第11話 飯がまずい(お前が作るからだ)
温泉郷を目指して三日目。
街道沿いに町はなく、野宿が続いていた。
野宿自体は構わない。地面が硬かろうが虫が出ようが、王国の城で徹夜の任務に比べれば天国だ。
問題は、飯だった。
「……何これ」
エリスが、焚き火の前で固まっていた。
目の前にあるのは、皿に盛られた何か。
一応、野菜と干し肉を炒めたものだ。一応。
だが見た目は違う。
野菜は原形を留めておらず、干し肉は炭と繊維の中間のような物質に変わっている。皿の端には、力を入れすぎて握り潰されたパンの残骸。
「……炒め物だ」
「炒め物って言った? 今、これを炒め物って言った?」
「言った」
「駄犬。これは炒め物じゃないわ。破壊活動の残骸よ」
否定できない。
事の発端は、昼にエリスが「お腹空いた」と言ったことだ。
弁当はもう尽きていた。次の町までは少なくとも一日。つまり、自炊するしかない。
「料理くらいできるでしょ、駄犬」
「やったことがない」
「……は?」
「王国では飯は支給だった。自分で作ったことはない」
「じゃあ練習よ。今から」
こうして、地獄が始まった。
まず、薪を割った。
斧を使うまでもなく、手で折った。折ったというより、粉砕した。薪が木片になった。
「……細かすぎない?」
「力加減ができない」
「知ってるけど、もうちょっとなんとかならないの」
ならない。だから言っている。
次に、野菜を切った。
ナイフを持つ手に力が入りすぎて、まな板代わりの木の板ごと真っ二つにした。
野菜は切れたが、それ以外のものも切れた。
「……板が」
「弁償するか」
「誰の板よ。道端で拾ったやつでしょ」
「それもそうだ」
三度目の板で、ようやく野菜だけを切ることに成功した。
ただし厚さがバラバラだ。紙のように薄い欠片から、拳大の塊まで混在している。
「均一に切れないの?」
「指先の力を百分の一にする方法があれば教えてくれ」
「……もういいわ。焼きなさい。焼くだけなら馬鹿でもできるでしょ」
焼いた。
結果が、これだ。
火力の調整ができない。
鍋を振る力が強すぎて中身が飛ぶ。
味付けに塩を入れようとして、壺の蓋ごと握り潰した。
「……塩辛い」
「壺が割れた」
「なんで壺が割れるのよ! 塩の壺よ!?」
「もろかった」
「あんたの指がおかしいのよ!」
正論だ。
エリスは皿の中身を一口だけ食べ、無言で皿を置いた。
「……判定は」
「食べ物への冒涜。料理の概念に対する挑戦。二度とやらないで」
三つの罪状を一息で言い切った。
「じゃあお前が作れ」
「私が? この私に料理をさせるの?」
「できるのか」
沈黙。
三秒。
「……パンにチーズ挟むくらいなら」
昨日も聞いた。レパートリーがそれしかない。
「お前もできないんじゃないか」
「私の場合は”やらない”のよ。あんたの場合は”やったら壊す”の。全然違うわ」
違わないと思う。結果として食えるものが出てこない点は同じだ。
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翌日。
街道沿いに、小さな食堂を見つけた。
集落というには小さすぎる、道端の一軒家だ。看板には『峠のシチュー屋』と書いてある。
中に入ると、カウンターだけの狭い店だった。
椅子が六つ。客は老夫婦が一組。
厨房では白髪の老婆が鍋をかき混ぜている。
「いらっしゃい。シチューしかないけど、いいかい」
「お願いします」
エリスが”表”で微笑む。
だが今回は詐欺目的ではない。純粋に空腹が限界なのだ。昨夜の「炒め物」のダメージが大きかったらしい。
シチューが出てきた。
深い皿に、とろりとした白いシチュー。肉と根菜がごろごろ入っている。パンが二切れ添えてある。
エリスが一口食べた。
止まった。
「…………」
「どうした」
「……美味しい」
小さな声だった。
“表”でも”裏”でもない、素の声。
「……すごく、美味しい」
もう一口。もう一口。
スプーンが止まらない。銀髪が揺れるほどの勢いで食べている。
上品さのかけらもない。
だが、その顔は――今まで見た中で、一番人間らしかった。
俺も食べた。
確かに美味い。素朴だが、丁寧に作られた味だ。塩加減が完璧で、肉は柔らかく、野菜の甘みがしっかり出ている。
「……これが料理か」
「あんたが昨日作ったのは料理じゃないわ。あれは事故よ」
事故。否定できない。
老婆がカウンター越しに笑った。
「よく食べるねえ。おかわりもあるよ」
「いいんですか!?」
エリスの目が輝いた。
“表”のフィルターを通さない、剥き出しの食欲。
おかわりを三杯食べた。
三杯目は俺の分だった気がするが、もう何も言わない。
「ごちそうさまでした。本当に美味しかったです」
エリスが深々と頭を下げた。
“表”の演技ではない。心からの礼だ。
この女が本気で感謝する場面を見るのは、たぶん初めてだ。
「あらあら。嬉しいねえ」
老婆がにこにこしている。
「レシピ、聞いてもいいですか。この方に作らせたいので」
この方。俺のことだ。
「やめろ。作っても同じものにならない」
「練習すればいいでしょ」
「俺が練習したら鍋が壊れる」
「鍋くらい買い直しなさい」
老婆が首を傾げた。
「……仲がいいんだねえ、あんたたち」
「「違います」」
声が揃った。
老婆がさらに笑った。
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食堂を出た。
午後の街道。日差しが暖かい。
腹が膨れると、足取りも軽くなる。
「……駄犬」
「なんだ」
「次の町に着いたら、食堂を探しなさい。自炊は禁止。あんたが作ると物資が無駄になる」
「了解」
異論はない。俺が作ると、確かに全てが無駄になる。
「あと」
エリスが前を向いたまま言った。
「あのお婆さんのシチュー、レシピ書いてもらったから」
「……いつの間に」
「あんたが会計してる間に。私、ああいうお婆ちゃんと仲良くなるの得意なのよ」
得意だろう。“表”を使えば誰でも陥落する。
「でも、あれは”表”じゃなかったぞ」
「……何が」
「美味しいって言った時の顔。あれは素だった」
エリスが一瞬だけ足を止めた。
「……見てたの」
「目の前にいたからな」
「…………」
早足になった。
半歩分、距離が開く。
「……べ、別に。お腹が空いてただけよ。昨日あんたが事故を起こしたせいで」
耳が赤い。
今回は確信がある。
魔力じゃない。
「……そうだな。悪かった」
「分かればいいのよ。次はちゃんとした食堂で食べること。約束しなさい」
「約束する」
「よろしい」
エリスが歩幅を戻した。
また、半歩分だけ近い。
――面倒な女だ。
でも、美味い飯を食べた時だけ素が出るのは、ちょっとだけ可愛いと思った。
……絶対に言わないけど。




