第23話 「肉塊の怪物」
城塞都市の街並みは、堅牢さのために建物同士の距離が近い。屋根の上を走るのは、思ったより簡単だった。
さほどの時間をかけずに、街の南に到達した。
「近くで見ると、さらに気色悪いな…」
それは南の大通りを塞ぐように鎮座していた。
大きさは家数件分はあるだろうか。形としては、人の頭部にようにも見える。ただ、いくつもの瘤のようなものが盛り上がった頭部が、実際にあればの話だが。
やはり粘膜のような、鮮やかなピンク色をした表皮。そこには赤い血管のような筋が幾重にも走っている。うっすらと湿り気を帯びているのか、日差しを照り返してヌラヌラと輝いている。
それが、まるで何かの内臓のように脈打ちながら、ゆっくりと通りを進んでいた。
「ずっと見てると吐きそうね…」
「いったいどこから、こんな怪物が…」
エーゼルが、そしてウィンディさんが、それぞれで言葉を漏らす。未知のものを見た恐怖。それも生理的嫌悪感を掻き立てる外見をしているのだ。何か話していなければ、正気を失いそうになる。
「ひどい…」
怪物の通った跡には、血痕のようなものがいくつか見られた。あまり考えたくはないが、逃げ遅れた人の成れの果てだろう。レミィが、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。
「…危ない!」
例のミミズのような触手の1本が、オレにめがけて迫る。咄嗟にラナが長剣を振って弾き返してくれたが、並の人間の足より太そうなそれで殴られたら、おそらくただでは済まない。
「ジュピター、しっかりして」
「あ、あぁ…悪い…ありがとう…」
自覚していなかったが、オレも怪物を間近に見たショックで注意が散漫になっていたようだ。幼馴染の言葉を受けて、両手で自分の頬を思い切り叩く。
しっかりしろオレ。父さんならこんな状況でも、絶対に狼狽えたりなんてしないぞ。
「騎士たちも来ています。私たちも加勢しましょう」
ウィンディさんの言葉で通りを見れば、何人かの騎士が怪物と対峙していた。しかし、あまりに巨大なそれに対し、どう対処すれば良いのか分からないようだ。迫る触手を剣で追い払うことしかできていない。
オレたちも屋根から降り、騎士たちの救援に向かう。
ラナ、ウィンディさん、エーゼルの3人は平然と屋根から飛び降りていたが、よく足を痛めないものである。オレはレミィと共に、再び「浮遊」を使って降り立った。
「レミィ、怪我人を頼む」
「わ、分かりました!」
騎士の中には負傷している者もいた。レミィが「治癒」を使って治療にあたる。
それを見たわけではないだろうが、怪物の触手が鋭く、レミィに向かって振るわれた。
オレの頭上を通り過ぎる触手。それを止めるのは、ここからでは不可能。
「レミィ!」
バチィッ!
瞬間、眩い雷光が煌めく。
レミィの前に立ったウィンディさんが、雷を纏った掌底で触手を弾き返していた。
いや、正しくは「受け流していた」と言うべきか。
迫る触手の軌道を、掌底を使って逸らす。もちろんそれだけでは、あの質量の攻撃は捌けない。精霊魔術の雷を手に纏わせることで、感電した触手が痙攣する。それによって攻撃を完全に逸らしたのだ。
「レミィさんは私に任せてください!」
彼女にいつもの笑顔はない。凛とした表情で、背後のレミィを庇っていた。
なんて心強い。オレはそう思う他なかった。
「よし、行くぞラナ…!」
「えぇ…!」
隣に立つ銀髪の剣士に呼びかける。
とはいえ、こんなデカい怪物相手にどう戦えばいいのか。まだオレの中にも答えは出せていなかった。
「魔力光剣…!」
鞘から小剣を抜き、魔力の刀身を生み出す。直後、オレに向かってきた触手を、その光の刃で斬り裂く。
肉の触手を斬る感触は、とてもじゃないが心地よいものではなかった。
オレの魔力の刃を脅威と感じ取ったのか、怪物の触手が一斉に襲いかかってくる。
マズい、さすがにこれを防ぐのは、オレの技量では不可能。
「はぁぁぁっ!」
ズババババッ!
瞬間、銀の一閃がその触手の群れを退けた。まさに目にも留まらぬ早業で、一瞬何が起きたか分からなかった。
さすがはラナ、頼りになる。
「私が護る…ジュピターはその剣で本体を攻撃して…!」
「分かった…!」
力や剣の技量はラナの方が上だが、攻撃力ならオレの「魔力光剣」が優っている。
攻撃と防御。それぞれの役割を果たせば、オレたち2人が勝てない相手などいないはず。
オレたちは縦に並んで走る。前を走るラナを、オレが追いかける形だ。
迫る触手を、ラナは次々と斬り落としていく。オレは彼女に全幅の信頼を置いて、防ぐことなど考えずに走った。
怪物の本体が目の前に迫る。ブクブクとした瘤が蠢く様が近付くにつれ、嘔吐感がこみあげてくる。が、それを意志で踏み倒し、オレは光の刃を振り上げた。
「おぉぉっ!」
またしても、腕に伝わる不快な感触。
魔力で形成された刃は、間違いなく怪物の表皮を斬り裂き、そこから赤黒い血のようなものが噴き出す。
が、焼け石に水とはこのことか。
「はっ!だっ!つぁっ!」
何度も何度も、刃を振るう。確かに怪物にダメージを与えているのかもしれない。しかし、あまりにもそれが小さいのだ。
もし、この怪物を倒そうと思ったら、オレは丸1日剣を振っている必要があるだろう。そんな体力も魔力も、当然あるわけがない。
「はぁっ…はぁっ…!」
しかも、付けた傷はすぐに塞がっていく。少しでも休んだら、その隙にオレの攻撃はなかったことにされてしまうのだ。
「ダメだ、一旦退がるぞ、ラナ…!」
「ちっ…!」
止むを得ず、オレたちはその場から飛び退く。
剣ではこいつは倒せない。それがよく分かった。
ゆっくりと歩みを進める怪物は、逃げる人々を追うように動いている。このまま放置すれば、街を南北に蹂躙することになるだろう。
その途中には、ヴァイパー卿の屋敷もある。
「そ…そうだ…!」
あの陽気な老貴族の顔を思い出したと同時に、オレに1つの勝機が浮かぶ。
「ラナ、少し時間を稼いでくれ!」
「いいけど…何をするつもり…?」
果たして間に合うだろうか。ここからヴァイパー卿の屋敷まで走り、そして「例の物」を取って戻ってくる。どんなに早くても10分はかかるだろう。その間、ラナ1人でここを支えられるかどうか…。
「ジュジュ!」
その時、頭上から声が聞こえた。
視線を上げると、紫色のドレスを纏った妖艶な美女が、屋根の上から笑顔を浮かべてオレを見下ろしていた。
戦いが始まってから、いつの間にか姿が見えなかったが、いったいどこに行っていたのか。
「これが必要なんでしょ?」
そう言って、エーゼルが「ある物」を投げてきた。
キャッチしたそれを見て。オレは自然と笑顔を浮かべてしまった。
オレの手には、青い輝きを放つ握り拳大の魔石が握られていた──。
──第24話に続く




