第30話 金ピカ、海底に立つ
翌日。
壁画の情報を整理するため、もう一度神殿に潜ることにした。
「昨日読み切れなかった碑文がまだある。特に七つの柱の座標情報。あれがないと、残りの柱の位置が特定できないわ」
「了解。ヨルクに船を出してもらう」
「あと、壁画の模写もしたいの。紙と筆を買ってきて」
「了解」
「あと朝ごはん。市場で焼き魚。塩がきいたやつ」
注文が多い。
港に行くと、ヨルクが船の準備をしていた。
「おう、兄ちゃん。今日も潜るのか」
「ああ。悪いが——」
言いかけた時、港の反対側から声が響いた。
「見つけたぞ!」
嫌な声だった。
聞き覚えがある。聞きたくない。
港の端に、見覚えのある船が停泊していた。
白い帆。金の刺繍。船首の勇者紋章。
タラップを駆け下りてくる、金髪碧眼の男。
「……お前、まだこの辺りにいたのか」
「当然だ! 前回この町を発った後、次の港で遺跡の噂を聞いてな。古代遺跡がこの沖にあるという話じゃないか! 勇者として調査するのは俺の義務だ!」
義務ではない。
「海底の遺跡だぞ。どうやって潜るつもりだ」
「ふっ。勇者を甘く見るな。水中呼吸の魔道具くらい持っている!」
腰に小さな青い石がぶら下がっていた。魔道具か。金にものを言わせたな。
エリスが宿から出てきた。
金ピカの声は港中に響く。聞こえないはずがない。
「…………」
無言だった。
“表”に切り替える気力もないらしい。昨夜から壁画の情報整理で寝ていない。
「エリスさん! お久しぶりです! 今回は俺も遺跡の調査を——」
「ついてこないで」
“裏”で一刀両断された。
カイルが固まった。
「え……あの……」
「邪魔なの。学術調査に素人が来ると足を引っ張るだけよ」
「し、素人って……俺は勇者——」
「勇者なら町で町民の安全でも守っていなさい。遺跡は私たちがやるから」
エリスがヨルクの船に乗り込んだ。
背中が「話は終わり」と語っている。
カイルがこちらを見た。
助けを求める目だ。
「……止めても無駄だぞ。あの状態のエリスは」
「そ、そんな……」
カイルの肩が落ちた。
だが、五秒後には拳を握り締めていた。
「……待っていろ。俺は俺の船で行く。勇者として、独自に調査する!」
独自に。
嫌な予感しかしない。
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ヨルクの船で沖に出た。
後ろから、カイルの白い船がついてきている。
「……あいつ、ついてくるわよ」
「分かってる」
「止めないの?」
「止める方法がない。海は誰のものでもない」
「……面倒ね」
面倒だ。同感だ。
海底神殿に到着。
昨日と同じ手順で潜入する。門はエリスの魔力で開く。
内部に入り、大広間へ向かった。
エリスが壁画の前にしゃがみ込み、碑文の模写を始めた。
紙に筆で、古代語を一文字ずつ写していく。集中している。話しかけるな、という空気だ。
俺は大広間の入口に立って、見張りをしていた。
静かだ。
昨日と同じ千年の沈黙。
――が、それは十分で破られた。
入口の方から、足音がした。
複数。二つは革靴。一つは金属の靴。
昨日開けた門は、閉まりきっていなかったのか。あるいは、エリスの魔力が残っていて再び開いたのか。
どちらにしろ、門から内部は海水が排除されている。門まで辿り着ければ、泳げなくても中には入れる。
「カイル様、危ないですよ! こっちの床が……」
「大丈夫だ! 俺を誰だと——うわっ!?」
どさっ。
落とし穴だ。
昨日エリスが解除した罠とは別の、裏口側の罠に引っかかたらしい。
「カイル様ーっ!」
従者の悲鳴が通路に反響した。
エリスの筆が止まった。
「…………何の音?」
「金ピカが落ちた」
「…………」
エリスが目を閉じた。
深呼吸した。
もう一度目を開けた。
「……助けに行きなさい、駄犬」
「了解」
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落とし穴は、通路の裏口から三番目の部屋にあった。
深さは二メートルほど。底に水が溜まっている。
カイルが腰まで水に浸かって、もがいていた。鎧が重くて這い上がれないらしい。
「た、助けてくれ!」
「…………」
手を伸ばして引き上げた。
片手で十分だった。鎧ごと持ち上げると、カイルは陸揚げされた魚みたいに床に転がった。
「ぐはっ……助かった……」
従者が二人、穴の向こうで立ち往生している。
