第48話 あなたも、同じだったのね
カイルが合流して三日。
街道を抜けて、森の中を進んでいた。
東の山脈を迂回するルート。地図によれば、北寄りの森を抜けて、別の街道に合流できる。
森の中は、街道より進みは遅い。
だが、追手の網には引っかかりにくい。
「……不便ね、森の中」
エリスが文句を言った。
「街道なら、宿があるのに。森には何もないわ」
「待ち伏せされるよりマシだ」
「まあ、それはそうだけど」
エリスが歩きながら、髪を撫でた。
木の葉が髪に引っかかって、不機嫌そうにしている。
カイルは、二人の間を歩いていた。
鎧を泥で汚し、白マントを森の枝に何度も引っ掛けながら、それでも勇者らしく胸を張っていた。
「俺がいれば森も平気だ! 勇者は森の魔物にも対応できるからな!」
「カイル、その鎧の音、森中に響いてるわよ」
「鎧は勇者の魂だ! 外せない!」
「外して」
「無理だ」
「歩く目印として完璧ね」
「目印として完璧? 褒められてるのか?」
エリスは説明しなかった。
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夜、野営。
森の中の少し開けた場所で、焚き火を熾した。
カイルは見張り当番だった。
「俺が見張る! 勇者として!」
「適当な距離で、ね。火の側で寝ないでよ」
「分かってる!」
カイルが少し離れた場所に立った。
本人なりに真剣に周囲を警戒している。
俺とエリスは、焚き火の近くに座っていた。
しばらく、無言だった。
焚き火が爆ぜる音と、森の夜の音だけ。
エリスが、ぽつりと言った。
「……ねえ駄犬」
「なんだ」
「あんたの過去、聞いてもいい?」
俺はお茶のカップを握る手を止めた。
エリスが続けた。
「私の話、聞いてくれたでしょう。何日もかけて、全部」
「ああ」
「だから、あんたの話も、聞きたい」
エリスの声は、押し付けがましくなかった。
ただ、対等な交換として、求めていた。
「……長い話になるぞ」
「いいわよ。何日でも」
「俺の方は、お前ほどの起伏はない」
「それでもいいわ。聞きたい」
俺はしばらく考えた。
エリスが俺の過去を、知るべきか。
エリスに話す価値が、あるか。
考えて——答えを出した。
「……今夜は、途中まで話す」
「うん」
エリスが膝を抱えた。
聞く姿勢になった。
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「俺の生まれた村は、王都の南にあった」
俺は話し始めた。
「平凡な村だ。両親も平凡。父は鍛冶屋だった。母は機織り。弟が一人いた」
「……弟がいるの」
「いた」
「いた、って」
「五歳の時、流行り病で死んだ。俺が八歳の頃」
エリスが目を伏せた。
「……ごめん」
「謝るな。お前のせいじゃない」
「うん」
「弟が死んでから、両親は変わった。特に母は——心の半分が、弟の方に行ったまま戻ってこなかった。父は、仕事に没頭することで、悲しみを忘れようとした」
「……」
「俺は、両親に放置されたわけじゃない。だが、両親の世界の中心は、もう俺じゃなかった。それは、しかたない」
エリスが頷いた。
「俺は、剣の修行を始めた。十歳の頃から、近所の元騎士に教わった。何の理由があったわけじゃない。ただ、家にいたくなかった」
「……」
「剣は、得意だった。元騎士が驚くほど、上達が早かった。“お前、王都の騎士団に入ればいい”と勧められた」
「それで、入ったの」
「十六歳で、入った。両親は、特に喜びもしなかった。“そうか”の一言で、送り出された」
「……」
「騎士団は、激しかった。訓練、戦闘、また訓練。毎日が消耗だった。だが、俺は耐えた。耐えるのは、得意だった」
俺は続けた。
「十八歳で、王国の宝物庫が公開された。聖剣が、その中にあった。代々、新しい勇者を選ぶときに使われる、選定の儀式」
「……儀式」
「そう。聖剣に手を触れて、剣が反応した者が、勇者になる」
「あんたが、選ばれた」
「そうだ」
俺は淡々と続けた。
「聖剣は、俺の手に反応した。光った。“勇者の誕生”と、宣言された」
「……」
「その日から、俺の生活は変わった。戦闘訓練は、肉体強化だけに特化した。魔法の訓練は、一切なし。聖剣は、肉体強化を増幅する装置だ、と説明された」
「装置——というのは比喩よね?」
「比喩じゃない。聖剣は、装置だった」
エリスが目を見開いた。
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「……装置、というのは」
エリスが繰り返した。
「比喩じゃなくて、本当に、装置」
「そう。聖剣は、俺の魔力を制御する装置だった」
「魔力を、制御?」
俺は頷いた。
「当時、俺は知らなかった。聖剣を持っていれば、肉体強化が安定する。聖剣がなければ——魔力が暴走する」
「暴走?」
「俺の魔力は、魔法に変換できない。代わりに、肉体強化に流れる。だが、その肉体強化は——制御できない」
「……」
