第17話 夜襲
夜明け前に町を出た。
宿にいれば壁と屋根がある。だが、町にいれば住民が巻き添えになる。
暗殺部隊が来るなら、人のいない場所で迎え撃つ方がいい。
「……町を出るの?」
「ああ。こっちから誘い込む」
「わざわざ不利な場所で戦うの? 馬鹿じゃないの」
「町で戦う方がまずい。お前も分かってるだろ」
エリスは二秒ほど黙って、頷いた。
「……分かってるわよ。でも言っておくけど、私は戦わないからね」
「分かってる」
「あんた一人で全部やりなさい。駄犬でしょ」
「ああ」
西の街道を半刻ほど進んだところで、街道から逸れた。
森に入る。
木々が密集している。月明かりが届かない。視界は悪い。
だが、それでいい。
暗殺者は開けた場所より暗所を好む。こちらが森に入れば、向こうも追ってくる。
追ってきた先で潰す。
街道沿いの大木の根元に、エリスを座らせた。
「ここで待ってろ。街道からは見えないが、俺の声は届く距離だ」
「……一人で行くの」
「一人の方が動きやすい」
エリスが顔を上げた。
暗闇の中でも、紫の瞳が微かに光っている。
「……死んだら許さないわよ」
「死なない」
「根拠は」
「お前の荷物を持てるのは俺しかいないだろ」
エリスが小さく息を吐いた。
笑ったのか、呆れたのか。暗くて読めない。
「……行きなさい。さっさと片付けて戻ってくること」
「了解」
森の奥に、一人で踏み込んだ。
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暗い。
月は雲に隠れている。木々の隙間から漏れる光はほとんどない。
だが、目は慣れている。これくらいの暗闘は王国時代に叩き込まれた。
足音を消す。呼吸を整える。
欠片は抜かない。まだ。
五十歩進んだところで、匂いが変わった。
金属の油。
革の防具に塗る、消音用の油脂。一般的な兵士は使わない。暗殺者の装備だ。
いる。
何人か。
風向きから判断して、東側に二つ。南側に一つ。
三人以上。たぶん、もっといる。
足を止めた。
暗闇の中で、耳を澄ませる。
――左。
枝が軋む音。体重をかけた音ではない。枝に足が触れた瞬間にずらした音。訓練された足運び。
もう一つ。右後方。
こちらは音がしなかった。だが、空気が動いた。人が移動すれば、空気が揺れる。
包囲されている。
最低でも四人。木の上にもう一人いるかもしれない。
欠片を抜いた。
オリハルコンが暗闇で微かに光る。自分の位置を晒すことになるが、構わない。
こちらの位置は、とっくに知られている。
「――出てこい」
声を低く落とした。
森に反響する。
沈黙。
三秒。
殺気が動いた。
左。
闇の中から、黒い刃が飛んだ。投げナイフ。回転が速い。正確に喉を狙っている。
首を傾けてかわす。
刃が耳の横を通過し、背後の木に刺さった。柄まで埋まっている。異常な投擲力だ。
同時に、右後方から足音。
一人が飛び込んできた。短剣を逆手に持っている。首の動脈を狙う軌道。
欠片で受けた。
短剣がオリハルコンに当たり、火花が散る。暗闘に慣れた目には、閃光が痛い。
相手もひるんだ。
その隙に、欠片の腹で暗殺者の胴を叩いた。
吹き飛ぶ。木に激突して、そのまま動かなくなった。
一人目。
左から二人目が来た。こちらは正面から。長剣。一撃目は囮、二撃目が本命。
型がある。宰相直属の暗殺部隊だけあって、練度が高い。
一撃目をかわし、二撃目を欠片で弾いた。
手首を返して、相手の剣の腹を叩く。剣が手から離れた。
続けて蹴りを入れる。力加減を間違えないように。殺す必要はない。
暗殺者が吹き飛び、茂みに突っ込んだ。
二人目。
背後——上。
木の上にいた。
落下しながらの刺突。真上からの一撃は、正面の敵には死角になる。
だが、空気が動いた瞬間に気づいていた。
半歩横にずれる。
刃が肩をかすめた。布が裂ける音。皮膚が浅く切れた。
血が数滴、地面に落ちた。
暗殺者が着地した瞬間に、欠片を叩き込んだ。
横薙ぎ。腹。
鈍い音と共に、暗殺者が地面を転がった。
三人目。
残りは——
「やるな。さすがは元勇者か」
声がした。
東の木立の奥。残りの一人が、暗闘に紛れて動かずにいた。
足音が近づく。
