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第23話 聖女と子供と嘘の笑顔

事の発端は、エリスの祝福だった。


海辺の町でも旅費を稼ぐため、聖女のお仕事を始めた。

前の町と同じだ。机と椅子を並べ、“表”の笑顔で客を迎え、銅貨をいただく。


問題は、この町の客層だった。


「聖女おねえちゃん!」


子供だ。


「おねえちゃん、すごいの? 魔法使えるの?」


「え、ええ……少しだけ」


「見せて見せて!」


「お花つくって!」


「鳥! 鳥がいい!」


エリスの前に、子供が五人集まっていた。

市場の近くに机を出したのが間違いだった。

この町は漁師町で、昼間は子供が暇を持て余している。


エリスが指先を振った。

淡い光が舞い、小さな花の形になる。魔力で編んだ幻影だ。実体はないが、光は本物だ。


「わあー!」

「きれい!」

「もっと! もっとやって!」


エリスの”表”が全開になっている。

柔らかい笑顔、優しい声、慈愛の聖女。完璧だ。


だが、横で見ていると分かる。

こめかみに、微かな血管が浮いている。


「……大丈夫か」


小声で聞いた。


「大丈夫よ」


小声の”裏”が返ってきた。歯の隙間から搾り出すような声だった。


「子供の相手は想定外なの。大人なら三十分で終わるけど、子供は終わりがない」


終わりがない。

確かに子供たちは際限なく「もっと」を要求している。


「次は蝶!」

「ドラゴン!」

「ドラゴンは怖いからやだ!」

「じゃあ猫!」


「はいはい、順番にね。おねえちゃん、全部やってあげるからね」


“表”の声は完璧だ。

“裏”の目が「助けて」と言っている。


助けるべきか。

だが、子供たちの前でエリスの”裏”が出たら、町中が泣き叫ぶことになる。


ここは見守るしかない。


---


昼過ぎ。


子供たちは帰らなかった。

むしろ増えた。七人になっている。


エリスが魔力で作った光の動物園が、机の上で展開されていた。

猫、犬、鳥、蝶、魚。全部が光で編まれて、ちょこちょこ動いている。


「すごーい!」

「聖女おねえちゃん、大好き!」


エリスが微笑む。完璧な聖女の微笑み。


だが、俺にだけ見える位置で、左手の指がローブの裾をぎゅっと握っていた。


限界が近い。

魔力ではない。精神の方だ。


「おねえちゃん、明日も来てくれる?」


一番小さな女の子が、エリスの手を握って言った。


エリスの目が、一瞬だけ揺れた。


「……もちろん。おねえちゃん、明日も来るわ」


“表”の声だ。

でも、手を握り返す力が、少しだけ強かった。


---


夕方、子供たちがようやく帰っていった。


エリスが机に突っ伏した。


「…………疲れた」


「お疲れ」


「疲れたなんてもんじゃないわよ。暗殺部隊の方がまだ楽よ。あいつらは黙らせれば済むけど、子供は黙らせたら泣くの」


確かに、泣く子供は暗殺者より厄介かもしれない。


「……なんで断らなかった」


「断れるわけないでしょ。あの目で見られたら」


あの目。

子供特有の、疑いのない目。期待と信頼が混ざった、まっすぐな目。


「……あの子たち、私のことを”本物”だと思ってるのよ」


「本物?」


「本物の聖女。優しくて、綺麗で、なんでもしてくれるお姉ちゃん。……嘘なのに」


嘘。

“表”の笑顔は嘘で、“裏”の毒舌が本物だと、この女は思っている。


「嘘か?」


「嘘よ。私は優しくなんかない。あんたが一番知ってるでしょ」


「……ああ。お前は性格が最悪だ」


「でしょ。だから——」


「でも、あの子の手を握り返したのは嘘じゃないだろ」


エリスが顔を上げた。


「……見てたの」


「目の前にいたからな」


「…………」


エリスが顔を背けた。


「……あれは、条件反射よ。子供の手は小さいから、つい握っただけ」


条件反射で手を握り返す元聖女。

それは優しさとは呼ばないのだろうか。


「明日も来るって言ったな」


「……言ったわよ。だから何」


