第52話 戦場の駒
街道を進んで、四日。
雨は上がっていた。
秋の空気が澄んで、遠くの山並みが綺麗に見える。
エリスの足取りが軽い。
雨で足止めが続いた後だから、外を歩けるのが嬉しいらしい。
「やっぱり、晴れがいいわね」
「ああ」
「雨の宿、退屈すぎたわ」
「お前、寝てばかりだったろ」
「寝るくらいしかすることないでしょ」
カイルが後ろから言った。
「俺、見張りで起きてたんだぞ」
「金ピカは、見張りで起きてるくらいしか役に立たないものね」
「うっ」
カイルがしょぼんとした。
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昼の休憩。
街道沿いの草地で、保存食を分けた。
「……ねえ駄犬」
エリスが切り出した。
「そろそろ、続きを聞きたいんだけど」
「ああ」
俺はパンを齧った。
カイルが横で聞く姿勢になった。
「二十歳の頃の話だ」
俺は始めた。
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「王国の南方で、大規模な魔物の発生があった」
俺は続けた。
「大型の魔物の群れ。数百体。竜種も混じってた」
エリスが眉を寄せた。
「数百体……」
「ああ」
「普通の騎士団じゃ、無理ね」
「無理だった。だから、俺と三十人の精鋭部隊が派遣された」
「あんたが指揮するの?」
「俺は指揮官じゃない。隊長が指揮した。俺は前線の戦力だった」
「前線、というのは、最前列ね」
「ああ」
「危険ね」
「危険だった」
俺は淡々と続けた。
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「戦闘は、二日続いた」
「二日……」
「夜も戦った。魔物は夜行性のものが多かった」
「あんたは?」
「俺は、聖剣のおかげで疲れを知らなかった。二日間、戦い続けた」
「他の騎士は?」
「徐々に、倒れていった」
エリスが息を呑んだ。
「倒れた、というのは?」
「ある者は、力尽きて。ある者は、魔物に殺されて」
「……」
「二日目の夜、最後の魔物を倒した時、生き残ったのは、俺と五人の騎士だけだった」
「五人……」
エリスの声が、小さくなった。
「二十五人が、戦死した」
俺は続けた。
「隊長も、含まれてた」
エリスが目を伏せた。
カイルが息を止めていた。
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「俺は、最後の魔物を倒した直後、戦場の真ん中で立ち尽くした」
俺は続けた。
「仲間の死体が、周囲に転がっていた。二十五人分」
「……」
「視界に入る範囲、全部、知ってる顔だった」
エリスが何も言わなかった。
俺は考えた。
長く、考えた。
「……救えたはずだ、と思った」
エリスが顔を上げた。
「救えた?」
「ああ。もっと早く、もっと強く、もっと前に出れば」
「……」
「俺は、疲れを知らない。聖剣のおかげで、無限に戦える。だから、もっと、できたはずだ」
エリスが首を振った。
「それは、無理よ」
「無理?」
「あんた一人で、数百体の魔物を全部抑えるのは、物理的に無理。あんたが、ある場所で戦っている時、他の場所では別の魔物が騎士を襲ってる。同時には対応できない」
俺は頷いた。
「分かってる。今は、分かる」
「当時は?」
「当時は、分からなかった」
俺は目を伏せた。
「自分だけが、生き残った。仲間が全員倒れていった。“自分だけが何か違う何かだ”と、初めて、はっきり思った」
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「人間じゃない、何か」
俺は続けた。
「だから、生き残った。だから、救えなかった」
エリスが目を上げた。
「あんた、罪悪感を抱えてきたのね」
「罪悪感、と呼べるのか、分からない」
「呼べるわよ」
エリスがはっきりと言った。
「あんた、生き残ったことに、ずっと罪悪感を抱えてきた」
「……」
「私と、似てる」
「似てる?」
「私も、結界を維持してた時、何百万人の命を背負ってると思ってた。“私の魔力が切れたら、誰かが死ぬ”って」
「……」
「背負いすぎたの。一人で背負えるものじゃないのに」
俺は頷いた。
エリスの言葉が、刺さった。
罪悪感、というよりは——背負いすぎ。
それを、ずっと、誰にも気づいてもらえなかった。
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「王国に戻ると、英雄として讃えられた」
俺は続けた。
「民衆が、王宮の前に集まった。歓声を上げた」
「あんたは?」
「気持ち悪かった」
「気持ち悪い?」
「ああ。二十五人が死んだ戦場の話を、民衆は知らない。“英雄が勝った”としか聞かされていない」
「……」
「戦死した騎士たちの家族にも、王国は何も伝えなかった。“名誉の戦死”とだけ」
エリスの目が、暗くなった。
「王国の手口ね」
「徹底してた」
「英雄に都合の悪い情報は、全部隠す」
「ああ」
「そして、英雄を歓声で迎えて、また次の戦場に送り出す」
「ああ」
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「俺は、その時、決めた」
俺は続けた。
「戦場で、仲間を作るのを、やめる」
エリスが目を見開いた。
「仲間ができても、結局、俺だけが生き残る。それは——もう、嫌だった」