こちらは隠れない。堂々と歩いてくる。
月が雲から出た。
薄い月光の中に、男が立っていた。
四十代。短い灰色の髪。顔に古い刀傷。
他の三人とは纏う空気が違う。
隊長格だ。
「宰相閣下からの命だ。聖女を引き渡せ。お前は見逃してやる」
「断る」
「即答か。話くらい聞いてもいいだろう」
「聞いた。断った」
隊長が薄く笑った。
感情のない笑みだ。仕事としてここにいる人間の顔だ。
「……お前を殺すつもりはなかった。本当に。宰相の目的は聖女だけだ」
「知ってる」
「知っていて、なお立ちはだかるのか」
「ああ」
「理由を聞いてもいいか」
「荷物持ちがいなくなると困る、と言われた」
隊長の眉が僅かに上がった。
「……冗談か」
「本人はたぶん本気だ」
沈黙。
隊長が腰の剣を抜いた。
刀身が黒い。光を反射しない特殊な塗装。暗殺用の剣だ。
「いいだろう。やるか」
来た。
速い。
カイルの倍。森の中で音を立てずに間合いを詰める技術。足運びが完璧だ。
黒い刃が横一文字に走る。
首を狙っている。正確に。迷いなく。
欠片で受ける。金属同士がぶつかる、重い音。
隊長の目が変わった。
「オリハルコン……折れた聖剣か」
「そうだ」
「噂は聞いていたが、まさかそんな欠片で戦うとはな」
二撃目。下段からの切り上げ。フェイントを挟んで三撃目が左から来る。
全部見えている。
暗殺者としては一流だ。だが、正面からの剣技では——届かない。
三撃目を弾き、踏み込んだ。
一歩で間合いを殺す。
隊長の目が見開かれた。反応は速い。剣を引いて防御に回そうとする。
遅い。
欠片の柄で、みぞおちを突いた。
声もなく、隊長が膝をついた。
剣が手から落ちる。
「……っ、ぐ……」
崩れ落ちた。意識はまだある。だが体が動かない。
横隔膜への衝撃。しばらくはまともに呼吸もできないだろう。
「殺しはしない。宰相に伝えろ」
隊長が地面に這いつくばったまま、こちらを見上げた。
「お前たちが何人来ても、あの女には触れさせない」
隊長の目が、暗闘の中でも分かるほどに揺れた。
恐怖ではない。
理解だ。自分たちでは勝てないという、明確な理解。
「…………了解した」
掠れた声だった。
隊長が地面に額をつけた。
降伏ではない。ただ、体が動かないだけだ。
森の中に、静寂が戻った。
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エリスのところに戻ったのは、夜明け直前だった。
大木の根元に、エリスが座っていた。
膝を抱えて、ローブに包まっている。
目が開いていた。
「……遅い」
「四人いた」
「知ってる。魔力の残滓で分かるわよ」
なら聞くな。
「怪我は」
「肩を少し切った。浅い」
エリスが立ち上がった。
無言で近づいてくる。
指先が、肩の傷に触れた。
淡い光。治癒魔法。
「……ちゃんと避けなさいよ、駄犬」
「避けたから浅い」
「浅くても切れてるじゃない」
声が尖っている。
怒っているのだ。傷が浅いことにではなく、傷があること自体に。
治癒が終わった。
指先が離れる。
「……四人とも、生かしたの」
「殺す必要はなかった」
「甘いわね」
「甘くていい。伝言係は生かしておく方が得だ」
エリスが目を細めた。
「……何て伝えたの」
「お前には触れさせない、と」
沈黙。
エリスの目が、一瞬だけ揺れた。
「…………馬鹿犬」
駄犬から馬鹿犬に変わった。
昇格なのか降格なのか、今回も分からない。
「帰るわよ。町に戻って朝ごはん。私、お腹空いたの」
「……今の流れで飯の話か」
「当然でしょ。空腹は全てに優先するのよ」
エリスが先に歩き出した。
足取りはしっかりしている。
だが、いつもより半歩だけ——距離が近い。
肩が触れそうなほど。
「……駄犬」
「なんだ」
「…………ありがと」
聞き間違いかもしれない。
夜明けの風に混じって、ほとんど消えかけた声だった。
振り向かなかった。
振り向いたら、たぶん、この女は二度とこの言葉を口にしない。
「……ああ」
それだけ答えた。
東の空が白み始めていた。
夜が明ける。
次の夜は、もっと面倒になるかもしれない。
宰相は一度で諦める男じゃない。
でも——まあ。
何度来ても、同じだ。




