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第39話 守護者の暴走

夜中。


エリスは結局、寝ていなかった。


俺もベッドに入らず、椅子に座っていた。

何を言うべきか、何を言うべきでないか。考えても答えが出ない。


エリスは窓辺に立ち、雪の降る街を見下ろしていた。


時間だけが過ぎていく。


---


明け方、街が揺れた。


地震ではない。

壁が、空気が、震えた。

魔力の脈動。それも、巨大な。


エリスがすぐに反応した。


「……来た」


「何が」


「分からない。でも、悪い方の何か」


宿の外から、悲鳴が聞こえ始めた。


街の住民が起き出している。

窓を開けると——北の山の方に、青白い光が見えた。


巨大な光。氷の柱の方角だ。


「……ヘルガの柱」


「何かが、起きてる」


階段を駆け下りて、宿を出た。

雪の街路に飛び出した瞬間、神殿の方からヘルガが走ってきていた。


「アルレン! エリス!」


息が乱れている。

顔色が、昨日より遥かに青い。


「柱を守る守護者が——暴走を始めた」


「守護者?」


「氷の柱の守護者。柱の弱体化が限界を超えて、制御が利かなくなった。山の中で、暴れ出してる」


エリスが目を見開いた。


「街に向かってくる?」


「……向かってくる。あと一時間で、ヴァルクハイムに到達する」


ヴァルクハイム。

人口二十万。子供。老人。逃げきれない人間が大勢いる。


「私の魔力では、抑えきれない。柱が弱り切ってる今、守護者を制御する余裕がない」


ヘルガの声が震えていた。


「お願い。協力して」


頭を下げた。

昨日の冷静なヘルガとは、別人のようだった。


エリスがアルレンを見た。


俺は頷いた。

言葉はいらない。


「行く」


「……ありがとう」


ヘルガが顔を上げた。


「街の避難誘導は、私が指揮する。守護者の足止めは——」


「俺がやる」


「アルレン、無理よ! あれは古代の守護者よ。氷で出来た巨人。強さは飛竜と比べ物にならないわ」


「やる」


ヘルガが口を閉じた。


「……分かった。一人で抑えきれなかったら、合図して。エリス、あなたは——」


「私は柱の所に行く」


エリスが言った。

迷いのない声だった。


俺もヘルガも、エリスを見た。


「……エリス」


「アルレンが守護者を抑えてる間に、私が柱を修復する。守護者は柱の状態に連動してるんでしょ? 柱が安定すれば、守護者も鎮静化する」


ヘルガが息を呑んだ。


「修復するの……?」


「応急処置よ」


エリスが言い切った。


「完全な修復じゃない。守護者を止めるための、最低限の安定化。それだけ」


「……それでも」


「決めたの。今、決めた。だから、これ以上は何も言わないで」


ヘルガが頷いた。


「分かったわ。私は街の避難を。あなたは柱を。アルレンは——」


「時間を稼ぐ。何時間でも」


「お願い」


三人が、それぞれの方向に動き出した。


---


街を出て、雪原に飛び出した。


二時間かかると言われた距離を、走って三十分で詰めた。

普通の人間には不可能な速度。だが、肉体強化を全開にすれば可能だ。


山が見えてきた。

柱がある洞窟の方向ではない。山の南斜面——ヴァルクハイムに向かって、何かが進んでいた。


巨大な影。


氷の巨人。

身長は十メートル以上。透明な氷の体。内部に青白い魔力が脈動している。

脚を一歩動かすたびに、雪原が陥没する。


これが——守護者。


守護者が、こちらに気づいた。

氷の頭が回転し、こちらを見下ろした。

光る瞳。何かを判断しているのではない。本能だけで動いている状態だ。


巨大な腕が振り上げられた。


来た。


避けない。

真正面から、欠片を構えた。


腕が振り下ろされる。


地面ごと砕く一撃。


下から、欠片を振り上げた。


オリハルコンと氷の腕が激突した。


衝撃波が雪原に広がる。

雪が放射状に吹き飛んだ。半径二十メートルが、地面まで露出した。


巨人の腕は——折れなかった。


弾いた。だが、相手の腕は無傷だ。

氷の硬度が、想像以上だった。古代の守護者だけある。普通の魔獣とは別物だ。


両足が雪原にめり込んでいた。

膝までめり込んだ足を、力ずくで引き抜く。


二撃目。今度は横薙ぎ。腕全体を振り回す。

屈んでかわした。頭上を巨大な氷の腕が通過する。風圧で雪が舞い上がる。


反撃の隙はない。

守護者が即座に三撃目。踏み潰しに来る。

横にステップで離脱。


「……重い」


独り言だった。


普通の魔獣なら、一撃目を弾いた時点で形勢が決まる。

だが、こいつは弾いても無傷。

ということは、削る戦いになる。


時間がかかる。


「……エリス、頼む」


呟いて、欠片を握り直した。


足を稼ぐ。

手数を稼ぐ。

時間を稼ぐ。


エリスが柱を修復するまで。


それまで——立ってればいい。


---


戦闘は、続いた。


何分経ったか分からない。

体感では十五分。実際には三十分かもしれない。


肩を切られた。