「……」
「次の戦場からは、誰とも親しくしなかった。話しかけられても、最低限の返事。名前を覚えるのも、やめた」
「……」
「俺の周りで、仲間が死んでも、俺は知らない人として、戦い続けた」
「……」
「それから、二年戦った」
俺は、淡々と言った。
エリスが顔を上げた。
「二年?」
「ああ。二十歳から、二十二歳まで」
「ずっと、その状態で?」
「ああ」
「……」
エリスが、息を吐いた。
長い息だった。
「それで、聖剣が折れたのね。経緯は?」
俺は考えた。
しばらく考えて、答えた。
「……話せば長い。今は、簡単に言う」
「いいわよ。簡単に」
「最後の戦闘で、リミッターを超える一撃を放った」
エリスが目を見開いた。
「リミッター?」
「聖剣は、俺の魔力を抑えるリミッターだった。それを超えた時、折れた」
「あんた、知ってたの?」
「うすうす。だが、深くは考えなかった。考えると、続けられないから」
エリスが頷いた。
「あの戦闘の詳細は、いつか必ず話す。だが、今夜じゃない」
「分かったわ」
それ以上は、聞かなかった。
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「だが、これだけは言える」
俺は続けた。
「聖剣が折れた後、王国は、俺を追放した」
「追放?」
「ああ。“勇者が暴走して聖剣を破壊した”という物語にされた。俺は罪人として、王国を去った」
エリスが、息を呑んだ。
「あんた、暴走で折ったわけじゃないんでしょ」
「違う。王国は、真実を隠した。俺を罪人にした方が、彼らに都合が良かったから」
エリスの目が、冷たくなった。
「宰相ね」
「ああ。宰相が、決めた」
「あの男の合理性」
「徹底してた」
俺たちは、しばらく、無言だった。
風が、草を揺らしている。
雲が、ゆっくり流れている。
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カイルがぽつりと言った。
「……勇者として、お前を尊敬する」
それだけだった。
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午後、また街道を歩き始めた。
エリスが横にいる。
カイルが後ろにいる。
それだけで、足取りが、いつもより軽かった。
聖剣が折れた最後の戦闘の詳細は、まだ話していない。
あの戦いで、何を守ろうとしたのか。
誰のために、リミッターを超えたのか。
——いつか、話す。
たぶん、それは、王都に戻る時だ。
宰相と対峙する時、あの男に、自分の口で言わなければならない話。
エリスが横を歩いていた。
「……駄犬」
「なんだ」
「あんたの過去、聞いてよかったわ」
「そうか」
「うん」
エリスが空を見上げた。
「私たち、本当に、よく似てる」
「ああ」
「でも、これからは違うわよ」
「違う?」
「これまでは、二人とも、一人で抱えてきた。これからは、二人で抱える」
俺は頷いた。
「ああ」
「だから、私たちは、もう、戦場の駒じゃない」
エリスの声が、強かった。
「私たちは、自分の意志で、歩いてる」
俺はエリスの横顔を見た。
銀髪が、午後の光に染まっている。
その横顔が、王国で見たどんな貴族よりも、誇り高く見えた。
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カイルが後ろから声をかけた。
「おーい、二人とも! あれ、見ろ!」
振り向くと、カイルが街道の先を指差していた。
遠くに、街が見えた。
壁が高く、塔がいくつも立っている。
「あれ、東の山脈の麓の街か」
「たぶんな」
「ちっぽけな村だと思ってたが、結構大きいぞ」
「東の山脈の交易の中継地点だ。商人と冒険者が集まる」
「冒険者か。久しぶりに、いろんな人間に会えるな」
カイルが楽しそうに言った。
エリスが目を細めた。
「……駄犬」
「分かってる」
「気配、感じる?」
「感じる」
街の方向から、微かな魔力の流れが届いていた。
複雑な気配。一つや二つじゃない。十人以上の、訓練された人間の魔力。
「……宰相の暗殺部隊か」
「たぶんね」
「街に入る前に、迂回する?」
「迂回しても、追ってくるだろう。情報網がある」
「じゃあ」
エリスが紫の瞳をこちらに向けた。
「街で、迎え撃つのね」
「ああ」
カイルがこちらを振り返った。
「な、何の話してる?」
「カイル、剣の準備をしておけ」
「え?」
「待ち伏せされてる。気づいてなかったのか」
カイルが固まった。
「……勇者として、警戒不足だな、俺」
「気を抜くな」
「うっ」
カイルが慌てて鎧を整え始めた。
エリスが笑った。
楽しそうな、悪い笑い方だった。
「久しぶりの戦闘ね。楽しみだわ」
「お前、戦闘は嫌いだったろ」
「嫌いよ。でも、追手を片付けるのは別。あいつらは——許せないから」
紫の瞳に、冷たい炎が灯っていた。
過去を語り終えた今、エリスの目が変わっていた。
もう、隠れる立場じゃない。
追手を片付けて、いずれ、王都に戻る。
自分の意志で。
俺は欠片を確認した。
腰に下げたオリハルコンの欠片が、いつもより重く感じた。
——戦闘の予感は、嫌いじゃない。
久しぶりに、考えることが減る感覚。
肉体強化を、思いきり使える時間。
街道の先の街が、徐々に近づいてくる。
そこに、宰相の駒たちが待っている。
二人で——いや、三人で、迎え撃つ。




