第49話 家にいたくなかった
朝。
森の中で目を覚ました。
焚き火はもう消えていた。
昨夜、エリスと交代で見張りをしていたが、いつの間にか俺もうとうとしていたらしい。
カイルがまだ大いびきで眠っていた。
鎧を着たままで、地面に転がっている。
エリスは近くの倒木に腰掛けていた。
朝日を浴びて、髪を整えている。
「……起きてたのか」
「うん。あんたが寝てる間に、私が見張ってたの」
「すまない」
「いいわよ。眠そうな顔してたから」
エリスが微笑んだ。
柔らかい笑い方だった。
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カイルを起こして、朝食を済ませた。
干物と、保存食のパン。
街道に出る前に、森を抜けるルートを確認した。
あと半日歩けば、街道に合流できる。
三人で歩き出した。
エリスが先頭。カイルが真ん中。俺が後ろ。
カイルは昨夜の見張りで疲れていた。
足取りが重い。
だが、文句は言わない。
「勇者として弱音は吐けない」と思っているらしい。
朝の森は、静かだった。
鳥の声と、落ち葉を踏む音だけが聞こえる。
しばらく、無言で歩いた。
エリスが振り向いた。
「……ねえ駄犬」
「なんだ」
「昨夜の話の続き、聞きたい」
「ああ」
カイルが後ろを振り向いた。
「俺、聞いてていいのか?」
「いいわよ。あんたも、もう仲間でしょ」
カイルの目がほんの少し見開かれた。
「……ありがとう」
声がいつもより小さかった。
エリスが軽くいなした。
「感動するな、金ピカ。話聞きたいだけよ」
「……はい」
カイルがしょぼんとした。
俺は口を開いた。
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「俺の生まれた村は、王都の南だ」
歩きながら、話し始めた。
「人口は二百人くらい。小麦を作る農村と、鉄を打つ鍛冶屋が共存してる、変わった村だった」
「鍛冶屋がいたの? 農村に?」
「いた。父が鍛冶屋だった」
「父の名前は」
「ヨハン」
「お父さんね」
「ああ」
エリスが頷いた。
「母は機織りをしてた。村の女たちと一緒に、毛織物を作って、王都に売りに行く商人に渡してた」
「お母さんの名前は」
「ヘレナ」
「素敵な名前」
エリスが微笑んだ。
「平凡な家庭だった。父が鉄を打つ音、母が機を織る音。それが、俺の家の音だった」
「……」
「弟がいた」
俺の声が、少しだけ低くなった。
「ニコ。ニコラ、が本名」
「ニコ」
エリスが繰り返した。
「私の弟のライと、似てるわね。短く呼んでた」
「ああ」
俺は続けた。
「俺より三歳下。俺が八歳の時、五歳だった」
「五歳……」
「あの年、村に流行り病が来た」
カイルが後ろから息を呑む音がした。
「子供と老人が、特に弱かった。村で十人くらい、亡くなった」
「ニコも」
「ああ」
俺は淡々と答えた。
「ニコは、もともと体が弱かった。だから、誰よりも早く倒れた。三日で、意識がなくなった」
「……」
「父も母も、必死で看病した。村の薬師も呼んだ。でも——治らなかった」
「……」
「ニコが死んだ日、母が泣いた。父も泣いた。村中の人が泣いた」
俺は足元を見た。
「俺は、泣けなかった」
「……」
「ニコが死んだ意味が、八歳の俺にはまだよく分からなかった」
エリスが振り向いた。
紫の瞳が、こちらを見ていた。
何も言わない。
ただ、見ているだけ。
「……分かるけど、もう、戻れない」
俺は続けた。
エリスが頷いた。
それ以上は何も言わなかった。
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しばらく、無言で歩いた。
森の中。
落ち葉を踏む音だけが、三人分。
俺は続けた。
「ニコが死んでから、家の音が変わった」
「音?」
「父の鉄を打つ音が、強くなった」
「強く?」
「ああ。鉄を打つ時、いつもより力が入ってた。打つたびに、家中が震えるくらい」
「……」
「母の機織りの音は、止まることが増えた。手を止めて、窓を見てる時間が長くなった」
「……」
「父は、仕事に没頭することで、悲しみを忘れようとしてた。母は、悲しみと向き合いすぎて、止まってしまった」
エリスが頷いた。
「私の家も、似てたかもしれない」
「……」
「馬車に乗せられる時、母は泣いてた。父は、何も言わなかった」
俺は頷いた。