氷の破片が、戦闘中に弾けて頬をかすめた。

脚を踏みつけられかけて、紙一重で離脱した。雪原のひびを、足が踏み外しかけた。


それでも、立っていた。


守護者の腕に何度も欠片を叩き込んだ。

表面に、僅かなひびが入り始めた。

オリハルコンでの攻撃は、確実に効いている。

だが、足りない。

これだけでは、倒すまで一時間以上かかる。


時間を稼ぐだけでいい。

倒さなくていい。


そう自分に言い聞かせた。


肩で息をしていた。

肉体強化を全開で維持するのは、消耗が激しい。


守護者が、また腕を振り上げた。


その瞬間。


魔力が走った。


雪原全体が——青白く光った。


守護者の動きが、止まった。


腕が、空中で停止する。


体内の魔力の脈動が、急速に変化していく。

不規則な暴走から、規則的な脈動へ。


エリスが——柱を、安定させた。


守護者の瞳から、暴走の光が消えていった。

代わりに、穏やかな青い光が灯った。


巨人が、ゆっくりと膝をついた。


そして——眠るように、雪原に倒れた。


地響き。


完全に動かなくなった。


息を吐いた。

長い息だった。


膝に手をついて、雪の上に座り込んだ。


「…………」


肩の傷から血が流れていた。

全身の筋肉が、悲鳴を上げている。


だが——終わった。


街の方を見た。

雪原の彼方、街は無事だった。

青い光は消えている。


ヴァルクハイムは、守られた。


---


一時間後。


雪原を歩いて戻った。

歩くしかなかった。走る力は、もう残っていない。


ヘルガが街の入口で待っていた。

エリスもいた。


エリスが俺を見つけると、駆け出した。


雪原を、転びかけながら。


「駄犬!」


声が震えていた。


ぶつかってきた。


「……無事?」


「無事だ。まあ、肩が切れてるけど」


「すぐ治す」


エリスが指先に魔力を集めた。

傷口に手を当てる。


魔力が、いつもより細い。

枯渇している。柱の修復で、ほとんど使い切ったのだ。


「……後でいい。お前、休め」


「黙って」


エリスが押し切った。


肩の傷が、ゆっくりと塞がった。

時間がかかった。今のエリスの魔力では、これが限界だった。


治癒が終わると、エリスがふらついた。

慌てて支えた。


「……立てない」


「分かった」


抱え上げた。

細い体だった。羽根のように軽い。


エリスは抵抗しなかった。

俺の肩に頭を預けて、目を閉じた。


「……柱、修復した」


「ああ」


「応急処置だけど。半年は保つ。それ以上は——分からない」


「ああ」


「……自分で、決めたの」


「知ってる」


エリスが小さく頷いた。


そして、それ以上何も言わなかった。


---


ヘルガが俺たちに駆け寄ってきた。


「……アルレン、エリス。本当に——」


「礼はいい」


エリスが目を閉じたまま言った。


「修復は応急処置よ。完全じゃない。半年で、また弱り始める」


「分かってる」


「私は……巡礼に出ようと思ってる」


ヘルガが目を見開いた。


「巡礼?」


「七つの柱を全部、見て回る。状況を確認する。修復が必要なら、修復する」


「……あなた一人で?」


「一人じゃないわ」


エリスが目を開けた。


「この駄犬がいる」


ヘルガが、俺を見た。


「アルレン、あなたは」


「ついていく」


「……理由は」


「お前が前に言っただろ。“彼女に、あなたがいてよかった”と」


ヘルガが、初めて笑った。


冷たくない笑みだった。


「……いい男ね」


「よく言われる」


「よく言われない」


エリスが目を閉じたまま言った。


「うるさい。私には言われてないって意味でしょ。間違ってないからいいけど」


ヘルガが、小さく吹き出した。


---


街に戻った。


エリスを宿のベッドに寝かせた。

すぐに寝息が聞こえた。


部屋の暖炉の前に座った。


肩はまだ少し痛む。だが、傷は塞がっている。

全身の疲労はあるが、致命傷ではない。


エリスが選んだ。

修復を、自分で選んだ。


そして——巡礼に出ると言った。

七つの柱を見て回る、と。


「終の棲家」を探すだけの旅じゃない。

世界の結界を維持するための旅。


選択肢を与えられなかった女が、選択を引き受けた。

それは、自由の対極にも見える。


でも——違う。


選んだのだ。エリスが、自分で。


「聖女だから」じゃない。

「義務だから」でもない。


「自分がそうしたいから」やる。


それが、本当の自由だ。

誰かに強制されることがない自由ではなく——選んだ責任を、自分で背負う自由。


エリスは、それを掴んだ。


俺は——その隣にいる。


それだけのことだ。


エリスが寝返りを打った。

銀髪が枕に広がる。


明日からの旅は、これまでとは違う。

温泉を探すだけじゃ、終わらない。


でも、隣で寝ているこの女が「行く」と言うなら、行く。


それが、俺の選んだ答えだ。


雪が、また静かに降っていた。

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