第29話 「山中の戦い」
帝国北の街もまた、王国の都市と遜色ない穏やかな雰囲気を持っていた。
時折、街に掲げられている帝国の紋章が描かれた旗を見なければ、王国と区別がつかなくなってしまいそうになる。
とはいえ、やはり街に漂う空気というか、匂いのようなものには明確な違いを感じる。道を行く人々の服装も、王国のものとは微妙に異なっていて、ここが異国であるということを改めて突きつけられるような感覚を覚えた。
と、そんな感慨に耽ったのも、ほんの僅かな時間だけである。
なぜなら、オレたち5人はとっくに北の街を通り過ぎ、そこからほど近い山中に入っていたのだから。
「今夜もフカフカのベッドで寝られると思ったのに、残念」
「贅沢言うなよ…」
木々が生い茂る山の中には不釣り合いなドレス姿。エーゼルは心底がっかりした気持ちを、わざとらしい仕草で表現している。
「ジュピターくん、少し休みませんか?」
ウィンディさんが少し眉をひそめながら言う。見れば、彼女の隣を歩くレミィの顔色が悪い。酷く疲れ切っている様子だった。
「う…す、すみません…」
思えば、山に入ってから歩き詰めだった。旅慣れしていないレミィの体力では付いていけるはずもない。
「…ジュピター、気持ちは分かるけど、落ち着いて」
ラナの言葉を聞き、オレは気持ちを落ち着けるためにも、街に着いてからのことを思い出す。
北の街で、オレはすぐに噂の「竜剣士様」の情報を集めることにした。すると、聞けば聞くほどに、その人物の話が次々と挙がってきたのである。
「竜剣士様は無口で無愛想だけど、とても正義感に溢れた人だ」
「ろくに報酬も出せないと言ったのに、進んで魔獣退治に行ってくれた」
「腑抜けた騎士連中なんかよりよほど頼りになる」
どの人に聞いても、「竜剣士様」を称賛する声ばかりが返ってきた。
しかし、一部の噂を聞くと、もしかしたら父さんとは違う人物なのでは、という疑問も湧き上がってきてしまう。父さんは正義感は強かったが、無口で無愛想なんてことはない。
そんな中、特に奇妙な話を聞くことになった。
「竜剣士様はいつも仮面を被っていて、誰も素顔を見たことがない」
いよいよもって、オレは冷静になることができた。
仮面を被っていて、素顔を見せない「竜剣士様」という人物と父さんが、どうしても結びつかない。
しかし一方で、竜剣士を騙るその人物なら、父さんの行方を知っているのではないかという思いが芽生えてきた。
そして翌日、決定的な話を耳にすることとなる。
「竜剣士様なら、つい昨日、山に出たという魔獣を退治しに行ったよ」
その話を聞き、オレはすぐに荷物をまとめ、街の東に聳える山に入ることを決めた。
どうやら、オレたちが街に着いた頃、ちょうど「竜剣士様」は山に向かって出発したらしい。しかし、昨日発ったばかりということなら、まだ追いつける可能性は高い。
必要な道具を手早く買い揃え、オレたちは「竜剣士様」を追って山に入った。
そして数時間。
知らないうちに、オレは気が逸っていたのかもしれない。噂の「竜剣士様」が父さんではない可能性は高いと思う一方で、大きな手がかりを得ることができるのではないかと、期待ばかりが膨らんでいた。
「レミィ、悪かった…無理をさせて…」
「い、いえ…私は…大丈夫です…」
とても大丈夫には思えない。
この夏の日差しの中、山道を数時間に渡って歩いた彼女の額には、玉のような汗が浮かんでいる。このままでは熱中症になってしまう危険性もあった。
「ちょうどそこに開けた場所があったわ。そこで休みましょ」
さすがと言うべきか、エーゼルが少し先を偵察してきてくれた。あのドレス姿で、いったいどのように獣道を潜り抜けているのか、謎でしかないが。