「お前ら、そこで待ってろ。床の罠が他にもあるかもしれん」
「は、はい……」
従者は素直だ。主人と違って。
カイルが立ち上がった。
鎧からぼたぼた水が滴っている。白マントが泥水に染まっている。
「……情けない姿だな」
「うるさい。不意打ちだったんだ。罠と分かっていれば——」
「分かってても落ちただろ」
否定しないところに、この男の正直さがある。
「とにかく来るな。この遺跡には罠が多い。お前では——」
「断る! 俺は勇者として——」
カイルが一歩踏み出した。
床の石板が沈んだ。
壁から石の矢が飛んだ。
「うわああっ!?」
カイルが床に伏せた。矢が頭上を通過する。
鎧の飾りの宝石が一つ、矢に弾かれて転がっていった。
「……だから言っただろ」
「こ、これは不可抗力だ……」
不可抗力ではない。不注意だ。
カイルを引きずって大広間まで連れてきた。
エリスが振り向いた。
模写の手を止めて、カイルを見た。
水浸し。泥だらけ。宝石が一つ欠けた鎧。泣きそうな顔。
「…………」
「…………」
「……帰りなさい」
「帰らん!」
「帰れ」
「帰らん! この遺跡は勇者の管轄だ!」
「あなたの管轄はそこの落とし穴よ」
辛辣すぎる。
カイルが歯を食いしばった。
「俺だって……役に立ちたいんだ。遺跡の調査だろうが魔物退治だろうが——」
「ああそう。じゃあ触らないで。見てるだけにしなさい。何かに触ったら氷漬けにするわよ」
「……分かった」
カイルが大人しく壁際に座った。
珍しく、素直だ。水浸しになって心が折れたのかもしれない。
だが——座った瞬間、背中が壁の突起に触れた。
重い音がした。
床が震えた。
「…………何した」
「す、座っただけ……」
壁の突起は、スイッチだった。
大広間の奥の壁が、ゆっくりと開いていく。
隠し通路だ。
その奥から——足音。
重い。石と石がぶつかる音。
三つ。
暗闇の中に、光る目が六つ浮かんだ。
ゴーレム。三体。
「…………」
「…………」
「…………帰れって言ったでしょ!!」
エリスの絶叫が大広間に反響した。
カイルが壁際で青ざめている。
ゴーレムが動き出した。
石の腕が持ち上がる。古代の紋章が光る。守護者の起動だ。
「……面倒だな」
欠片を抜いた。
「面倒よ! 全部あの馬鹿のせいよ!」
「まあ、動き出したものは仕方ない」
「仕方なくない! 壁画の模写、まだ半分なのに!」
怒りの方向性がおかしい。
カイルが立ち上がった。
レプリカの聖剣を抜く。水浸しの鎧が、それでも微かに光を反射している。
「俺が……俺が倒す! 俺が起こしたんだから!」
カイルが走り出した。
「待て、カイル——」
遅い。
カイルがゴーレムに斬りかかった。
レプリカの聖剣を、渾身の力で振り下ろす。
フォームは綺麗だ。いつも通り。
刃がゴーレムの胴に当たった。
金属の悲鳴。
レプリカの聖剣が——砕けた。
根元から折れ、刀身が三つに割れて地面に散らばった。
金メッキの欠片が、古代の石床の上できらきら光っている。
カイルの手に残ったのは、柄だけだった。
「…………」
「…………」
「…………」
三人分の沈黙。
ゴーレムは止まっていない。腕が振り下ろされる。
「動け!」
カイルの襟首を掴んで引き倒した。
石の拳が、カイルがいた場所に叩きつけられる。床が陥没した。
カイルが地面に転がりながら、折れた柄を見つめていた。
「俺の……聖剣……」
レプリカだ。
だが、この男にとっては——勇者の証だった。
偽物でも。
「……立て。下がってろ」
「…………」
「立てって言ってる。死にたいのか」
カイルが顔を上げた。
目が呆然としている。戦意が消えている。
「壁際だ。動くな。触るな。何もするな」
カイルを壁際に押しやった。
振り向くと、エリスが模写の紙を丁寧に畳んで懐にしまっていた。
「……やるのか?」
「やるわよ。仕方ないでしょ」
エリスが立ち上がった。
紫の瞳に、光が灯る。
「ただし、壁画には傷一つつけないでよね。あれは千年の遺産なの」
「……善処する」
「善処じゃなくて確約しなさい」
ゴーレムの拳が迫っている中で確約を求められている。
「確約する」
「よろしい」
二人で、ゴーレムに向き直った。
三体。石の巨体。古代の守護者。
「……行くぞ」
「行くわよ。駄犬と魔女の共同作業、二回目ね」
一回目はない。
だが、エリスの口元が笑っている。戦闘前なのに。
――不思議な女だ。
こういう時が一番、楽しそうに見える。




