第35話 「決着」
両手で掲げた小剣の刀身を通して、魔力の奔流が噴き上がっていく。それは周囲の木々を超え、下手な城よりも高く長く伸びていった。
我ながら、途轍もない魔術を作ったと思う。
この炎のように噴き出す青白い魔力は、おそらく触れたものを容易く焼き尽くす威力を持っている。刀身にほど近い木々の枝が、次々と焼け落ちてきた。
思った以上に、魔力の勢いは強い。両手で持ち、両足で踏ん張って支えていなければ、オレは自分の魔術に振り回されていただろう。
「く…おぉ…」
そして思った以上に、魔力の消費も激しかった。魔術昇華で使用した魔術なら、それほど消耗することはないと高を括っていたが、完全に予想が外れた。
早く、終わらせなければならない…!
「ギィィィ…」
怪物はその口から、聞いたこともないような呻き声を漏らしている。感情が一切感じられない赤黒い瞳はまるで、虫を相手にしているような感覚だった。
その口元から、何やら湯気のようなものが出ているのが見えた。
「っ…マズい…!」
ズゥアォッ!
オレの直感が危険を囁いた瞬間、その口から光が溢れた。
眩い光…ではない。黒い光というのが適当な表現となるだろうか。そうとしか言えないものが、オレを護る「絶対防御障壁」の表面を焼いた。
「ぐっ…あぁぁぁ…!」
「ジュピター様!」
背後からレミィの声が聞こえた。おそらく、ラナたちの「治癒」が一段落したのだろう。
しかし、そちらに気を向けている余裕はない。「絶対防御障壁」のおかげで無傷では済んだが、周囲の草木は黒い光に晒され、その部分が急激に腐り落ちていた。もし直撃を受けていたらと思うと、背筋がぞっとした。
そしてこの攻撃を最後に、とうとう「絶対防御障壁」はバラバラに砕け散って消滅してしまった。
もう、オレを護るものは何もない。
「グリフェル…すまない…!」
もはや迷うための猶予すらなくなった。それにオレの魔力も尽きかけている。
「今…楽にしてやるからな…!」
意を決して、オレは小剣の柄を握り直す。
そしてついに、その炎のように溢れ出る魔力の刀身を振り下ろした。
「ジュピター様…ダメぇっ!」
「おぉぉぉぉぉっ!!」
レミィの悲痛な叫びが聞こえる。
気持ちは分かる。オレだって、怪物になってしまったとはいえ、グリフェルの命を奪いたくはない。
同じ人に憧れた、もう1人のオレだったかもしれない相手なのだから。
だが、仲間を護るため、今はその気持ちを捨てる。
「いけぇぇぇっ!!」
魔力の刀身は、木々を焼き払いつつ、怪物を頭上から襲う。それまでほとんどその場から動いていなかった怪物も、自らの危機を察したのか、盾状になった左手を掲げる。
「ギィィィッ!」
一瞬、盾によってオレの「魔力光牙剣」が受け止められた。
しかしそれは本当に一瞬。
次の瞬間、急激に蒸発するように、怪物の左手は黒く燃え尽きながら消えていく。
左腕、左肩、そして頭から順番に、その身体は青白い炎によって包まれていく。
「ダメェェェッ!」
怪物の断末魔と共に、レミィの再度の叫びが響き渡る。
しかし、オレは小剣を自らの足元まで完全に振り下ろした。
魔力の炎が消滅した後、怪物の前後、長い一直線上の草木は完全に焼き払われていた。そこかしこから、煤けた匂いが漂う。
青白い炎に包まれ、怪物はゆっくりと、その身体を消滅させていく。サラサラと、まるで砂になっていくように。
「グリフェル…ごめん…」
魔力がほぼ尽き、オレはその場に膝をつく。
辛い。
あまりに辛い現実に、怪物の最期を見届けることができない。オレは目を逸らすように俯いていた。
「ジュピター様…」
レミィが、オレの傍らに膝をついてきた。彼女も辛いのだろう。さっきまで話をしていた相手が怪物化し、それを葬るしか手段がなかったのだから。
果たして、レミィの続く声はオレの予想とは大きく異なっていた。
「見てください、ジュピター様」
「…ぇ…?」
穏やかな口調で、オレに顔を上げるよう促すレミィ。涙ぐんだ声ではあったが、あまりに優しいその声色に、オレは何事かと視線を怪物に向けるしかなかった。
「あ…あぁ…」
そこには、燃え尽きて消えていく怪物。
その燃えカスの中に、人のようなシルエットが見えた。
肩までの黒髪を持つ、あの女性の姿。
「グリフェル…グリフェル…!」
疲労から覚束ない足取りで、オレは倒れた人影に近付く。距離が縮むほどに、その人影の正体がよく見えるようになる。
間違いなく、それはグリフェルの姿であった──。
◇ ◇ ◇
喜ばしい光景を前にし、オレの気持ちは高揚していた。
しかし同時に、オレの中の冷静なオレが、この事態の異常性を警告している。
なぜ、グリフェルは助かったのか?
