第33話 「大魔の暴走」
銀髪の女剣士の身体が宙を舞う。放物線を描いたその光景を、オレはまるで他人事のように見てしまった。
「ラナ!」
10メートルほど吹っ飛び、ラナは木の幹に激突。地面に落ちて、そのまま動かなくなった。
「ラナさん…ラナさん!」
「レミィ! ラナを頼む!」
彼女は左手で抜いていた長剣を握りしめたままだ。だとすれば、まだ息がある可能性が高い。
レミィは青い顔をしていたが、オレの言葉を聞いてすぐに彼女のところに駆けていった。
オレとしても、幼馴染の元へ駆け寄りたかったが、目の前の光景から目を離すわけにもいかない。
「あ…あ…あぁ…」
グリフェルの右腕は、赤黒い触手のような形状へと変貌している。信じられないものを見たように、グリフェル自身も顔が恐怖に歪んでいく。
「私…は…わた…わた…しししは…」
口も上手く回らないのか、意味不明なことを呟いていた。
そして、彼女の左目が赤黒く変色。次いで顔の左半分がビキビキと音を立てて醜く膨れ上がっていく。
「これは…マズいんじゃないの…」
エーゼルが棘付戦鎚を構えながら、じわじわと下がっていく。
「まさかこれが、「大魔の種」による怪物化…?」
ウィンディさんも、険しい表情を浮かべながら、両手を構えつつ間合いをとった。
おそらく、これが「大魔の種」の副作用。服用した者を、怪物に変えてしまう噂の正体。
いったいなぜ、何がトリガーとなったのか、それを考える余裕などない。
あの国境の街で戦った、巨大な肉塊のような化け物を思い出す。
グリフェルが、あんな姿になってしまうというのか。
「グリフェル! 気をしっかりしろ! オレの目を見るんだ!」
必死に呼びかけながら、オレも彼女から距離を置いていた。すでにその左手も変化し、大きな板のような形状となっている。
首から下は肥大化し、赤黒かった右手の触手と共に、粘膜のようにも肉のようにも見える何かへと変わっていた。
唯一、まだ顔だけは元の雰囲気を残している。
「いや…た…たたた…助け…て…」
半ば怪物化した彼女の瞳から、涙がこぼれたのを確かに見た。
そんな顔で、そんなことを言われて、助けに行かないはずがない。
しかし、いったいどうすれば良いのか。
ヒュッ!
「危ない!」
眼前に触手の鞭が迫る。ウィンディさんが咄嗟にオレを突き飛ばしてくれたおかげで、ギリギリのところで躱せた。あんなものを顔に受けたら、首から上がなくなっていても不思議ではなかった。
「ジュピターくん、しっかりしてください!」
ウィンディさんが叫ぶ。同時に、オレは知らないうちにショックを受けて、思考が停止していたのを自覚した。目の焦点を合わせ、頭を何度か振る。
「もう…大丈夫です!」
ひとまず、グリフェルから極力離れることを選ぶ。すでにその顔は怪物のそれへと変わっていた。大きな赤黒い眼球を備え、左右に広く裂けた口からは、棘のような乱杭歯が覗いている。
大丈夫とは言ったが、大丈夫なわけがない。
人が、そうではない何かに変わっていく様子。それがこれほどまでに、心にダメージを与えるものだとは思わなかった。
変貌は終わったらしい。
グリフェルの姿は、もはや人間のそれではない。ただ、あの国境の街で見た怪物のような、家よりも大きなものではなかった。
シルエット自体は人間と変わらない。ただ、身長は常人の倍を超えるほどに巨大化し、粘膜のようなピンク色の全身には、血管のような赤い筋が走っている。
右腕は異様に長く、鞭のようにしなる触手へと変化。一方の左手は大きな板状になっていて、さながら盾のようにも見える。
そして何より、大きく目を引くのは、頭頂部から生える大きな2本の角。