「制御できないと、自分の体が壊れる。骨が砕けたり、筋肉が裂けたり、内臓が破れたり。ある程度の制御を、聖剣がしてくれていた」
「あんた、それを知らないで戦ってたの」
「知らなかった。“勇者の力は、聖剣によって増幅される”と教わっていた。だから、聖剣がないと弱くなる、と思っていた」
「実際は——」
「実際は、聖剣があると、力が抑えられていた。聖剣は、俺の暴走を抑えるリミッターだった」
エリスが、息を呑んだ。
「リミッター。鎖。装置」
エリスの声が、低くなった。
「あんたも、王国に縛られてた」
「そうだ」
「王国は、それを知ってて、あんたに教えなかったの」
「教えなかった。たぶん、教えると俺が制御方法を学ぼうとして、聖剣を手放す可能性があったから。彼らは、俺を聖剣付きの兵器として、保ち続けたかった」
「……」
「俺は、王国の兵器だった」
俺は淡々と言った。
「お前と、同じ系統の兵器だ」
エリスが俺を見つめた。
紫の瞳が、揺れていた。
涙ではない。
理解だ。
深い、重い理解。
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「……あなたも、同じだったのね」
エリスが言った。
「同じ?」
「使い捨ての、道具」
「……ああ」
「私は結界の装置。あなたは戦闘の兵器。違う種類だけど、本質は同じ」
「同じだ」
「私たち、よく似てるのね」
エリスが小さく笑った。
寂しい笑いだった。
「だから、たぶん——」
エリスが言葉を切った。
俺は続きを言った。
「だから、たぶん、隣にいて楽なんだろう」
エリスが目を見開いた。
「……分かるの」
「分かる。お前と俺は、同じだ。だから、無理に何かを説明しなくていい」
「……」
エリスが目を伏せた。
長い沈黙だった。
焚き火がぱちぱちと爆ぜている。
森の夜の音が、遠くから聞こえる。
エリスが、ぽつりと言った。
「……ありがと、駄犬」
その「ありがと」は、これまでとは違う重みがあった。
別れの夜の「ありがと」。
過去を聞いてくれた時の「ありがと」。
そして、今夜。
「同じだったのね」と確認しあった、今夜の「ありがと」。
「……ああ」
俺はそれだけ答えた。
それ以上の言葉は、必要なかった。
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エリスがお茶を一口飲んだ。
冷めかけたお茶だった。
「……聖剣が折れたのは、いつ?」
「半年前」
「折ったの、あんたじゃないわよね」
「俺じゃない」
「リミッターが、限界を超えた」
「そうだ。守りたいものがあった戦いだった。俺は、リミッターを超える一撃を打った。聖剣が、折れた」
「守りたいもの、というのは」
「……それは、また今度」
「いいわよ」
エリスが頷いた。
「聞きたいけど、急がない」
「ああ」
エリスが膝を抱えた。
「私たち、似てるけど、少し違うわね」
「違う?」
「私の結界は、解除されてない。今でも繋がってる。あんたの聖剣は、折れた」
「ああ」
「あんたは、自由になった。私は、まだ完全には自由じゃない」
「……」
「だから——」
エリスがこちらを見た。
「だから、私が完全に自由になるまで、隣にいて」
俺は頷いた。
「ああ」
「ずっと、隣にいて」
「ああ」
それ以上の言葉は、いらなかった。
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少し離れた場所で、カイルの声が聞こえた。
「俺の見張りも代わってくれー! 寒いー!」
「……あいつ、せっかくの場面で空気読まないわね」
「空気は読まない。それがあいつだ」
「……ふふ」
エリスが立ち上がった。
「カイル、私が代わるわ。あんたは寝なさい」
「えっ、いいのか!?」
「いいわよ。でも、その前に、ちゃんと見張りとして役立つ情報を出しなさい」
「情報?」
「焚き火から見て、北の方角に変な気配を感じたか? この三時間で」
「……特に何も感じなかった」
「じゃあ、見張りとしては合格。寝なさい」
「お、おう」
カイルが焚き火の側に来て、ごろりと横になった。
鎧を着たまま、すぐに寝息を立て始めた。
エリスが見張りの位置に立った。
「駄犬。あんたも寝て」
「俺は、もう少し起きてる」
「ふうん。じゃあ、二人で見張りね」
エリスが小さく笑った。
「同じ過去を持つ二人で、夜の森を見守るの。なんか、いい話っぽいわね」
「いい話、ではないと思うが」
「いいの。私が”いい話”って言ったらいい話なの」
論理が飛躍している。
だが、追及しなかった。
エリスが月を見上げた。
銀髪が、月光に染まっている。
俺も、月を見た。
同じ過去を持つ者同士、と確認しあった夜。
明日からは、また旅が続く。
明日からの旅は、これまでと少し違う。
お互いの過去を、少しだけ知っている。
お互いが「同じ痛み」を持っていると、知っている。
それでも、隣にいる。
それを、お互いが選んでいる。
それで、十分だ。
月の下で、二人の影が、長く重なっていた。