「何でもない。ただ、明日も机を出すなら、俺が子供の相手を手伝ってもいい」


「あんたが?」


「力仕事以外なら。肩車とか」


「子供を肩車したら天井に頭をぶつけるでしょ」


「外なら大丈夫だろ」


エリスが三秒ほど黙った。


「……勝手にしなさい」


許可が出た。


---



翌日。


子供たちが来た。昨日より多い。十人。

噂が広まったのだ。「聖女のおねえちゃんが、光の動物を見せてくれる」と。


いつもの笑顔を貼り付けた。

光の動物園は、昨日より豪華にしてある。新しく竜を追加した。

小さな光の竜が空を飛んでいる。


「ドラゴンだ!」

「かっこいー!」

「怖くない! 可愛い!」


子供たちの歓声が広場に響く。


駄犬は約束通り、子供の相手を手伝っていた。

肩車をしている。一人を肩に乗せると、周りの子供が「次は僕!」「私も!」と群がってきた。


三人同時に背中に乗られて、さすがに少しだけよろめいていた。

あの馬鹿力で飛竜を殴り倒す男が、子供三人の重さでよろめいている。


力加減の問題ではない。

子供を落とさないように慎重になりすぎて、体が硬くなっているのだ。


……不器用な男。


一番小さな女の子が、また私のところに来た。


「おねえちゃん、今日も来てくれた!」


「約束したもの」


「おねえちゃん、大好き!」


……困る。


こういうのが、一番困る。


「大好き」なんて、言われ慣れていない。

王国にいた時、誰も私に「大好き」とは言わなかった。

「聖女様」「ありがたい」「お慈悲を」。全部、役割に対する言葉だった。


この子は違う。

光の動物を見せてくれるおねえちゃんが好きなのだ。聖女だから好きなんじゃない。


……嘘の笑顔で作った関係なのに。


「おねえちゃん? どうしたの?」


「……何でもないわ。おねえちゃん、ちょっと風が目に入っただけ」


風は凪いでいる。自分でも苦しい言い訳だと分かっている。


「ほら、次は何がいい? うさぎ? お魚?」


「おほしさま!」


「お星様ね。じゃあ、特別に大きいの作ってあげる」


指先から、光が溢れた。

大きな星が空に浮かぶ。昼間の空に、紫の光で描いた星。


子供たちが一斉に歓声を上げた。


……嘘の笑顔だ。


でも、胸の奥が少しだけ温かいのは、何だろう。


分からない。分からないけど——嫌じゃない。


---



夕方。


子供たちが帰った後、エリスがベンチに座っていた。

疲れた顔をしている。だが、昨日ほどではない。


「……明日も来るわよ」


「聞いてないが」


「聞いてなくても来るの。約束したから」


誰に強制されたわけでもない。

王国の命令でもない。銅貨も貰っていない。


この女は、自分の意思で明日もここに来る。


「……なあ、エリス」


「何よ」


「あの笑顔、嘘じゃないかもしれないぞ」


「は?」


「子供の前の笑顔。“表”だと思ってるだろうけど、俺にはそう見えなかった」


エリスの目が見開かれた。


「……何言ってるの。あれは”表”よ。営業スマイルよ。いつものやつよ」


「そうか」


「そうよ」


「じゃあ、なんで泣きそうだったんだ。“大好き”って言われた時」


エリスが立ち上がった。


「泣いてない。風が入っただけ。駄犬は目が悪いんじゃないの」


「凪いでたぞ、今日」


「黙りなさい。駄犬に天気の話をしてない」


早足で宿に向かっていく。

背中が小さい。耳が赤い。


追いかけない。

追いかけたら、たぶん氷漬けにされる。


――あの笑顔が”表”だと思っているのは、エリス本人だけだ。


子供たちには見えていた。

俺にも見えていた。


あの光の星を作った時の顔は、“表”なんかじゃない。


ただ——本人に言っても、今はまだ受け取れないだろう。


だから、言わない。


明日も机を出す。

明日も子供が来る。

明日も、あの笑顔を見られる。


それで十分だ。

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