エーゼルの角と、雰囲気はよく似ている。しかしそのサイズは全く異なっていた。太く、長く、捻れながら天に向けて伸びる角は、いかなる生物のものとも違う、異質さを放っている。
唯一、グリフェルの面影を残しているのは、その首元に巻き付いた真っ赤なマントだけであった。
「が…がはっ…ごほっ…!」
「ラナ…無事か!?」
レミィの「治癒」が効いたらしく、意識を取り戻したラナが咳き込んでいた。内臓が傷ついているのか、血を吐き出している。
「このくらい…かすり傷…」
とてもそうは見えなかったが、ラナはゆっくりと立ち上がり、左手の長剣をグリフェルに向けて構えた。
エーゼル、そしてウィンディさんもそれに並び、グリフェルだったものへと敵意を向けている。
「やるしか…ないのか…」
「ジュピター様…」
歯を食いしばり、拳を握りしめたオレを、レミィが心配そうに見つめていた。
言うまでもなく、グリフェルはさっき会ったばかりの、他人と言っても良い相手だ。しかし、自分と同じ人に憧れ、剣の道を歩んだ彼女に、オレはどうしても感情移入してしまう。
そうじゃなくても、明らかに人だったと分かる相手に刃を向けることに、強い抵抗感があった。
何より、変貌する直前にグリフェルが見せた涙と、「助けて」という言葉が、オレの胸に深く突き刺さっていた。
「割り切って…!」
そんなオレの感情を察してか、ラナがそう言いながら怪物へと突撃していった。
分かってる。そんなことは分かっているんだ。
もしかしたら、国境の街の時と同じように、怪物を倒せば元に戻るのかもしれない。しかし、あんな不可解なことに期待するのは、現実的ではなかった。
「はぁっ!」
ラナが気合いと共に剣を叩きつける。しかしそれは、怪物の盾のようになった左手で容易に防がれた。ラナの怪力が乗ったその攻撃を正面から受けたにも関わらず、怪物の体はまったく揺るがない。
「これなら…どう!」
次いで横から、エーゼルが棘付戦鎚を両手でフルスイング。本来なら防御不可能な巨大な鉄塊が、怪物の脇腹に叩き込まれた。
しかし、何も起きない。
ジャイアントリザードの頭部を易々とミンチにするそれを受けてなお、怪物は何事もなかったように立ち尽くしていた。
「最高っ…!」
さすがのエーゼルも、いつもの余裕に満ちた表情がない。冷や汗を浮かべながら、無理矢理に笑顔だけを作っていた。
「なら…これで!」
怪物の背後に回り込んでいたウィンディさんが、雷を纏わせた掌底をその背中に繰り出す。力でダメでも、魔術なら効くかもしれない。
その細腕からは想像もできない、体重の乗った重い一撃。
怪物は、やはりびくともしなかった。
「ギィシャアァァァァッ!!」
「うわっ!」
唐突、本当に唐突に、それまでかかしのように立っていた怪物が、悍ましい叫び声を上げた。その声に、グリフェルの声の面影は当然のようにない。
鼓膜に突き刺さるようなその声に、オレを含め全員が顔をしかめた。
ビュン!
「あぅっ!」
怪物の右手が動いた。そう思った瞬間、ウィンディさんの身体がまるで独楽のように回りながら飛んだ。
ビュン!
「がっ…!」
次に狙われたのはエーゼル。迫る触手を戦鎚で防いだが、防御ごと吹き飛ばされる。
ビュン!
キィン!
そして、最後にラナに向けて振るわれた触手は、彼女の身体を狙ってはいなかった。
意趣返しとでも言うのだろうか。
触手の一撃によって、ラナの持つ剣の刀身は、その根本から断ち折られていた。
「くっ…!」
怯んだラナが距離を取る。しかし、丸腰となった彼女には、もう為す術がない。
わずか数秒間。しかしその一連の流れを、オレはただ見ていることしかできなかった──。
──第34話に続く