それ以上、言葉はいらなかった。
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「俺は、家にいたくなかった」
俺は続けた。
「父と母を毎日見るのが、きつかった。二人が悲しんでるのを見るのが」
「……」
「俺は何もできなかった。慰めることも笑わせることも。八歳のガキに何ができる」
エリスが何も言わなかった。
カイルも、黙っている。
「だから、外に出るようになった。村の周りの森。畑。川。家にいない時間を、できるだけ長く」
「……」
「十歳の時、村の元騎士に出会った」
「元騎士?」
「ああ。隣の家に住んでた、初老の男。退役して、村に住み始めた人」
「あんた、その人に剣を習ったのね」
「ああ」
俺は頷いた。
「最初は、退屈しのぎだった。元騎士が”剣を教えてやろうか”と言ったから、なんとなく頷いた」
「なんとなく」
「ああ。深い理由はなかった。ただ家にいないで済む時間が、増えるから」
「……」
「剣は向いてた。元騎士が驚くくらい、上達が早かった」
エリスが振り向いた。
「あんた、十歳でもう才能があったのね」
「才能、というか——」
俺は考えた。
「剣を振ってる時間は何も考えなくていい。それが楽だった」
「……」
「ニコのことも、父と母のことも考えないで済む。剣を振るということだけに集中できる」
「逃避先」
エリスが、ぽつりと言った。
「ああ。たぶん、そうだ」
俺は頷いた。
「俺の剣の上達は才能じゃない。逃げるための手段だった」
エリスが止まった。
俺も止まった。
エリスがこちらを振り向いた。
「……私の温泉と、同じね」
「温泉?」
「私が温泉に執着するのは、塀の中で読んだ唯一の本の影響。外の世界の象徴」
「……」
「あんたの剣も、家から逃げるための象徴。場所は違うけど、構造は同じ」
エリスが小さく笑った。
「私たち、本当によく似てるわね」
俺は頷いた。
「……だな」
エリスがまた歩き出した。
カイルが後ろからついてくる。
しばらく歩いて、カイルが言った。
「……俺の話も、聞いてくれるか」
「何を」
「俺の話。俺の過去」
エリスが振り向いた。
「あんたも、話したいの?」
「うん。お前らが話してるの聞いてて、なんか、俺も話したくなった」
カイルの目が真剣だった。
エリスが小さく頷いた。
「今夜、聞きましょう」
「お、おう。じゃあ、今夜——」
「ただし」
エリスがにやりと笑った。
「金ピカの過去なんて、たぶん、たいしたことないわよね?」
「な、なんだと!? 俺の過去だって——」
「いいから、夜に話しなさい。今は駄犬の話の途中」
「は、はい」
カイルがしょぼんとした。
エリスが楽しそうに笑った。
俺も、口元が少し緩んだ。
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森を抜けると、街道に合流した。
東に向かう街道。
東の山脈は、遠くに見えていた。
地図によれば、迂回ルートで、まだ二週間ほどかかる。
街道を歩きながら、俺はもう少しだけ続けた。
「十六歳で、騎士団に入った」
「もう、そこまで進めるの?」
「ああ。間の六年は、ただ剣を振ってただけだ」
「ふうん」
エリスが頷いた。
「両親は、特に喜びもしなかった。“そうか”の一言で、送り出された」
「……」
「俺はそれでよかった。家を出る理由が、できたから」
「家を、捨てたの?」
「捨てた、というよりは——」
俺は考えた。
「離れた、って感じだ。家族を捨てたわけじゃない。ただ、もう、家にはいられなかった」
エリスが頷いた。
「分かるわ」
「ああ」
それ以上は説明しなかった。
説明しなくても、エリスは分かってくれる。
カイルが後ろから言った。
「……お前ら、ずっと同じ感じだな」
「同じ?」
「短いやり取り。多くを語らない。でも、お互い分かってる」
エリスが振り向いた。
「あら、観察眼があるじゃない」
「俺だって、勇者だぞ」
「金ピカの勇者ね」
「うるさい」
エリスが笑った。
街道を三人で歩く。
朝日が徐々に高くなっていく。
エリスの過去を聞いた数日と、同じように。
今度は、俺が話す側だ。
不思議な感覚だった。
自分の過去を、誰かに話す。
王国にいた頃には、考えられなかった。
——でも、今は。
エリスが先を歩いている。
カイルが横で笑っている。
二人がいるなら、話せる。




