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第10話 黒騎士と銀の聖女

町を出て、半日。


街道沿いの川辺で、昼の休憩を取っていた。


エリスは木陰で横になっている。

昨日の魔法の消耗が残っているのだろう。朝から口数が少ない。文句すら言わない。


文句を言わないエリスは、逆に心配になる。


「……水、飲むか」


「……ん」


水筒を差し出すと、起き上がりもせず手だけ伸ばしてきた。

受け取る力もないらしい。仕方なく、頭の横に置いた。


「……駄犬」


「なんだ」


「枕」


「は?」


「地面が硬い。あんたの膝、貸しなさい」


「断る」


「命令よ」


「断る」


「…………」


沈黙。

三秒。


「……じゃあ上着」


折れた。

珍しく、二段階目がある。普段なら力づくで膝を奪いにくるのに。


丸めた上着をエリスの頭の下に入れた。

銀髪が腕に触れる。細い髪だ。


「……これでいいか?」


「最低限ね。駄犬の膝よりマシかもしれないけど」


なら最初から上着でいいだろう。


エリスが目を閉じた。

呼吸がすぐに深くなる。限界だったのだ。立っているのも、話しているのも。


あの魔法の代償がこれだ。


飛竜の群れを七匹、指を弾くだけで消した。雲ごと吹き飛ばした。空を割った。

その対価が、起き上がれないほどの疲労。


国の結界を十年間維持していた頃は、毎日これだったのだろうか。

毎日この消耗を重ねて、誰にも弱みを見せず、「聖女様」の笑顔を貼り付けて。


「…………」


上着の端を引っ張られた。

エリスの指が、無意識に掴んでいる。


寝ているのに、手放さない。


何も言わずに、そのまま座っていた。


---


あの町では、噂が生まれていた。


市場で。井戸端で。詰所の中で。


「見たか、あの光。空が割れたんだぞ」


「飛竜が七匹、一瞬で消えた。一瞬だ」


「あの銀髪の女の子が、指を弾いただけで……」


「それより、その前の夜。あの黒い男が飛竜を一人で倒したんだろ? 素手で?」


「素手じゃねえよ。折れた剣の欠片で殴ったんだ」


「欠片で飛竜を……?」


守備隊の隊長は、詰所の椅子に座ったまま、天井を見ていた。


通りすがりの旅人。

そう名乗った男。死んだ魚のような目をした、黒髪の若者。


あの動き。あの力。あの、壊れた剣。


旅人ではない。

あれは――戦うために生まれた人間だ。


そして、あの銀髪の女。


空を割る魔法。国ひとつ覆える規模の魔力。

住民の誰かが言った。「聖女」と。


隊長は、かつて王都に駐留していたことがある。

二十年前。まだ若い兵士だった頃。


あの頃、王都には「聖女」がいた。

国の結界を維持する少女。顔を見たことはない。名前すら知らなかった。


だが、あの規模の魔法を使える人間が、この世に二人いるとは思えない。


「……黒い騎士と、銀の聖女、か」


呟いて、報告書に目を落とした。


書くべきだろうか。

王都に報告すれば、騎士団が動く。あの二人は追われる。


隊長はペンを置いた。


あの二人がこの町を救った。

飛竜の群れを。守備兵では手も足も出なかった脅威を。


王都は三週間、援軍を寄越さなかった。

あの二人は、通りすがっただけで戦ってくれた。


「……報告書は、後でいいか」


後で。

たぶん、ずっと後で。


---


さらにその翌日。


国境の町に、金色の一団が到着した。


白馬。銀の鎧。宝石。白マント。

先頭に立つのは、金髪碧眼の青年。


新勇者カイル。


「町の皆さん! 飛竜の報告を受け、この私が駆けつけました! ご安心を!」


町の広場で、カイルが高らかに宣言した。


沈黙。


住民たちが、微妙な顔で顔を見合わせている。


「あのー、勇者様……」


「何かね!」


「飛竜なら、もういないんですが……」


「……は?」


「三日前に。旅の方が倒してくださいまして」


カイルの笑顔が固まった。


「た、倒した? 飛竜を? 旅人が?」


「ええ。黒い髪の男の方と、銀の髪の女の方が。女の方なんか、指を弾いただけで七匹まとめて……」


カイルの顔が段階的に変色した。

白から赤へ。茹で上がる蛸のようだ。


「く、黒い髪……銀の髪……まさか……」


「ご存じで? お二人、もう町を出られましたけど」


カイルの拳が震えた。


「……あの男か。あの護衛の……」


歯が軋む音がした。

従者たちが心配そうに見ている。


「カイル様、落ち着いて――」


「落ち着いているとも! 俺は落ち着いている!」


落ち着いていない。完全に。


「いいか! 飛竜を倒したくらいで勇者を名乗れると思うなよ! 本物の勇者はこの俺だ! 聖剣を持つこの俺が――」


レプリカだ。


「次に会った時、必ず決着をつけてやる! 覚えていろ!」


誰に向かって叫んでいるのか分からない宣言を残し、カイルは馬首を返した。


白マントが土埃の中に消えていく。


住民の一人が、首を傾げた。


「……あの人、何しに来たんだ?」


「さあ……」


噂は広がっていく。


飛竜を一人で倒した黒い騎士。

空を割った銀の聖女。


名前は誰も知らない。

だから、見たままが伝説になる。


「黒騎士と銀の聖女」。


その噂が街道を伝い、町を越え、国を渡る日が来ることを――


当の二人は、まったく知らない。


---


街道。


「……くしゃみが出た」


「風邪?」


「駄犬に風邪をうつされたら許さないわよ」


「うつしてない。……誰かが噂でもしてるんじゃないか」


「噂? 私の? 当然ね。この美貌だもの」


自信だけは全快している。体力はまだ戻っていないが。


エリスの足取りが、少しだけ遅い。

普段なら「遅い」と文句を言う側なのに、今日は黙って歩いている。


歩幅を合わせた。

何も言わずに、少しだけ速度を落とす。


エリスも何も言わない。

ただ、半歩だけ距離が近くなった。


「……駄犬」


「なんだ」


「あんた、昨日……私が落ちそうになった時」


「ああ」


「……受け止めたでしょ」


「落ちたら怪我するだろ」


「別に、頼んでないんだけど」


「知ってる」


沈黙。


五歩分の間。


「……まあ」


エリスが前を向いたまま言った。


「荷物持ちにしては、使えるわ。あんた」


出会った日は「駄犬はそれが取り柄」だった。

ここまで来て、ようやく「使える」に昇格した。


昇格速度が遅すぎる気もするが、この女の辞書では大幅な進歩だろう。


「……どうも」


「調子に乗らないでよね。まだ駄犬は駄犬だから」


「分かってる」


「分かってるなら良い。……ほら、歩きなさい。温泉はまだ遠いんだから」


「ああ」


二人は歩き出す。


空はまだ、昨日より少しだけ青い。

エリスが雲ごと吹き飛ばした名残だ。


たぶん、明日には普通の空に戻る。


でも今日だけは、この馬鹿みたいに澄んだ青空の下を、もう少しだけ歩いていたい。


――まだ、言わないけど。

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