表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

40/46

第40話 断っていい

翌朝。


エリスは正午まで眠っていた。


魔力の枯渇からの回復には時間がかかる。

俺は宿の食堂で朝食を済ませ、部屋に戻って椅子に座っていた。


エリスの寝顔を見ながら、一晩で考えたことを整理していた。


巡礼。

七つの柱を見て回る旅。

これからの数年——あるいは、それ以上。


エリスが選んだ。

俺はそれに付き合う。


それだけだ。

それだけのはずだ。


でも、心の中で何かが落ち着かない。

言葉にしにくい何か。

たぶん、エリスがまた使い潰されるのではないか、という不安。


「使い潰される」と言うと、エリス自身は反論するだろう。

「私が選んだ」と言うはずだ。


でも、誰かのために自分を削ること。

それが正しい選択だとしても——

完全には、納得できない部分が、俺の中にある。


---


正午過ぎ、エリスが目を覚ました。


「……お腹空いた」


第一声がそれだった。

普段通りの、安心する第一声。


「飯、買ってくる」


「ヘルガの所には?」


「夕方に。お前が起きるまで待つって伝えてある」


エリスが頷いた。

ベッドから起き上がろうとして、ふらついた。


「……まだ無理ね」


「寝てろ」


「食べてから寝るわよ」


「了解」


市場で温かいスープと焼きたてのパンを買ってきた。

エリスは半分ほど食べて、また眠りに落ちた。


魔力の回復には食事も重要だ。

量は食べられないが、エネルギーが必要なのだ。


---


夕方。


エリスが目を覚まして、立てるくらいまで回復した。

二人で神殿に向かった。


ヘルガは、神殿の入口で待っていた。

昨日と同じ白い毛皮の旅装。


「来てくれてありがとう」


ヘルガが頭を下げた。

深く。一礼の長さが、感謝の重さを物語っていた。


「ヴァルクハイムを、救ってくれた。本当に」


「礼はいいって言ったでしょ」


エリスが軽くいなした。


「言ったわね。でも、言わせてほしい。住民の代わりに」


ヘルガが顔を上げた。

青い瞳が、エリスを真っ直ぐに見ていた。


「あなたを誤解していた。あなたは責任を放棄したのではなく、別の形で果たそうとしていた」


エリスが目を伏せた。


「……勝手に解釈しないでよ。私は応急処置をしただけ」


「それでも」


ヘルガが続けた。


「あなたは、自分の意志で柱を修復した。誰かに強制されたのではなく、自分で選んで」


「……」


「それは、十年前のあなたにはできなかったことよ」


エリスの肩が、僅かに揺れた。


ヘルガが俺を見た。


「アルレン」


「ああ」


「彼を……大切に。彼があなたを支えている」


エリスが顔を背けた。

銀髪が顔を隠す。


「……勝手に言わないで」


声が小さかった。


ヘルガが微笑んだ。

昨日初めて見た、温度のある笑い。


「あなたたち二人を信じてる。巡礼の旅の無事を祈ります」


「……ありがとう」


エリスが、消え入りそうな声で言った。


---


ヘルガから、巡礼の地図を渡された。

七つの柱の所在地が記されている。北の柱は確認済み。

王国の柱は折れているので実質、残り五つ。


「次の柱は、東の山脈にあるわ」


ヘルガが地図の一点を指した。


「東の山脈の、地下深く。守り手は——リーフ。年配の男性。少し変わってる」


「変わってるって?」


「会えば分かる」


ヘルガは詳しく説明しなかった。

笑いながら言ったので、悪い意味ではないらしい。


「リーフには、私から先触れを送っておく。氷の使者を飛ばすから、3日後には到着する」


「便利な使者ね」


「守り手同士の連絡網があるの。本来は、あなたも王国時代に使えるはずだった」


エリスが目を見開いた。


「使えなかったのは——」


「宰相が、あなたを孤立させていたから。連絡網の存在自体を、あなたに教えなかった」


エリスが拳を握った。

怒りが、また少し熱を持っていた。


「……ヘルガさん」


「何」


「巡礼の旅が終わったら——」


「いいえ。終わらないかもしれない」


ヘルガが先に言った。


「柱の維持は、守り手の生涯の務め。終わりはない。あなたが選んだ以上、それは」


「……分かってます」


「でも、一つ言わせて」


ヘルガが、エリスの肩に手を置いた。


「無理はしないで。あなたは、応急処置だけでいい。完全な維持を引き受ける必要はない。守り手の本義は、自分の柱を守ることよ」


「私の柱は、もう」


「あなたの柱は折れた。だからあなたは、自由に動ける守り手。各地を巡って、応急処置を施す。それで十分」