彼女の身体は綺麗なもので、しなやかな筋肉のついた色白の裸体を横たえていた。オレは慌てて、荷物から毛布を引っ張り出し、彼女に被せてやった。
そう、綺麗な身体だ。
いくらなんでも、綺麗すぎるほどに。
そもそも、オレの「魔力光牙剣」はいかなるものも焼き尽くす威力を持つ魔術だ。
こんな風に、怪物の部分だけを焼き、元になってしまった人間を助ける効果などない。
だというのに、現実としてグリフェルは助かっている。
怪物を倒すことで、自然と人間に戻れたという可能性もなくはない。しかし、そんな都合の良い話があるだろうか。
そして、もう1つ気になることがある。
怪物に魔力の刃を叩きつける瞬間、レミィの叫びに呼応するように、オレの中の魔力が大きく弾けたのを感じた。
それは国境の街での戦いで感じた感覚と、ほぼ同じもの。
そう、これで3度目。
王都でのランフォードとの戦い。
国境での怪物との戦い。
そして今回。
レミィの声を聞いたことで、オレの魔術が何らかの変化を起こしている。
しかし、彼女は神官。言語魔術に干渉する力など、持っているはずがない。
だとしても、これもまた紛れもない事実であった。
意識こそないが、グリフェルの胸が上下していることを確認し、レミィは嬉しそうな笑みを浮かべている。
だが、オレは彼女に疑惑を抱くほかない。
「レミィ、君は…」
「良かったですね、ジュピター様…」
オレが話すより先に、レミィが口を開いた。
「グリフェルさんが無事で…」
そう言って、彼女は何の邪気もない笑みを向けてきた。
「レミィ…」
彼女に対し疑いの眼差しを向けるというのは、とても悪いことなのではないかと錯覚するほどに、その表情は眩いものだった。
「ぁ…」
「レミィ!」
唐突に、レミィの身体から力が抜け、その場に崩れ落ちるように倒れてしまう。
オレは咄嗟に彼女の身体を支えた。やはり、その体重は軽い。
そのまま、レミィもまた意識を失ってしまった。
「レミィ、君は…一体何者なんだ…?」
目を伏せ、眠るように気を失った彼女から答えが返ってくることはない。しかし、オレはその疑問を口にせざるを得なかった。
代わりに、別な方向から声が聞こえてきた。
「そのことは、後でお話ししますね…」
「う、ウィンディさん!?」
ふと見ると、痛々しそうに脇腹を押さえながら、ハーフエルフの女性が立っている。いつの間にか、彼女は意識を取り戻していたようだ。
「大丈夫なんですか…?」
「私のことより、まずは休める場所に行きましょう…みんなボロボロですから」
確かに、オレは魔力が枯渇しているし、ラナとエーゼルはまだ意識が戻らない。ラナに至っては剣まで失ってしまった。
そして、やはり気を失っているグリフェルとレミィ。
こんな状態で山の中にいるのは、どう考えても危険としか言いようがない。
しかし、いったいどうやって彼女たちを運ぶか。
力のあるラナやエーゼルを無理矢理にでも起こすしかないのかと思案していると、ウィンディさんがいつものニコニコした笑顔を浮かべていた。
「大丈夫です、私が運びますから」
その笑顔は、いつもの優しい雰囲気を纏っている。
だというのに、そこに何らかの裏があるのではないかと、オレは思わざるを得なかった──。
──第36話に続く




