第22話 金ピカ、再び
海辺の町に着いて五日目。
穏やかな日々が続いていた。
朝は市場で魚を買い、昼は海を散歩し、夕方は宿の窓辺で夕日を見る。
エリスは毎日海に行くようになった。
フードは初日だけで、二日目からは被っていない。
「どうせバサバサになったし、もう手遅れよ」と開き直った。
銀髪が潮風に揺れている姿は、正直に言えば——
「何見てるの、駄犬」
「波」
「嘘」
この女は鋭い。
平和だった。
追手の気配もない。魔獣の兆候もない。
しかし、平和は長く続かないものだ。
港の方から、騒ぎが聞こえた。
「何事だ」
「さあ?行ってみればわかるわ」
市場を抜けて港に出ると、人だかりができていた。
その中心に——見覚えのある光があった。
白。金。銀。きらきら。
「…………」
「…………」
二人で顔を見合わせた。
「金ピカね」
「金ピカだな」
白い帆船が港に停泊していた。
帆に金の刺繍が入っている。船首に勇者の紋章。甲板の上で、金髪の男が仁王立ちしている。
「この町の皆さん! 聖剣の勇者カイル、ただいま到着しました!」
誰も呼んでいない。
カイルが颯爽とタラップを降りてくる。白マントが海風になびく。
従者が二人続く。一人は前回より新しい顔だ。人員を補充したらしい。
「あの……勇者様、何の御用で?」
町の人が恐る恐る聞いた。
「視察だ! 各地の町を回って、民の安全を確認するのが勇者の務め!」
嘘だ。
たぶん逃避行だ。
おおかた、王都で失敗でもして宰相に怒られた後、勝手に飛び出してきたのだろう。
あの男の行動パターンは読めるようになってきた。
「隠れるか」
「遅いわよ」
カイルの目が、こちらを捕捉していた。
「——エリスさん!?」
碧眼が輝いた。
全速力で駆け寄ってくる。従者を置き去りにして。
「まさかこんなところで再会できるとは! 運命だ!」
運命ではない。偶然だ。しかも最悪の偶然だ。
エリスが一瞬で”表”に切り替わった。
「カイル様……! お久しぶりです。まさかこの町にいらっしゃるなんて」
「ああ! 勇者として各地を巡っていたら、この美しい港町に導かれたのだ! そしてここで君に会えた。これは神の導きとしか——」
「神は関係ないと思うわよ」
小声の”裏”が俺にだけ聞こえた。
カイルがエリスの手を取ろうとした。
「エリスさん、今夜食事でもいかがですか! この町で一番良い店を予約しよう!」
「まあ、嬉しいです……でも」
エリスがちらりとこちらを見た。
“表”の中に、“裏”の計算が走っている。
「この方もご一緒でよろしいですか……?」
「護衛の? まあ……仕方ないが……」
カイルが渋い顔をしたが、エリスの微笑みの前に五秒で折れた。
「もちろん! 護衛の方もご一緒に!」
エリスが”表”の笑顔の裏で、小さく呟いた。
「今夜もタダ飯よ、駄犬」
この女の商魂は海を越えても変わらない。
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夕食は港が見える高台の食堂だった。
カイルが豪快に奢った。
魚の丸焼き、貝のスープ、焼きたてのパン、果物の盛り合わせ、ワイン。
一人前の値段は銀貨五枚。三人分で十五枚。
普通の食堂なら一人銅貨数枚で済むことを考えると、庶民の一ヶ月分の食費が一晩で消えた計算だ。
エリスは”表”の顔で「美味しいです」と微笑みながら、俺の三倍の量を平らげていた。
カイルはそれを「少食で可愛い」と評した。
目が節穴すぎる。
「エリスさん、この町にはいつまでいるんですか?」
「しばらくは……温泉を探していて」
「温泉! それなら私が探して差し上げましょう! 勇者の人脈で!」
「まあ、心強いです……」
嘘だ。期待していない目をしている。
食事が終わり、カイルがワインで気が大きくなっていた。
「エリスさん。ずっと言いたかったことがあるんです」
来た。
カイルが椅子から立ち上がった。
膝をつく。騎士の礼。前にも見た光景だ。
「私と一緒に王都へ帰りませんか。勇者の隣に、あなたのような方がいてくれたら——」
「カイル様」
エリスが遮った。“表”の声で、でもいつもより少しだけ冷たい。
「そのお気持ちは嬉しいのですが……私は、この旅を続けたいんです」
「しかし! こんな危険な旅を続けるよりも——」
