第34話 「魔術昇華」
ウィンディさんは動かない。うつ伏せに倒れた体勢のまま、ピクリともしなかった。
エーゼルも、吹き飛ばされた先にあった木に背中を預け、力無く項垂れたままだ。
ラナは刀身がほぼ無くなった剣を、それでも怪物へと向けたまま睨みつけている。彼女の戦意は、まだ失われてはいない。
そう思ったのも束の間だった。
ヒュン!
「ぐ…ぁ…!」
「ラナ!」
怪物の右手が、まるで蛇のようにラナの体に巻き付く。ギリギリと締め付けられ、銀髪の剣士の顔は苦痛に歪んだ。
「やめろ、グリフェル! 正気になってくれ!」
オレは必死に呼びかけた。しかし、頭の中の冷静な部分が、そんな声など届くわけがないと、現実を突きつけてくる。
「ジュ…ピター…」
ミシミシと骨が軋む音がした。ラナはなんとか脱出しようともがいていたが、彼女の力ですら振り解けないほどに、怪物の力は強大。徐々にその顔色は青く変色していく。
「ジュピター様…!」
絶望的な状況。あの気丈なレミィでさえ、恐怖から足がすくんで動けない。オレが呼びかけなければ、ウィンディさんやエーゼルに「治癒」をかけることもできないほどに、怯え切っていた。
仲間たちが危ない。
しかし、相手は人間。少なくとも、さっきまでは人間だった。
その手にかけることなんて、オレにできるのか。
気がつけば、手が震えていた。
オレは何を恐れている?
仲間を失うことか。
怪物に殺されることか。
それとも、その怪物──人を殺めることか。
「違う…!」
一番恐れるべきは、何もできないこと。
思い出せ。オレの本分は魔術師。常に冷静に、状況を把握して最善策を見出すのが役割だったはずだ。
そして思い出せ。母さんが言っていたことを。
父さんはいつも、仲間を護ることを最優先にしていたと。
「魔力光剣!」
腰から抜いた小剣の刀身が、魔力を帯びて青白く輝く。
「おぉぉっ!」
ザンッ!
オレの渾身の斬撃は、怪物の触手を両断。解放されたラナは、しかしその場に倒れ込んでしまった。
「レミィ! みんなに治癒してくれ!」
「…は、はい!」
ハッとした様子で、レミィは倒れた3人に向けて遠隔で「治癒」を飛ばす。直接触れて発動するのと比較して効果は落ちるが、複数人を同時に治癒できると聞いたことがあった。
ラナ、ウィンディさん、そしてエーゼル。3人共、気を失った様子だ。レミィが回復させた上で、さらに「覚醒」の魔術も必要になるはず。時間にすれば数分はかかるだろう。
つまり、オレが1人で怪物の相手をしなければならないということ。
「魔力盾…!」
右手に光の刃。そして左手に魔力の盾を生み出し、オレは怪物と対峙した。
その赤黒い瞳に、オレはいったいどのように映っているのか。
「行くぞ…グリフェル…!」
怪物は切断された右手を不思議そうに見ていた。しかし、やがて肉が盛り上がるように、右手の傷口を埋めていく。そればかりか、徐々に触手としての姿を取り戻そうとしていた。
やはり、異常な再生能力は、あの国境の街で戦った怪物と同様か。
だとすれば、あの時のような強大な威力を持つ魔術を叩き込まなければ、完全に倒すことなどできないだろう。
「はぁっ!」
魔力の刃を横薙ぎに振り抜く。怪物の盾のような左手に阻まれたが、その表面に真一文字の傷が付いた。無論、どう見ても浅かったが。
ヒュン!
「うわっ!」
まだ半ばしか再生していない、短い触手がオレに迫る。なんとか咄嗟に身を屈めてやり過ごした。もし「動体視力強化」の維持を止めていたら、見切ることなどできなかっただろう。
魔力光剣と、魔力盾、そして動体視力強化。すでに3つの魔術を並行発動している。戦いが長引けば、オレの魔力も体力も保たない。
「ふっ! はっ!」
息を吐きながら、何度も刃を振るう。しかし、いずれも怪物にはわずかな傷しか付けることができない。
いや、逆に考えろ。あのエーゼルの打撃ですら傷が付かなかった相手に、ダメージを与えられているのだ。
そこに、勝機がある。
ヒュッ!
触手が迫る。強化された動体視力が、それを確かに捉えていた。
しかし、見えたからといって回避できるとは限らない。現に、オレの視界の左下から迫る触手の辿る軌跡は、どう考えても回避できるとは思えなかった。
やるなら今しかない!
「昇華! 絶対防御障壁!!」
左手に構えていた魔力の盾。それが一気に、オレの全身を護る魔力の壁へと変化した。
果たして、触手はその壁に阻まれ、弾き返される。
この「絶対防御障壁」という魔術は、物理的だろうが魔力的だろうが、いかなる攻撃も防ぐことができる、文字通り鉄壁の護りを可能とするものだ。貫徹できるとしたら、「竜王之息吹」クラスの大魔術が必要。
最高位クラスの防御魔術であり、当然、オレ程度には本来使えないもの。
国境の街での戦いの時、オレの「竜王之息吹」は、どういうわけかその威力を一段階引き上げた。
その時の感覚は鮮明に覚えている。
オレはそれを自発的に再現できないかと、あれ以来密かに修練していた。
結果、試行錯誤の末に編み出したのが、「魔術昇華」と名付けた手法。
使用中の魔術を起点として、より高位の魔術へと昇華する。
イメージとしては、普段の魔術を立ち幅跳びとした場合、魔術昇華は走り幅跳びのようなものだ。助走をつけて、本来届かないところまで跳ぶ感覚。
これを用いれば、高位の魔術をより少ない魔力で発動可能となる。もちろん、起点となる魔術を事前に発動しておく必要があるから、即効性に欠けるのが弱点ではあるが。
怪物の力に対抗できないオレがわざわざ「魔力盾」を発動させた理由がこれだ。それを起点に、本来使えないはずの「絶対防御障壁」へと昇華させたのである。
出たとこ勝負の賭けだったが、上手くいってくれた。
「くっ…」
だが、そうそう美味しい話というわけでもない。魔力の消費を節約できるといっても、「絶対防御障壁」を使ったのはかなり無茶だったようだ。疲労感に襲われ、オレは膝をつきそうになる。
「これは…本当に速攻で片を付けないとな…」
これ以上、魔力をいたずらに消費することはできない。「動体視力強化」を解除。防御は全て「絶対防御障壁」に任せる。
「さぁ…いくぞ…!」
右手の小剣を、一層強く握りしめる。刀身に宿った魔力の刃がゆっくりと、しかし確実に太く長くなっていく。
「光刃…伸長…輝光…斬魔…」
詠唱をする中、怪物の触手による攻撃が幾度も、魔力の障壁を叩く。オレには一切ダメージは入らないが、攻撃を防ぐたびに魔力が確実に削れていくのが分かった。
保って、あと数回防ぐのがやっと。
一撃で決めるしかない…!
増大していく魔力の刃が、強烈な反発力を生む。片手で押え込むことができず、短い柄を無理矢理両手で保持した。
これが、オレのオリジナル魔術。
「昇華!」
振り上げた刀身から、魔力の輝きが炎のように噴き出す。
その青白い光は、森の木々さえも超える高さまで伸びていく。
「 魔力光牙剣!!」
グリフェル、これで…
君を、殺す──。
──第35話に続く




