第5話 勇者の仕事を見せてやろう
凱旋の宴は、盛大だった。
広場に長テーブルが並び、肉が焼かれ、酒が注がれ、吟遊詩人が歌っている。
カイルが費用を持ったらしい。町の人々は大喜びだ。
「勇者様のおかげで安心だ!」
「魔物も怖くない!」
「カイル様ー! こっち見てー!」
カイルは群衆の中心で、歯を光らせて笑っていた。
鎧の宝石が篝火に反射して、文字通りキラキラしている。
目が痛い。
「駄犬。肉を取ってきなさい」
「……自分で行け」
「私が席を立ったらあのゴミが話しかけてくるでしょ。面倒なの」
それはそうだ。
カイルは宴の間中、エリスの隣を狙って何度も席を移動していた。エリスがアルレンを壁にして距離を保っている。
アルレンは黙って肉を取りに行った。
ついでにパンとチーズも。ついでにスープも。ついでにデザートの焼き林檎も。
戻ると、エリスが当然の顔で全部受け取った。
「足りない」
「……何が」
「ワイン」
「お前、酒飲むのか」
「飲まないわよ。でもタダなんだから貰っておくのが礼儀でしょ」
礼儀の概念が壊れている。
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宴の途中、カイルが立ち上がった。
「皆さん! 聞いてください!」
声がよく通る。この男、演説だけは本当にうまい。
「この町の近くにも、まだ魔物の巣がある! 明日、私が直々に討伐に向かいます!」
歓声が上がる。
「ご安心ください! この聖剣がある限り――」
カイルが腰の剣を抜いた。
レプリカの聖剣。篝火の光を受けて、ぎらりと輝く。
群衆がどよめいた。
「おおーっ!」
「聖剣だ!」
「本物……!」
本物じゃない。
アルレンは無表情のまま、肉を噛んだ。
エリスが耳元で囁いた。
「あの剣、精錬鋼に金メッキよ。魔力伝導率はゼロ。叩けば鳴るわよ、かんかんって」
かんかん。
聖剣がかんかん。
「……黙って食え」
「食べてるわよ。あと林檎もう一個」
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翌朝。
カイルは宣言通り、町の外れの森へ魔物討伐に出発した。
従者が三人、馬が二頭。完全な「見せる」陣容だ。
町の人々が見送りに来ている。
子供たちが「がんばれー!」と叫んでいる。
カイルは白馬の上から手を振った。
「見ていてください! 勇者の仕事を!」
白マントが朝日に翻る。
絵になる。絵にしかならないが。
アルレンとエリスは、通りの端からそれを眺めていた。
「……行ったな」
「行ったわね」
「俺たちも発つか。あいつがいない間に――」
「駄犬」
エリスが遮った。
「あの森、昨日の夜に私が魔力を感じたの。魔狼が五、六匹。あと、もう少し大きいのが一匹」
「……大きいの」
「魔力の密度からして、魔熊クラス。あの金ピカじゃ無理よ」
魔熊。
魔狼の上位種。一匹で集落を壊滅させる。
騎士団でも小隊規模で対応する相手だ。
「従者が三人いるだろ」
「従者の装備、見た? 儀礼用よ。実戦用じゃない」
見ていた。アルレンも気づいていた。
剣の柄に飾り紐がついている時点で、あれは「見せるための装備」だ。
「……面倒だな」
「面倒ね。でも、あいつらが死んだらこの町が大騒ぎになるわ。そうなったら私たち、静かに出発できない」
理由がそれか。
「だから行ってきなさい、駄犬。あのゴミの尻拭い」
「お前は」
「私は宿で寝てるわ。昨日の宴で疲れたの」
疲れたのは食べすぎたからだろう。
アルレンは荷物を宿に置き、腰の欠片だけを持って森に向かった。
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森の中は薄暗かった。
木々が密集し、地面は湿った落ち葉で覆われている。
獣道がいくつか交差しているが、その中に――新しい足跡。
馬の蹄。革靴。
カイルの一行だ。
足跡を追って十分。
声が聞こえた。
「――こっちだ! あっちに行ったぞ!」
「カイル様、待ってください! 陣形が――」
「陣形などいらん! 勇者の剣は一対一でこそ輝く!」
輝かない。陣形は組め。
アルレンは木の影から状況を確認した。
カイルが剣を抜いて走り回っている。
従者たちが必死に追いかけている。
その先に――魔狼が二匹。
カイルの剣が振り下ろされた。
フォームは綺麗だ。教科書通りの斬撃。
だが、遅い。
魔狼が横に跳んでかわす。
カイルの剣が空を斬り、勢い余って木に刺さった。
「くっ……! 抜けない!」
剣が木に刺さって抜けない勇者。
吟遊詩人は書けないだろう、これは。
従者たちが前に出て魔狼を牽制する。
だが装備が儀礼用だ。剣が軽すぎて、魔狼の毛皮に弾かれる。
「ぐああっ!」
従者の一人が爪で弾き飛ばされた。
血が出ている。深くはないが、戦闘不能だ。
まずい。
アルレンは木の影から出た。
一匹目の魔狼の背後に回る。
気配を消す必要もない。魔狼はカイルたちに集中している。
欠片を振り下ろす。
首の付け根。一撃。
音もなく崩れた。
二匹目が振り向く。
遅い。
欠片が横薙ぎに入り、魔狼の胴を叩いた。吹き飛んで木に激突し、動かなくなった。
