、勇者になる」
「反応、というのは?」
「光るんだ。聖剣の刀身が」
「綺麗な仕組みね」
エリスが、皮肉に笑った。
「綺麗、というか、芝居がかってる」
「芝居がかってる?」
「ああ。たぶん宰相が仕組んだ演出だ。“勇者は神に選ばれる”という幻想を、民衆に植え付けるための」
「実態は?」
「聖剣に触れる候補の魔力を、儀式の魔法陣が測ってる。最も魔力量が多い者の手で聖剣が反応するように設計されてる」
エリスが目を見開いた。
「あら、面白い分析ね」
「後で気づいた。当時は本気で”神に選ばれた”と思った」
カイルが、ぼそっと言った。
「俺も、そう思った……」
エリスがこちらに向き直った。
「で、あんたが触れた瞬間に聖剣が光った」
「ああ」
「他の四人は?」
「光らなかった。一人は半分くらい光ったが、それ以上は反応しなかった」
「あんたの魔力量、突出してたのね」
「らしい」
「また”らしい”」
「自分の魔力量は自分では分からない」
「ふうん」
エリスがお茶のカップを取った。
「で、あんたは、勇者になった」
「ああ」
「その時、どう思ったの」
俺は考えた。
しばらく考えて、答えた。
「ああ、選ばれてしまった、と思った」
エリスが、目を見開いた。
「……選ばれてしまった?」
「ああ」
「喜びは?」
「なかった」
「誇りは?」
「なかった」
「じゃあ、何を感じたの?」
俺はまた考えた。
「……仕事が増えた、という感覚」
エリスが、息を止めた。
それから——吹き出した。
「ぷっ……ふふっ」
「何が面白い」
「あんた、勇者になった瞬間に”仕事が増えた”って思ったの?」
「思った」
「……あんた、ほんとに駄犬ね」
「褒めてるのか」
「半分、ね」
カイルが頭を抱えた。
「お前、勇者になって淡々としてたのか」
「ああ」
「俺、勇者になった時はめちゃくちゃ嬉しかったぞ。叫んだぞ。“俺が選ばれた!”って」
「お前らしいな」
「褒めてるのか?」
「分かりやすい男だ」
エリスが笑った。
「駄犬は駄犬らしいし、カイルも金ピカらしいわね」
カイルがしょぼんとした。
エリスが楽しそうに笑った。
俺も、口元が緩んだ。
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夜が更けた。
カイルがベッドに転がった。
鎧を脱いで軽装になっている。最近は屋内で鎧を脱ぐようになった。少し成長した、と言える。
エリスはまだお茶を飲んでいた。
「……駄犬」
「なんだ」
「あんたが勇者になった話、続きが聞きたい」
「明日にする」
「明日ね」
「ああ」
エリスがお茶のカップを置いた。
「あんたの過去、聞けば聞くほど——」
エリスが言葉を切った。
「聞けば聞くほど?」
「私と、同じ場所から来てるのが分かるわ」
「同じ場所?」
「装置にされる人間。意志を持つことを許されなかった人間」
俺は頷いた。
「ああ」
「だから、あんたが”仕事が増えた”って思ったの、分かるわ」
「お前も、か?」
「私は、そんな余裕なかったわ。ただ、早く終わってくれって思ってた」
「……そうか」
「でも、根っこは同じ。“これは私のためじゃない”って分かってた」
エリスが小さく笑った。
「ね? 同じでしょ」
俺は頷いた。
「同じだな」
「……ねえ駄犬」
「なんだ」
「今夜、隣で寝てもいい?」
俺は、固まった。
「……は?」
「冗談よ」
エリスが笑った。
「でも、半分本気かもよ」
「半分?」
「半分。残り半分はまた今度ね」
エリスが自分のベッドに向かった。
「おやすみ、駄犬」
「……おやすみ」
エリスが毛布を被って、すぐに寝息を立て始めた。
俺は椅子に座ったまま、しばらく動かなかった。
「半分本気」。
その「半分」がどれくらいの重さなのか。
聞きたいような、聞きたくないような、複雑な気分だった。
——まあ、いい。
エリスの寝顔を見ながら、思った。
二人とも、同じ場所から来た。
意志を持つことを許されなかった装置だった。
今は、お互いに意志を持ってここにいる。
それで、十分だ。
夜が深まっていった。




