第28話 古代の門
神殿の内部は、想像していたより広かった。
中央の通路は幅が十歩分。天井は見上げても影が濃くて見えない。
柱の一本一本に彫刻が施されている。人の姿。獣の姿。
そして、手を掲げて光を放つ者たちの姿。
「……守り手ね」
エリスが柱の彫刻を指で辿った。
「結界を維持している姿だわ。この人たち、全員が守り手。何人もいる」
「一人じゃなかったのか」
「一つの柱に一人。でも時代が変われば、代替わりする。何世代もの守り手が、ここに刻まれてる」
何世代もの守り手が、自分の人生を結界に捧げてきた。
エリスもその末端にいた——ということだ。
「さ、奥に行くわよ。壁画があるはず。こういう神殿には必ず記録が残ってるの」
エリスの足取りが早い。
学術的な興味——もう建前を剥がす気もないらしい。目が完全に研究者だ。
通路を進む。
二十歩ほど歩いたところで、床の石板が沈んだ。
「——っ」
反射的にエリスの腕を掴んで引き寄せた。
壁から石の矢が飛んだ。
三本。通路を横切る軌道。さっきまで二人がいた場所を貫いている。
「…………」
「…………」
「……触らないでって言ったでしょ」
「死ぬぞ」
「死なないわよ。障壁を張る時間はあった」
あったかもしれない。だが、腕を引く方が早かった。
「……罠か」
「古代の防衛機構ね。侵入者を排除するための。こういうの、文献で読んだことはあるけど」
エリスが壁の石矢の射出口を調べた。
「魔力駆動よ。千年間、魔力が供給され続けてる。結界と同じ動力源ね」
千年動き続ける罠。厄介だ。
「解除できるか」
「できるわよ。……たぶん」
たぶん。
この女が「たぶん」と言う時は、九割できるが一割の不確定要素がある時だ。
エリスが床の石板に触れた。紫の光が流れ込む。
石板の下の術式を読み取っている。
「……なるほど。重量感知型。一定以上の重さが乗ると発動する。次からは私が先に歩くわ。あんたが踏むと確実に反応するから」
「俺が重いのか」
「あんたは筋肉の塊でしょ。普通の人間の倍はあるわよ」
否定できない。
以降、エリスが先行して床の罠を感知し、解除していく。
魔力で術式を読み、無効化するか、迂回路を探す。
「この術式、面白いわね。二重構造になってる。一層目を解除すると、二層目が発動する仕組み」
「面白がってる場合か」
「面白がらないとやってられないのよ。千年前の魔術師、相当性格が悪いわ」
お前が言うか。
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通路の先に、石の門があった。
巨大だ。高さが三人分。幅が五人分。
一枚岩を削り出したような門で、表面に古代語が刻まれている。
「何て書いてある」
「『力なき者は去れ。力ある者のみ、先に進むことを許す』」
力。
「……これは魔力の話じゃないわね」
「なんでそう思う」
「魔力なら”魔”の古代語が入るの。でもこの”力”は”勁“——肉体的な力を意味する古代語よ」
つまり、腕力で開けろということだ。
「お前の出番じゃないな」
「当然でしょ。私に力仕事をさせる気?」
門に手をかけた。
押してみる。動かない。
引いてみる。動かない。
「……硬いな」
「千年間閉まってたんだから当然でしょ」
力を込めた。
魔力を全身に回す。筋肉が膨張する。
両手で門を押す。
石が軋んだ。千年分の砂と苔が、接合部から落ちてくる。
「……動いた」
「もうちょっと上品にできないの? 遺跡が壊れるわ」
「上品に力仕事はできない」
「開けばいいのよ。ほら、もう少し」
さらに力を込める。
轟音。
石の門が、内側に倒れた。
床に激突して、神殿全体が揺れた。天井から砂が落ちてくる。
「…………」
「…………」
「……開けたぞ」
「開けたんじゃなくて壊したのよ。千年の遺跡を。駄犬が」
「扉として機能を果たしたからいいだろ」
「よくないわよ。学術的価値が——」
「お前さっき”開けばいい”って言った」
「…………言ったわね」
エリスが門の残骸を跨いで先に進んだ。
足元の石の欠片を蹴飛ばしている。八つ当たりだ。
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門の先は、小部屋の連続だった。
各部屋に、異なる罠と仕掛けが設置されている。
最初の部屋は、床一面が魔法陣になっていた。
踏むと足が石化する術式。エリスが上空に浮力の足場を作り、二人で空中を渡った。
「あんたを浮かせるの、すごい魔力使うんだから。感謝しなさい」
「ありがとう」
「素直に言われると調子が狂うわね」
次の部屋は、壁から刃が飛び出す仕掛け。
規則的なパターンがある。エリスが周期を読み、タイミングを合わせて駆け抜ける。
「三、二、一……今!」
走った。刃が背後で閉じる。風圧で髪が揺れた。
「ギリギリじゃない。もう少し早く走れないの」
「お前を抱えてるからだ」
「抱えてって言わないで。輸送よ。護衛対象の輸送」
言い方を変えても事実は変わらない。
三つ目の部屋は、天井が下がってくる仕掛け。古典的だ。
両手を上げて天井を受け止めた。石の天井が、全体重で押し潰しにかかってくる。
重い。だが、止められる。
「……早く通れ」
「あんた、それいつまで持つの」
「お前が通り終わるまでは持つ」
「根拠は」
「根性」
「根性って……もういいわ。行くわよ」
エリスが走り抜けた。
腕が限界に達する前に、体をずらして天井の下から転がり出た。
背後で石の天井が床に激突した。轟音。
「……ギリギリじゃない」
「通れたからいいだろ」
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四つ目の部屋を抜けた先に、大きな空間があった。
ここまでの小部屋とは規模が違う。大広間だ。
天井が高い。柱が左右に六本ずつ。正面の壁一面に——
「…………」
エリスの足が止まった。
壁画だ。
巨大な壁画が、正面の壁全体を覆っている。
色は褪せているが、描かれた内容は明確に読み取れる。
世界地図のような図。大陸と海。
その上に、七つの光点が描かれている。
光点から線が伸び、世界全体を覆う「網」を形成している。
盾だ。
世界を覆う、七つの光が支える巨大な盾。
「……これは……」
エリスの声が、掠れていた。
紫の瞳が壁画を映している。
手が震えている。
「ここの調査は明日以降にするか」
「……馬鹿言わないで。今、ここで、全部読むわよ」
震えているのに、目は壁画から離れない。
この女は、知りたいのだ。
自分が十年間維持してきたものの、本当の意味を。
「……了解。付き合う」
「当然でしょ。駄犬は黙ってそこに立ってなさい」
「立ってるだけでいいのか」
「……いるだけでいいの」
最後の一言だけ、少し声が小さかった。
いるだけでいい。
ここにいるだけでいい。
「……ああ。いる」
エリスが壁画に向き直った。
銀髪が古代の光に照らされて、紫に染まっている。
千年の沈黙が、今夜破られる。