それが、ヘルガなりのエリスへの優しさだった。


「……ありがとう」


エリスが目を伏せた。


---


神殿を出た。


雪は止んでいた。

夕焼けが、雪原を赤く染めている。


二人で、宿への道を歩いた。


エリスは黙っていた。

俺も黙っていた。


途中、エリスが立ち止まった。


「……駄犬」


「なんだ」


「ねえ、私……」


エリスが言葉を探していた。


「私、また結界の修復を頼まれたら、どうしたらいい?」


問いかけだった。


俺は、考えた。


昨夜から考えていたことだった。


「……断っていい」


「え?」


「断っていい。お前はもう聖女じゃない」


エリスが目を見開いた。


「でも、断ったら——」


「困る人がいる。分かってる」


「それなのに、断っていいって」


「困る人を助けるかどうかは、お前が決めろ」


エリスが、口を開きかけて、閉じた。


「“聖女だから助けるべき”じゃない。“昔そうだったから助けるべき”でもない」


俺は続けた。


「お前が、“自分がそうしたい”と思った時だけ、助けろ。思わなかった時は、断っていい。誰にも責められる筋合いはない」


エリスの目が揺れた。


「……でも、断ったら、誰かが死ぬかもしれない」


「ああ」


「それでも、断っていいの?」


「断っていい」


「……」


「世界を救う義務は、お前にはない。お前は十四歳で連れて行かれて、十年間使い潰された。もう十分すぎるくらい働いた」


ヘルガが昨日言った言葉と、似た言葉になった。


「もちろん、お前が”今度は自分の意志で世界を救いたい”と思ったなら、それは支持する。でも、義務感や罪悪感で動くなら——断っていい」


エリスが俯いた。

銀髪が顔を隠す。


しばらく、沈黙が続いた。


雪原に、夕日が沈んでいく。

赤い光が、二人の影を長く伸ばしていた。


エリスが、ぽつりと言った。


「……十年間、誰も言ってくれなかった」


「何を」


「断っていい、って」


声が、震えていた。


「みんな、“聖女様、お願いします”って言うばかりで。“嫌なら断っていい”って、誰一人言わなかった」


「……」


「断れる、って思ったことすら、なかった」


エリスが顔を上げた。

紫の瞳に、夕日が映っている。涙ではない。光だ。


「……ありがと、駄犬」


「ああ」


「あんた、本当に……」


エリスが言いかけて、止めた。


「……何でもない。歩くわよ。寒い」


「了解」


二人で、また歩き出した。


少し前を歩くエリスの背中に、夕日が当たっている。

銀髪が、赤く染まっている。


その背中は、昨日より少しだけ——軽く見えた。


---


宿に戻って、夕食を済ませた。


エリスがベッドの端に座って、足をぶらぶらさせていた。


「明日、東に発つわよ」


「了解」


「東の山脈までは、三週間くらい?」


「地図によるとな」


「長いわね」


「長いな」


「途中、温泉あるかしら」


「探すか」


「探すのよ。当然でしょ」


巡礼の旅でも、温泉の優先順位は変わらない。

この女のブレなさは、たぶん長所だ。


「……駄犬」


「なんだ」


「“自分がそうしたいから”」


「うん」


「私、北の柱を修復したのは——」


エリスが言葉を切った。


「……たぶん、ヘルガが死ぬのを見たくなかったから」


「ああ」


「義務じゃなくて、嫌だったから。だから、やった」


「……それでいい」


「これからも、そう? 嫌だから助ける、っていう動機で」


「いい動機だ。聖女より、よっぽど人間らしい」


エリスが、小さく笑った。


「……人間らしいって、初めて言われた」


「そうか」


「うん。聖女様じゃなくて、人間。……悪くない響きね」


エリスが毛布を被った。


「寝るわ。明日、早いんだから」


「ああ」


「おやすみ、駄犬」


「おやすみ」


しばらくして、寝息が聞こえた。


窓を見た。

雪は止んでいる。明日は晴れそうだ。


エリスは選んだ。

「自分がそうしたいから」助ける、と。


それは、義務ではない。

強制ではない。


選択だ。

自分の意志による、選択。


それを掴むのに、十年以上かかった。


でも——掴んだ。


俺は椅子に深く腰掛けて、目を閉じた。


明日から、東への旅。

新しい柱。新しい守り手。

そして、まだ見えない未来。


面倒だ。

全部面倒だ。


でも——「面倒」と言える日々が続くなら、それで十分だ。


エリスの寝息を聞きながら、目を閉じた。


雪国の夜は、静かだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