第12話 聖女のお仕事(時給制)
金がない。
正確に言えば、残り銀貨三枚と銅貨が数枚。
宿に二泊して食事をすれば消える額だ。
「……そろそろまずいな」
「何が」
「旅費だ。このままだと野宿と水しか選択肢がなくなる」
「嫌よ。野宿は虫が出るし、水だけじゃ肌が荒れるわ」
肌の心配をしている場合ではない。
次の町に着いたのは、昼過ぎだった。
農村に毛が生えた程度の小さな町。教会が一つ、宿が一つ、市場が申し訳程度に並んでいる。
「……ここで稼ぐしかないか」
「稼ぐ? あんたが?」
「荷運びとか、用心棒とか。力仕事なら何でもいい」
「駄犬が力仕事をしたら建物が壊れるでしょ。昨日の薪を忘れたの?」
忘れていない。粉砕した。
「じゃあどうする」
エリスが腕を組んだ。
紫の瞳が細くなる。何かを計算する目だ。
この目をしている時のエリスは、だいたい碌なことを考えていない。
「……任せなさい」
嫌な予感しかしない。
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一時間後。
町の広場に、簡素な机と椅子が並んでいた。
机の上には白い布が敷かれ、小さな花が飾られている。
その奥に、エリスが座っていた。
ローブのフードを外し、銀髪を下ろしている。
紫の瞳は柔らかく、口元には慈愛の微笑み。
背筋は伸び、両手は膝の上で重ねられている。
完璧な聖女だった。
そして机の手前に、木の板が立てかけてある。
『聖女の祝福 承ります 銅貨五枚〜』
「…………」
「何よ、その顔」
小声の”裏”が飛んできた。
「……お前、祝福を売るのか」
「売るんじゃないわ。対価を頂くの。言い方が大事よ、駄犬」
言い方の問題か。
「看板、あんたが書きなさい。私の字は綺麗すぎて逆に怪しいから」
字の綺麗さで怪しまれるという概念が新しい。
言われるまま、もう一枚の板に追記した。
『病の癒やし 銀貨一枚』
『豊作祈願 銀貨二枚』
『縁結び 銀貨三枚(成功の保証はいたしません)』
「最後の注意書き、お前が足したのか」
「当然でしょ。保証なんかしたら際限がないわ。ビジネスの基本よ」
聖女がビジネスの基本を語っている。
「あと、あんたはそこに立ってなさい。護衛っぽく」
「護衛っぽくってなんだ」
「腕を組んで黙ってなさい。それだけでいいの。あんたの無愛想な顔は”箔”になるから」
無愛想が箔。褒められているのか貶されているのか分からない。
言われた通り、机の横に立った。腕を組んで、黙って。
これなら力加減を間違える心配もない。
最初の客は、すぐに来た。
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「あ、あの……聖女様、ですか?」
若い女性だった。赤ん坊を抱えている。
おどおどしながら、机の前に立った。
エリスの目が、一瞬だけ光った。
そして――切り替わった。
「ええ。旅の途中ですが、少しでもお役に立てればと思いまして」
声が変わる。温度が変わる。空気が変わる。
さっきまで「ビジネスの基本」と言っていた女と、同じ人間とは思えない。
「この子が……最近、夜泣きがひどくて。お医者様に診せても、何ともないって言われるんですが……」
「見せてください」
エリスが手を伸ばした。
赤ん坊の額に、指先をそっと触れる。
淡い光。
微かな魔力が、赤ん坊を包んだ。
「……ああ、大丈夫。この子は元気ですよ。ちょっとだけ、お腹の調子が整っていなかっただけ」
「ほ、本当ですか……!?」
「ええ。もう治しましたから。今夜からぐっすり眠れるはずです」
赤ん坊がきょとんとした顔で、エリスを見上げた。
そして――笑った。
母親の目から、涙がこぼれた。
「ありがとうございます……ありがとうございます、聖女様……」
「いいえ。元気に育ててあげてくださいね」
聖画から抜け出したような微笑み。
母親が銅貨を五枚置いて、何度も頭を下げながら去っていく。
沈黙。
エリスが銅貨を机の下に滑り込ませた。
表情が三秒で戻る。
「……ちゃんと治したのか」
「当たり前でしょ。金を取る以上、手は抜かないわよ」
声は”裏”だ。
だが、さっきの治癒魔法は本物だった。赤ん坊の体内の魔力の乱れを、指先一つで整えた。銅貨五枚の仕事じゃない。
「安すぎないか。あの治癒魔法、王都なら金貨が飛ぶぞ」
「王都の値段は王都のもの。ここは農村よ。払える額でいいの」
「……お前」
「何よ」
「意外と、良心的だな」
「は? 当然でしょ。私はぼったくらないわよ。適正価格を頂くだけ」
適正価格。
銅貨五枚で国レベルの治癒魔法。どこが適正なのか。
でも、追及はしなかった。
この女なりの線引きなのだろう。金は取る。でも相手が払えない額は要求しない。
無給で使い潰された過去への、静かな反抗。
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午後いっぱい、客は途切れなかった。
噂が広まるのは早い。
「銀髪の聖女様が祝福をくれる」という話が町中に回ったらしい。
腰の痛い老人。畑の虫害に悩む農夫。恋人と喧嘩した若者。迷子の犬を探す少女。
エリスは全員に”表”の笑顔で対応した。
治癒魔法、簡易的な結界、占いめいた助言、犬の追跡魔法。
どれも銅貨数枚から銀貨一枚の範囲だ。
迷子の犬は、タダで探してやっていた。少女が泣いていたからだ。
本人は「犬の追跡に金を取るほど落ちぶれてないわ」と言っていたが、犬が見つかった時の少女の笑顔を見るエリスの目は、“表”でも”裏”でもなかった。
日が傾く頃には、机の上に銀貨が八枚と銅貨の山ができていた。
「……けっこう稼いだな」
「でしょう? 私の価値を分かってない人間に無料で奉仕していた十年間が、いかに馬鹿げていたか」
言い方は辛辣だ。
だが、声のどこかに——満足とも安堵とも違う、もっと静かな何かがあった。
自分の力で。自分の意思で。自分の決めた値段で。
初めて、「聖女」を自分のために使った日だ。
「疲れただろ」
「別に。この程度で疲れてたら、十年も結界は維持できないわよ」
嘘だ。こめかみの辺りを何度か揉んでいた。魔力の細かい制御は、大技より地味に消耗する。
「飯、食いに行くか。今日は奢る」
「あんたが? 私の稼ぎで?」
「……お前の稼ぎだ。だからお前が奢れ」
「は? なんで私が稼いだ金で私が奢るの。意味が分からないわ」
「じゃあ割り勘で」
「嫌よ。あんたが奢りなさい」
「俺の金はほぼゼロだ」
「……じゃあ私が出すわよ。でもこれは奢りじゃないからね。駄犬の餌代よ」
餌代。
もはや人間扱いする気がない。
「了解」
「よろしい。いい食堂を探しなさい。昨日みたいなシチュー屋があれば最高ね」
「この町にあるかは分からんぞ」
「探すのがあんたの仕事でしょ」
仕事が増えた。荷物持ち、護衛、食堂探索係。
――面倒だ。
でも、「自分で稼いだ金で飯を食う」というだけのことを、こんなに嬉しそうにしているエリスを見るのは、悪くない。
十年間、何もかもを無償で差し出してきた女が、初めて「対価」を手にした日だ。
銅貨五枚の祝福。
安すぎる報酬。でも、この女にとっては——たぶん、金貨より重い。