「危険じゃないわよ」
“裏”が出た。
一瞬、空気が凍った。
エリスの目から慈愛が消え、紫の瞳がカイルを真っ直ぐに射抜いた。
「この男がいる限り、私は安全。あなたの心配は不要よ、金ピカ」
カイルの顔が固まった。
「き……金ピカ……?」
しまった、という顔をエリスがしていた。
“裏”が漏れた。
「あ、いえ……金色の鎧が、キラキラしていて……素敵だなと……」
取り繕いが雑すぎる。
カイルは「金ピカ」の衝撃から三秒で回復した。この男の精神力だけは認める。
「金色のキラキラ……! 気に入ってくれているのか! ならばもっと磨いて——」
「やめて。目が痛いから」
また”裏”が出た。
カイルの顔がくしゃっと歪んだ。
だが、五秒後にはもう笑顔に戻っている。
「エリスさんは照れ屋だな! 分かる! 私にはそれが分かるぞ!」
分かっていない。何一つ。
「……とにかく! この町にいる間は、私が君を守る!」
「間に合ってるわ」
「え?」
「間に合ってるって言ったの。通訳いる?」
完全に”裏”だった。
カイルが目を白黒させている。
従者たちが「もう帰りましょう」とカイルの腕を引っ張り始めた。
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食堂を出た後、カイルがなぜか俺に話しかけてきた。
「おい、護衛の男」
「……何だ」
「エリスさんは……幸せか?」
意外な質問だった。
カイルの目が、珍しく真剣だった。ワインの酔いが醒めたのか、碧眼に迷いがある。
「……少なくとも、不幸せではないと思う」
「そうか」
カイルが空を見上げた。星が出ている。
「……俺さ、勇者になった時、嬉しかったんだ。王国一の英雄だぞ。誰だって嬉しいだろ」
「……ああ」
「でも最近、思うんだ。俺が勇者になれたのは、前の勇者が追い出されたからだって。俺の手柄じゃない。誰かの不幸の上に立ってるだけだ」
カイルの声が、初めてまともに聞こえた。
演説の声でも、芝居の声でもない。ただの二十歳の青年の声。
「その前の勇者にさ、会ったことないんだ。どんなやつだったのか、王都じゃ誰も教えてくれない。まるで最初からいなかったみたいに扱われてる」
……それは、俺のことだ。
「でも、いたんだよな。確かに。俺の前に、聖剣を持って戦ってたやつが」
「……いたんだろうな」
他人事のように答えた。
そうするしかなかった。
カイルは知らない。
目の前の「護衛の男」が、自分が語っている「前の勇者」だということを。
なんとかしたいと思っても、会ったこともない相手に何ができるわけでもない。
それは本人も分かっているだろう。
でも、気にしている。
本人が目の前にいるとも知らずに。
「……金ピカ」
「金ピカって言うな。カイルだ」
「カイル」
名前で呼んだのは、初めてだった。
「あの女は大丈夫だ。俺がいる」
カイルが目を見開いた。
五秒ほど、こちらを見つめていた。
それから、ふっと笑った。
いつもの芝居がかった笑みではない。少しだけ寂しそうで、少しだけ安心したような笑い。
「……そうか。なら、いい」
カイルが背を向けた。
「覚えてろよ! 次こそは、エリスさんの隣は俺が——」
「帰れ」
「帰るとも! だが次に会う時は——」
従者に引きずられていった。
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宿に戻ると、エリスが窓辺で髪を梳いていた。
「遅い。何してたの」
「金ピカと話してた」
「あいつと? 何を?」
「……星が綺麗だな、って」
「男二人で星を見てたの? 気持ち悪いわね」
「まあ、そうだな」
気持ち悪い会話をしていたわけではないが、訂正する気もなかった。
「……ねえ駄犬」
「なんだ」
「あいつ、ちょっとだけ」
「うん」
「ちょっとだけよ? ほんのちょっと」
「ああ」
「……馬鹿だけど、悪い人間じゃないのかもね」
エリスにしては、最大級の譲歩だった。
「……そうだな」
「でもうるさいし、金ピカだし、邪魔だし、鎧が目に痛い」
「全部元に戻ったな」
「当然よ。ちょっとだけって言ったでしょ」
ちょっとだけ。
でも、ゼロじゃなかった。
――あのカイルも、少しずつ何かに近づいている。
たぶん、本人だけが気づいていない。