オレたちはしばらく、木陰の下で休憩することにした──。
◇ ◇ ◇
「ジュピター、後ろ…!」
「分かってる!」
オレたちの安息は、しかし乱入者たちによって中断させられた。
複数匹の緑色をした集団。ある意味で魔獣よりも厄介な、亜人族ゴブリンの群れである。
人間の子供くらいのサイズで、略奪と殺戮を好む種族。基本的には深い森や山に生息しているが、人里近くまでやってくる個体も少なくない。
今の時刻は昼下がり。本来ゴブリンは夜行性だが、獲物──つまりオレたちがテリトリーに入ったのを察して、襲撃してきたようだ。
とはいえ、オレたちにとっては大した障害ではない。
「魔力光剣!」
小剣の刀身から、青白い光が伸びる。魔力を凝縮して生成されたその光の刃は、ゴブリンの持つ粗末な棍棒など容易く斬り裂く。
「ちょうどいいわ、コイツらから山に出る魔獣の情報をもらいましょ」
「情報? どうやってです?」
エーゼルが巨大な棘付戦鎚を振るい、ゴブリンの1体を防御ごと吹き飛ばす。文字通りミンチになったそれは、周囲に血肉を撒き散らした。
頼むから、レミィの前でそんな殺し方はしないで欲しい。
一方のウィンディさんは、襲いくるゴブリンの攻撃をサラリと躱し、その勢いのまま肘を後頭部に叩きつける。白目を剥いて倒れたゴブリンの姿は綺麗なもので、エーゼルが作ったミンチとは実に対照的だと思えた。
「もちろん、尋問するの…よ!」
「尋問って…ゴブリンをかよ?」
また1体、新鮮なミンチができる。それを尻目に、オレも何体かのゴブリンを倒していた。
しかし、ゴブリンを尋問とはどういうことなのか。意思疎通ができる相手とは到底思えないが…。
そんな疑問を浮かべつつ、会話をしながらという余裕っぷりで、オレたちはゴブリンの集団をあっさりと撃破していた。
もちろん、疲れ切ったレミィはしっかりと守っている。
「…終わりね」
ラナが長剣についた血糊を拭う。さすがというか、彼女は汗の1つもかいていなかった。
「で、エーゼル、どうやってゴブリンを尋問するってんだよ?」
「ふふ…まぁ見てなさい」
そう言って、妖艶な半魔の美女は、ウィンディさんが昏倒させたゴブリンのそばに膝をつき、その頭に指先を置いた。
「さぁ…アナタの中を見せてもらうわよ…」
蠱惑的な笑みを浮かべるその姿に、少しだけ寒気がするような色気を感じてしまったのは内緒だ。
しかし、エーゼルはオレの好みではない。いや、本当に。
「ふーん…なるほど…」
彼女の指先には、魔力の青白い光が灯っていた。
「もしかして、エーゼルさんって自由神の神官…なんですか?」
適当な岩に腰掛けながら休んでいたレミィが、エーゼルの様子を見て尋ねる。
「そう、こう見えて敬虔な信徒なのよ、アタシ」
そう言えば、変形する戦鎚を使う彼女は、何らかの神に仕える神官なのだった。しかし解放や悪戯を司る自由神とは、奔放な彼女らしい。
そこで思い出したが、自由神に仕える神官は、精神を操作する魔術に特に秀でていると聞いたことがある。
ということは、エーゼルは気絶したゴブリンの精神を覗き込み、その情報を仕入れているということか。
「よく分かったわ、お疲れ様」
そう言って、エーゼルは気絶していたゴブリンの首を片手でへし折る。確かに、ゴブリンを生かしておくことは害にしかならない。とはいえ、無力化した相手の止めを刺すというのは、見ていて少し抵抗があったが。
「例の魔獣の生息地が分かったわ」
その言葉を聞き、オレたちはレミィが十分に休めた頃合いを見て、再び出発することにした──。
──第29.5話に続く