カイルが剣をようやく引き抜いて振り向いた時、魔狼は二匹とも倒れていた。
「……え?」
カイルが目を瞬かせる。
「倒れて……誰が……?」
従者たちも呆然としている。
アルレンは既に木の影に戻っていた。
見られていない。たぶん。
「カイル様! 魔狼が倒れています!」
「……ふ、ふん。当然だ。俺の気迫に怯えたのだろう」
気迫。
気迫で魔狼は死なない。
だがカイルは三秒で自分を納得させたらしく、剣を掲げた。
「見たか! これが勇者の力だ!」
従者たちが微妙な顔で拍手した。
全員、何が起きたか分かっていない。でも分かっていないからこそ、勇者の言葉を信じるしかない。
アルレンは森の奥に目を向けた。
魔狼二匹は片付いた。
だが、エリスが言っていた「大きいの」がまだいる。
木の幹に残る爪痕。
魔狼のものより深い。幅が倍。
魔熊は近い。
カイルが意気揚々と森の奥へ進んでいく。
「さあ、次だ! この森の魔物を一掃してやる!」
……行くのか。
アルレンは小さくため息をついて、影のまま後を追った。
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魔熊は、森の奥の沢にいた。
体長は馬二頭分。黒い毛皮の下で魔力が渦巻いている。
前足の爪は鉄を裂く。一撃で岩を砕く。
カイルが立ち止まった。
顔が青い。
「……で、でかいな」
「カ、カイル様……あれは……」
「分かっている! 勇者として、退くわけにはいかない!」
退け。本気で退け。
カイルが剣を構えた。
正眼の構え。形は完璧だ。
だが、足が震えている。
魔熊が咆哮した。
衝撃波で木の葉が吹き飛ぶ。従者たちが腰を抜かした。
カイルだけは立っていた。
それは認める。根性だけは、ある。
だが根性で魔熊は倒せない。
魔熊が突進した。
カイルが斬りつける。
レプリカの聖剣が魔熊の前足に当たり――弾かれた。
金属の悲鳴。
剣にひびが入っている。
「なっ……聖剣が……!」
聖剣じゃない。金メッキの精錬鋼だ。
魔熊の前足が振り下ろされる。
間に合わない。カイルの反応速度では、あの一撃をかわせない。
アルレンは木の影から飛び出した。
一歩で距離を詰め、カイルの襟首を掴んで引き倒す。
同時に、欠片を魔熊の前足に叩きつけた。
轟音。
魔熊の前足が横に逸れる。
地面が陥没した。カイルがいた場所が、拳大の穴になっている。
「がっ……!?」
カイルが地面に転がりながら、目を見開いた。
「き、君は……! あの護衛の……!」
アルレンは答えなかった。
魔熊が怒りの咆哮を上げる。
二撃目。
アルレンは正面から受けた。
欠片を盾のように構え、前足を弾く。
オリハルコンと魔力強化された爪がぶつかり、火花が散った。
三歩下がる。
地面に溝ができる。
「……重いな」
独り言だ。
感想にしては淡白すぎた。
アルレンが踏み込む。
一歩。
欠片を魔熊の顎の下から突き上げた。
衝撃が森を揺らした。
魔熊の巨体が持ち上がり、そのまま後方に倒れる。
地響き。
動かなくなった。
静寂。
カイルが地面に座り込んだまま、口を開けていた。
従者たちも同じ顔だ。
「……な……」
アルレンは欠片を腰に戻した。
「怪我人の手当てを。従者が一人、腕を切ってる」
「あ……ああ……」
カイルの声が上ずっている。
目が泳いでいた。
何が起きたのか、理解が追いついていない顔だ。
アルレンは踵を返した。
「待て!」
カイルが叫んだ。
「君は……何者だ。あんな化け物を、一撃で……」
「通りすがりの護衛だ」
「嘘だ! あの動き、あの力……ただの護衛じゃない! 名を名乗れ!」
アルレンは振り向かなかった。
「……名乗るほどの者じゃない」
木々の間に消える。
カイルは地面に座ったまま、しばらく動けなかった。
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宿に戻ると、エリスがベッドの上で本を読んでいた。
どこから調達したのか知らないが、たぶん宿の棚から勝手に借りている。
「遅い。昼ごはん」
「……魔熊がいた」
「知ってる」
ページをめくる手が止まらない。
「あのゴミは?」
「生きてる」
「そう。まあ死なれても寝覚めが悪いしね」
エリスが本から目を上げた。
「で、お腹空いたんでしょ」
「……まあ」
「なら買ってきなさい。市場で。私の分も。あとデザート」
「お前の分も」
「当然でしょ。駄犬の飼い主が空腹じゃ困るのよ」
飼い主。
いつの間にか飼い主になっている。
アルレンは財布を手に取り、部屋を出ようとした。
「……駄犬」
「なんだ」
「お疲れ」
振り向くと、エリスは本に目を戻していた。
表情は見えない。
四文字。たった四文字。
この女からその言葉が出ること自体が、たぶん奇跡に近い。
「……ああ」
アルレンは部屋を出た。
市場で肉まんを四つ買った。
エリスの分は二つだが、一つは自分が食べられないことを、もう学習している。
――面倒な女だ。
でも、「お疲れ」の四文字で、魔熊の疲労がだいぶ飛んだのは、たぶん気のせいだ。
たぶん。




